第二百九十四話 杼を断つもの
やりやがった。
「何か問題でも?」
右京に暴れ者が出た。
察知した検非違使庁が瞬時に鎮圧。末端までが危機感を抱き、特別警戒態勢にあったらしい。
結構なことだが、マッチポンプを意図していた右京職は手柄を掻っ攫われた模様。
軽い処罰で済まされるはずの「暴徒」が命を落としたものだから、さらに面倒なことに。
「シメイ・ド・オラニエ卿のお言葉をいかが思われるのです、ティムル・ベンサム卿?」
「右京職の官吏に手をかけたとおっしゃるのですか、ヘクマチアル閣下? 相手はただの犯罪者、そうでしょう?」
両者殺気を噴き上げておいて、我らに向き直る。笑顔を見せる。
「これはいかにも。禁じられていたのは役所同士の出入りでした。暴徒ならば速やかに鎮圧せねばなりません。これぞ我らの職責、殿上人の皆さまであっても口出しはならぬところ」
一瞬で手打ちして、同盟を結成しやがった!
何考えてんだ、ティムル?
「我らの思いについては、先日お伝えしたところです」
「何事を話し合われたかは存じませんが、右京の行政は理屈どおりには動きません。そのことどうかご理解賜りたく」
これは少々いただけない。
嫌な言い方になるが、立場を弁えさせる必要がある。
口を開こうとしたところに、横から笏が伸びてきた。
強い声が、伸びた背筋・固めた腹筋からでないと出てこない声が響いた。
「で、右京民乱は? 先年の上巳の、端午の巻狩りの件は? いつ解決するのだ?」
上流貴族たる者、権威や分限を冒す者に対しては厳しく当たる必要がある。
温厚なイーサンであっても、いや日頃温厚であるからこそ。
「治部少輔への復帰……いやあえて言うぞ、『抜擢』。その意味分からぬと申すのか?」
中央政界へと手を、指をかけたユースフ。
さらに上を望むならば、それこそ上の意向に逆らうことはできないはず。
なかなか厳しいことを言うと思った脳内に、含み笑いが聞こえてきた。
(さすがはデクスター。品が良いわねえ)
続いた耳打ちのえげつないこと。そのまま伝えるんですけどね?
「右京の治安を根本から改善すれば、聖上のお心を安んじ奉ることができよう。貴顕から下は民まで、みなが喜ぶ」
……こんな言葉を叩き付ける度胸はなかったよなあ、3年前には。
どこをどう押せばそれを実行できるか分かってきたからこそ、見透かされぬ自信があるからこそ口にできる。そういう言葉。
「兵部卿宮さまもお手柄が欲しいところでしょう? 失点を取り返し、実績を挙げるために」
誰がパスを受けるかと思っていたが、エミールか。
実は気が荒い、そのこと分かり始めたつもりだが、そこまで言うかね。
兵部省・国軍を動員して根こそぎ行くぞと。
「ならばヒロさん、ヴァスコさん。私にも手伝わせてください」
クリスチアンも13歳になったか。アリエルじゃないけど、さすがノーフォーク。
兵部卿宮閥が実力をアピールするならば、メル閥・アスラーン殿下閥も黙ってはいられないだろうって?
「右京に館を持つキュビ家を置き去りにするつもりかよ」
口にしながらエドワードが目を丸くしていた。
同感だよ。子供の成長って早いんだな。
「そして右京の秩序が回復すれば、検非違使庁の業務負担も改善されるってわけか」
予算・人員を削減できる。
俺が口にできないひと言をありがとうな、アルバート。
一周したところで、再び大喝が飛んできた。
「申し付けたはず! 我々がまとまらねば要求を通せぬと!」
鍛錬の跡を感じさせる肩、そして胸板。
相変わらず絵になる。収まりが良い。
引き換え。
公達として一人前になりつつはあるが、クリスチアンもエミールも、まだ若い。
我らの同期、あるいは前後も含めて、出世頭はイーサンと。
そういう流れができつつあるのかな。
(まだ早いんじゃないか? 俺を拾ったカレワラ小隊長殿?)
公達連中じゃなくて、向こうを見てみろと促すネヴィル・ハウエル。
ユースフ・ヘクマチアルとティムル・ベンサムが仲間になりたそうにこっちを見ている!
おうこらシメイ、ミカエル、それにアルバート。
何がおかしいんだ?
「ふたりの覚悟、俺は分かっているつもりだ。だが、だからこそ腹を割れる部分がある。違うか?」
嫌な……とまでは言わないほうが良いな。微妙な流れだ。
縦糸、横糸、どこに繫いでどこを太くしていくか。
(それを考えていくべき年になったのよね、ヒロも)
……とはいえ。
万機正論に決すべし、そうだろアリエル?
これは公務なんだから。
……ひとつの案としては、完全に管轄を分ける。
地方自治体の警察業務を担当する両京職と、横断的・全国規模の問題に関わる部署としての検非違使庁とに。
「非効率は避けられるが、肥大化ではあるね。予算の削減とは逆方向となるよ」
「いままさに我らの本業が忙しくなりそうな時期ですのに、統廃合だの予算・人員の削減だの言われると困るのですよ」
そう言うがね、ティムル。
検非違使庁が暇なことなんて無かったろうに。
……京職から警察業務を切り離すという案もある。
京職は地方自治体そのもの、総合官庁。徴税、産業政策、インフラ整備、(なけなしの)福祉政策など仕事は多岐にわたる。その一角としての警察業務なのだから、大きく縄張りを削られるわけではなかろうと。
「徴税ひとつ取っても、実力の担保が必要なことは知っているだろう?」
……あるいは現状、京職と検非違使庁の上級官庁にあたるのは蔵人所であるから。
改組して検非違使庁を上級官庁と、蔵人所―検非違使庁―京職のラインとする。
「それだけは納得行かないでしょう? 両京職は」
あ、そうそう。
「エミール、クリスチアン。敬語はそろそろやめにしてくれないかな? 俺たちは同期なんだし」
だから生温かい目を向けるな!
イーサンの対抗馬に仕立て上げようなんて思ってない!
「こないだの戦争さ。ふたりとももう男だ、そうだろう?」
……そのうち俺が敬語を使うことになるのか、どうか。
「兵站に回ったイーサン君への当てこすりかい?」
シメイ! 誰一人として思っても無い事を!
「なるほど、そうして口に出してしまうほうが健全だ。後に尾を引かない」
にっと白い歯を見せるイーサン。
ちょうど一年前の――マグナムの奪い合いで凹ませた件の――仕返しをされた。
「覚えてろよ?」
などといろいろ忙しいところに。
「南嶺の賊が占領中の旧都に兵を集めています!」
またかよ!いい加減にしろ!
つくづく戦争は内政の敵だ。横糸縦糸と機織りに苦心しているところに、杼を断ちに来るのだから……って、あれ?
天を仰ぎ憤慨していた我ら一同、互いの顔を見合わせる。
「誤報ではないのか?」
だよな、イーサン。
秋に戦を起こして、その次の春に戦を起こすか?
それもこれから農繁期に入ろうとする1月に?
「釣り野伏せに使った例の山、要塞化……とは言わないが、かなり堅固な砦にしてあるぞ?」
だよな、エドワード。
旧都を守備していた兵部省、失地回復に必死だもの。
南嶺の連中、何考えてんだ?




