第二百八十八話 曲突 その2
「ああ、忘れていた。感謝申し上げる、ヒロ・ド・カレワラ男爵閣下。弟イセンは君のおかげで命を取りとめた。……なに、他のトワ系連中も、心中では感謝しているのさ。だがそれを嫌味にくるむのが我ら貴族」
苦い薬を糖衣にくるむという話は聞いたことがあるけれど。
甘い言葉をわざわざ苦くするのだから、全く。
「まして……な? 戦があればその度に必ず起こることではあるが……」
「まして」、同じトワ系の子弟のうちに死者が出ては、か。
イセンは大怪我をしたが命に別状は無かった。
他に10人近くを助けることもできた。
が、5人の公達が帰らぬ人となった。
トワ系貴族が俺を手放しで褒めるわけにいかなかったのも、一理あるところか。
「何か要望はあるか? 功績の割に賞与は控え目であったことだし、言ってくれれば融通するが」
蔵人頭にして中弁、事務方の裏を知り尽くすロシウ・チェンの保証は力強いことこの上ないが。
いまの俺が求めたいものは、ひとつしかない。
「許されるのであれば、ジョンさんの提言を具体化していただきたく。今の体制ではまともに戦えません」
近いうちに、戦が再び起こらぬとも限らぬから。
旧都奪還のため、王国側から仕掛ける可能性も高い。
「その現体制で勝ってみせたではないか、君は」
呼吸の入れ方にゆとりがあった。
「名人」ロシウ・チェン、こちらの要求などお見通しで。
しかもどうやら、あまり乗り気ではないらしい。
どうしてそう呑気でいられるのやら。
近現代はいざ知らず、刀槍時代の軍隊と言うもの、その優劣は指揮官次第で一変する。
ロシウならば、報告書を一読しただけでも敵将・萩花の君の危険さを理解できるはずなのに。
……恩を着せるような真似、したくはなかったけれど。
「5人の公達のような死に方、死なせ方。戦術的観点からは無駄死にと評価せざるを得ません。軍人貴族としては絶対にゴメンなんですよ。二度目があってはならないんです!――私が口にすべきではないとは承知の上ですが、報告書に書いてあることだ、いずれご存知でしょうから申し上げます――イセンを生かすために、私は寄騎を、以前ロシウさんにお願いして近衛府入りさせたネヴィル・ハウエルを死なせてもいるんです!」
必要な措置だと思ったから、恥を捨ててねちこく絡んだ。
「両大隊長閣下は根っからの軍人。お持ちの『気分』は、私と同じ。おふたりも絶対に反対しません。全て分かっているでしょう、ロシウさんなら!」
だが経験不足が祟ったか、オサムさんの言葉を借りるならば「卑しさが中途半端」であったためか。
ロシウの表情には、ぴくりとも変化が見えなくて。
「両大隊長閣下は近衛府の長ではある。だがお二人が賛成しても、近衛府を変えることはできない。それを分かっているからこそ私に尻を持ち込む……筋としては悪くないが、横着だな」
両大隊長職は、客将であるメル家とキュビ家のためにしつらえられた「椅子」以上の意味を持たない。
彼らが改革に賛成しても、近衛府は動かない。いやむしろ、「メルとキュビが主導した」と思われるだけでも、反発を買いかねない。
この件は、トワとインディーズ、あるいは王室を動かさなければ「成らぬ話」。
「もう少し練ってくることだ。キュビ閣下に突っ掛けておいて、お手軽に済ませられるはずもあるまい? 具体的な形にしてくれば、協力するにもやぶさかではないさ」
ロシウはもはや、よほどの国難、それこそ王国が内乱状態にでも陥らぬ限り、戦争に、生き死にの場に出ることは無い立場である。
現場にある者とは違って切実にはなりきれない、他人事にならざるを得ない。
それは分かるが……。
「誠意なき『官僚答弁』だと思ったか? 心外だな」
海を思わせる、暗い目の色。いつもより、なお深くて。
この男、何を考えている?
「ヒロよ。作戦を変更した君は、王国の貴族であった。メルの腰巾着では無かった。そのこと確かに見せてもらった」
作戦を変更しなければ敵を撃滅できた……「メルとキュビの力によって」。
それを避けた俺に、ロシウは多少の信頼を見せていて。
「近衛府は王国貴族……すなわち我らトワとインディーズにとっての拠り所だ。次代を育てるための揺籃だ。私も近衛府で切磋琢磨したからこそ今がある。同輩たちを、将来的には同じく近衛府入りすることになるであろう子や孫を、犬死になどさせたくはない。組織改革ができるならば、そのために喜んで働くさ」
互いに共通の理解に立っていることは確認できた。
が、この深すぎる目の色。何だ?
「ジョンの案、カレワラの呼びかけ。それだけでは足りぬ」
不意に斜め上に視線を逸らし、再びこちらに向き直ったロシウ。
何かを思いついたような「振り」をして後、ひと言を叩きつけてきた。
「中隊長を殺して大功を挙げ、席を襲う。思いつかなかったとは言わせぬ」
ああ。揺らいださ、正直。
だけど……今のまま中隊長になるのでは、危ういから。
「思いついた上で、決断した」。その心を、こちらからも叩きつければ。
「その道を歩まなかった君は、来春中隊長になることはない。……それも良いのかもな。中隊長になってしまえば、そこからは長くて2年、いや大抵は半年から1年。日々の隊務に追われて改革どころではなくなってしまう。その点、君には時間がある。だからこそ言っている。横着をするなと。政治は空気だ。醸成するのに時間がかかる」
……「具体化してください」は、無いだろう? と。
「具体案を作りました、近衛府で共通認識も取りました。だから協力してください」がスジだと。
ああ、そうか。
近衛府は軍隊だから上意下達だろうと。そっちの意識が強すぎた。
トワ系は稟議による合意形成を重視するんだよなあ。
でもねえ。
軍隊らしいトップダウンの要素を取り入れるためにボトムアップするって。
すでに矛盾を内包してるんだよなあ。
若僧が苦い顔を見せれば。
優位を取ったロシウが見せるのは、余裕の笑顔。
「中隊長を見殺しにせず、か。……世にあまた溢れ返る、アレックスの心酔者だと思っていたのだがな。多感な時期を3年あれの側で過ごしながら、その輝きに目を眩まされぬ、か」
そのはずが。
まなざしは、再び暗い海の色。
「中隊長を、オラースを見殺しにせず……いや、いじめるのはこれぐらいにしておくさ。沸点の高い男は、不意に激発するゆえ恐ろしい」
ああ、少しだけ理解できた。
あなたも沸点の高い男だ。
「何かご不興のことがおありですか?」
身を乗り出した鼻先を、不意と香りがくすぐった。
新たに淹れ直されたお茶が、静かに目の前に置かれていた。
冷えたお茶を下げた侍女は、すでに背中を見せていて。
その指示を出すのは……お局の「あるじ」以外にありえないわけで。
「少しいやらしいヒロさんにして、分からないものですか?」
失礼いたしました、フィリアさん。
政局の「要石」、ロシウ・チェンを説得するのに必死でした。
「これは……皆さまのお耳にも入れておきたいと思う心ばかりが先走り、ことごとしい議論を」
思えば俺ばかりが、一方的に熱くなっていた。
対してロシウが口にしていたのは、どこまでも一般論。
のらりくらりと暑苦しい議論を避けていたのは、令嬢方の前でもあったから。
「いえ、『ここだけ』の貴重なお話、感謝いたします。心ひかれる話題でした」
(必要ならば機密ぐらいは守れます。協力することもやぶさかではありません)
「カレワラ男爵閣下はまめな方と伺っておりましたが、まさに誠実な議論」
(ロシウさん、あなたは本音をお話にならないのですね?)
「私どもにまで情報を教えてくださったこと、嬉しく思いますわ」
(ここは雅院の局ですよ? 女と思ってバカにすること、許せません)
思わぬところから援護射撃。
先に磐森にご来臨くだすった三令嬢も顔を揃えていたのであり。
……微笑を浮かべる麗しき令嬢方のロシウを見る目は、笑っていなかった。
王国における後宮、女性たちの力は強い。
男に比べてデビューの早い彼女たちは、若くても政治経験が豊富で。
それゆえ決して侮ってはならぬ勢力であるからして。
「参った」と言わんばかりに、ロシウが小さく両手を挙げた。
その表情、鉄面皮の敏腕官僚のくせに、なんとも魅力的な愛嬌に溢れていて。
こういう芸も、覚えておくべきなのだろうか。
(※ただイケだよ)
(※ただイケね)
うるせー幽霊ども! 脳内で騒ぐな! ロシウの話を聞かせろ!
「お許し願いたい。なに、小さな話です。愚弟イセンがカレワラ男爵閣下のお世話になりっぱなし。どうにも気まずくてならず、つい意地を張ってしまいました」
それだけのこと!?
「『政治は感情論』とは、そういうことですの?」
「男の方はつまらぬところで意地を張られますのね?」
「同期のお友達のために骨を折る、うるわしいお話ではありませんか?」
「迷惑をかける側は心苦しく思う、そういうものではありますけれど、ねえ?」
あ、追及が続いてる。
「違うだろ? ほら、本音はよ」だ、これ。




