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第二百八十五話 桂花の候に その3


 人事のチェックは貴族の嗜み。社交のトレンドに乗り遅れぬために。

 官報を見ても良いのだが、王宮勤めであれば掲示板を覗きに行くほうが手っ取り早い。

 

 同じ事を考えている野次馬や自分の名を探しに来た受験生でごったがえす、掲示板前。

 見知った背中が浮き立っていたから、声をかけた。


 「おお、君もか! これはおめでとうございます」


 右京学生寮で我らに問いを投げかけてきた文武両道の男。

 はちきれんばかりの筋肉を、それでも一張羅に包んでいた。



 「ありがとうございます、カレワラ閣下」


 屈託の無い、子供のような笑顔だった。

 重圧から解き放たれた時、男は無邪気になる。

 

 「戦よりご無事のご帰還、何よりでありました」



 男は、現代的に言えば「合格証明書を受け取る」ために式部省へと向かうところで。

 連れ立つように足を向ければ、笑顔に小さな驚きを浮かべていた。


 「そういうことさ。今は式部少輔を務めている……と言えば、分かるだろ?」


 公正を期すため、採点官は公表されない建前だけれど。

 式部省で仕切っているのだから、少し調べれば分かること。試験も終わったのだし隠す必要が無い。

 試験官である旨を暗に伝えれば、男の態度が改まった。


 「これからよろしくお願い申し上げます」


 採点官と合格者との間には、擬似的な師弟関係が生ずるから。

 「師」の側は、官界に足場が無い合格者達をそっとフォローすることが求められている。


 ま、実のところはご多分に漏れず。

 親分子分、ギブアンドテイク、派閥作り……の一環なのだけれど。 



 目の前を紅葉がひらりと横切った。視線を上げれば、いわし雲。

 例年ならば、合格発表は蝉の鳴き声や入道雲の下で行われるんだよな……などと、思念を遊ばせれば。

 小さな翳が、胸に差し込んだ。


 採点官として我らが選ばれた理由も、そのあたりにあるのかと。


 派閥を作らぬ立花家。

 複数存在する卿・大輔・少輔の中から選ばれたのは、家の勢いに影が差している式部卿、出世の目が無い桂花大輔に、断絶していたカレワラ家。散位頭も転落王族であった。

 ……叩き上げエリートにツバをつけたとしても、トワ系名流にとって脅威にならない人々。



 考えすぎかもしれない。

 そもそも官界にまるで足場を持たぬ受験生など、ほぼ皆無なのだから。

 みな誰かの「引き」により省庁に勤めた上で受験する、それが高等文官試験。 


 現に垢抜けない合格者達が、そこかしこでにこやかに言葉を交わしていた。

 華やかな服を着た若者を相手にして。

 派閥ボスの子弟であろう。年齢も近くフットワーク軽く動ける、それが公達の良いところ。



 「君はこれから、どちらにご挨拶を?」


 「はい、亡き父は式部卿宮さま……いえ、さきの宮さまのお家にお世話になっていたと聞いております」



 あいたたたた……という感情を、笑顔の中に塗り込める。

 

 「前宮さまも採点官であった。ふたたびご縁ができるのは喜ばしいことだね」


 ここで「どっちにつくのかな?ん?」なんて態度を取れるほど、まだ俺はツラ厚かましくない。

 せっかくの合格発表、喜びに水を差したくもないし。

 いやそもそも、前式部卿宮は政敵でも何でもないのだ。いけすかないだけで。

 


 いきなり採点官に出会ったせいか、小さくなってしまった男。

 これは、あれだ。うん。


 「よし、このまま我が上屋敷へ……と言っても、メル家に間借りしているのだけれど……」


 (きぬ)(生地・着物)を贈ろうと思い立ったのだ。

 もう見るからにキツキツで、せっかく雄偉な体格を活かせていなかったから。

 ゆったりしているほうが何かと余裕があるように見えて押し出しが利くのに。

 (なお余談ながら、逆に小柄なオサムさんなど、特に私服はジャストサイズ気味である。押し出しを利かせる必要がないほどの大物だからということもあるけれど……おかげでますます軽薄、いや軽やかに見える)



 「仕立てはどうする? 実家には侍女もいるだろうけれど、こっちでやっておくかい?」


 プロに頼むという手もある。そのほうが確実かも知れない。


 「母がおります。私は不調法ですが、母の感性センスは友人たちの間でも評判だとか」


 確かに。彼の一張羅、サイズ感はちょっとアレだったけれど、柄や組み合わせはなかなか小粋で。

 実家を出て一人暮らしをする間に身体がさらに大きくなったものであろう。


 ……それも父を早くに亡くし、ツテや引きに苦労する中で、か。


 「では、下手な物は贈れないなあ。 お叱りを避けるために、母君にもお祝いの衣を贈らなくちゃね」



 

 あらましを療養中のイセン・チェンに伝えたところ、たいそう喜んでいた。

 意地っ張りのイセン、「満身創痍には違いないが、たかが骨折。それを家族が構い立てしてうるさいのだ」とて。

 左京一等地にあるチェン家上屋敷での療養を拒み、自然豊かな磐森に滞在中なのである。

 

 まあねえ。

 現状の俺はラノベの主人公的な生活環境にあるから。

 親と同居していない若者というヤツである。周囲の「同級生」が両親どころか祖父母まで一つ屋根の下で暮らしている中、ただひとり。

 ラノベで繰り広げられるのは爽やかな青春物語だが、現実には古今東西・世界線の違いを問わず、そういう家はタダで使えるラブホ……もとい、愛を囁く若者たちの逢瀬の場となるものであって(最近の10代はそういうことをしないなんて話も聞くけれど)。

 ヒューム&楓、マグナム&マリアとて、その一例と言えなくも無い。

 

 ともかく、「うるさく言われるのはアレだろ?お付きの侍女だろ?」という話。

 身元定かならざる女を、大怪我して動けないでいる若君のそば近くに置くなど、それは実家も気を揉むに決まっている。



 その彼女……イセンの看護にあたっている侍女は、彼氏ほどは喜んでいなかった。


 「酷薄な官吏と言えば大抵は準キャリです。実績を上げたくて、下につらくあたる」


 公達ではないが、高等文官試験に合格した者。

 間にあるから、「準キャリ」。



 「何を言うか……あ、いや、そういうところも確かにある。だが無能な上流貴族も多い中、彼らが職務に精励してくれるからこそ実務が回るんだ。それに彼らが突き上げなければ、上が腐る。閣僚級から腐ってしまっては、国は終わりだぞ? 下にもたらされる被害もより大規模になるじゃないか」 


 包帯ぐるぐる巻きのまま気勢を上げる二十歳過ぎの男。

 民を率い、そして夢破れた女も、いまだ二十歳前。

 

 青臭い激論をやり取りするその様子に、チェン家からついてきた乳兄弟が呆れ。

 「怪我に障りますからおとなしくしてください」と押さえつけられて。

 イセンめ、こちらを向くや照れ隠しのひと言。


 「この間の……けつ、どうした?」


 照れ隠しよりむしろ、どうせ恥をかいたならそのついでだということか。

 「俺は突撃する、訣別だ」と宣言して生き残ってしまったのだから、それは恥ずかしかろう。

 


 「バカ言うな!……って叫んで、その場で地面に叩き付けて踏み割った」


 俺の行動もけっこう恥ずかしい。

 ついでに言えばもったいない。玦はアクセサリー、ジュエリーなのだから。

 ま、戦争中だもの。しかたあるまい。

 

 「バキバキに骨折したのはそのせいかもしれないな。悪いイセン!」

 

 それでも生きているだけマシだ。

 届けに来た使者は、己の働きで主にかかる圧力を少しでも減らそうと、ネヴィルと一緒に突撃して……。

 

 やめやめ。

 せっかく嬉しいニュースなんだから。

 

 「ともかく、学生寮で会った男だけど、『あらためてご挨拶したい』って言うもんだから。明後日、左京の料理屋をセッティングした。悪いなイセン、さすがに今のお前は誘えないわ」


 「おい、ヒロ君……」


 表情を曇らせたイセン。

 まあね、「あらためてご挨拶」と言うからには。


 「分かっている、山吹色のお菓子だったら断るさ。『出世払いしてくれ』とでも言っておくよ」


 ついこの間まで(役人とは言え)貧乏学生だった男から受け取れるかっての!

 派閥だのコネだの、たまにはそういうの無しで、青臭く行きたいじゃないの!



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