第二百八十三話 第九章のエピローグ
敵の総司令、萩花の君を捕らえることはかなわなかった。
追撃戦の先陣を切ったのがトワ系とインディーズであったという事情も影響していたであろう。
王室の流れを汲むとあっては、どうしても及び腰にならざるを得ない。
だが追ったのがメル・キュビであっても、捕らえられたかどうか。
これは後日、分析の結果として得られた情報であるが。
盆地西の要害を越えた後、敵の主力は南のかた旧都を目指した。
相応の犠牲を払いながらも、勢力は温存したと見られる。
一方で、真西へと盆地を突っ切り、山地に姿を没した高機動の小隊が存在した。
これが萩花の君であったと推測されている。
山林地帯は、ただでさえ騎兵の進軍には不向きだ。
ましてショーク山地は、古き民とまつろわぬ民が混住する地域。
王国軍の大規模な活動は難しい。
主力と共に南下しても恐らく問題は無かったはずだが。
その周到さに王国の軍関係者が渋い顔を見せた。
「土豪、郷紳、あるいは地侍や国人衆と言われる類に似た戦ぶりでしたね」
ウィリアム・テル、真田昌幸、ファンゾ百人衆。
その土地の天候・地理・人情を知り尽くしている人々。
「それ、地元で戦をさせたら無敵って連中だよな、マルコ。しかも王室に連なる人物と来た」
古き国では、血統の持つ意味は絶大だ。
戦上手に加え、圧倒的なカリスマを誇る男。
「解せぬのはそこです。戦術眼のみならず、王都を撹乱し東西と呼吸を合わせる戦略眼まで備えた、カリスマ的人物。……しかし振り返ってみれば、この戦は戦略的とは言い難い。ちぐはぐです」
王国側としては、十分に「してやられた」んですけれどね?
勝ったとはいえ、旧都はいまだ敵の占領下にあるのだから。
だが一見矛盾を孕んだフィリアの主張も理解できる。
周到に準備できるならば、もう少し我慢し時を待つべきではなかったか?
恭仁河~粋華館のライン、あるいは鶺鴒湖手前までを確実に手中に収める戦を起こしても良かったのではないか?
「ヴァスコさんが捕えたコール・シェアーから聞き出しますか。ヒロさんも後衛司令官から情報を引き出してください」
いろいろ尋ねてみたところ。
コールの身分が高いと思ったのは、俺の勘違いであった。
いわゆる「取巻き」。身近にあるがゆえに重用されている人物だと知った。
「お子がお生まれになって以来、仕事にますます精励あそばされています」
いかにも側仕えらしい視点だが。
コールは外交を任されるほどの男、いわゆる「政策秘書」なのだから。
もう少し、こう……プライベート以外でもあるでしょうに。
南嶺が機密保持にうるさいことは知っているつもりだけどさあ。
「ごまかすにしても事欠いて!」
フィリアは不機嫌であった。
……俺も少しばかり、へこんでいた。
「末の広きぞ 恋しかるべき」
なる俺の歌に、萩花の君が反応を見せた理由が分かったから。
「川が下流で集まるように、あなたも本流である王室に合流されては?」
そう言いたかったのだが。
「末広がり、『子孫繁栄』を思われては?」という意味に取られたのであろう。
「子供が可愛いだろ?知ってんだぞ?」って意味になってしまうわけで。
ヤ○ザまがいの脅しじゃないですかやだー!
雅な歌を交わしたつもり、王室の末裔に対する敬意を示したつもりが……。
がっくりと肩を落とす俺の眼前に、満面の笑顔。
「良い啖呵です。姉夫婦の教育の賜物ですね、ヒロさん?」
ええ、確かにメル家の……いえ、まさにソフィア様の流儀ですね、これ。
ともかくコールはさすがに秘書だけあって、なかなかのタヌキであった。
武骨な軍人のほうが、こういうことでは脇が甘い。
「俺のところで接遇してる後衛司令官だけど、気になることがあった。今年締結された、例の海洋条約について……」
すんなり決まった理由は、どうやら向こうにも事情があったからだと知れた。
後衛司令官、海や双葉島、条約の話になると途端にしどろもどろなのである。
なにか隠していること間違いなし。
こういうタイプは頑固に口を噤むだろうから、追及するつもりは無いけれど。
「隠している」、そのことだけ知れれば十分なのである。
「双葉島との関係強化を考えているのかな?」
「双葉島に領地を……後背地を持つことができれば、王都からの圧力を軽減できますね」
「協調ではなく侵攻か。でもそれなら、なぜ北伐を?力を溜めるべきだろう?」
……いま一つ分からないところもあるけれど。
そう思って情報を集め分析すると、いろいろと符合するところがあったもので。
「時期は不明だが、南嶺の双葉島侵攻は確実」という結論が出た。
そうと決まれば……アレックス様を見ているとよく分かることだが。
名将とは「嫌がらせ上手」の別名であるからして。
「外務を司る治部少輔殿……は、『一回休み』だから……」
粋華館から突出したイセン・チェンは、敵の先鋒に囲まれた。
側近たちが盾になったが敵の圧力は強く、そのまま将棋倒しに。
圧死は免れたものの、四肢の全てを骨折したイセン氏。包帯ぐるぐる巻きでミイラ男のようになっていた。
生きていたから笑い話にもなるけれど、しばらくは官職を辞退し静養に努める必要がある。
「ヘクマチアル男爵閣下、サンバラ知州閣下にこの件お伝え願えますか?……エドワードも頼む。B・O・キュビ家は双葉諸侯の対岸だろう?」
サンバラの知州はユースフの兄、ターヘル・ヘクマチアルである。
彼を通じて双葉の諸侯に警戒を呼びかけてもらおうと、まあそういった次第。
「まあな。『萩花の君』か? あいつが対岸に進出してくるなんて、考えたくも無い。思い切り嫌がらせさせてもらうさ」
やっぱり名将は嫌がらせ上手なのである。
そしてそれは、フィリアについても当てはまるのであって。
「こちらからはそれ以上の対策を取れない……ならばこの件、黙って防備を固めるよりも、伝えて圧力をかけるほうが良いのでしょうね」
と、言うわけで。
返還される捕虜ふたりの送別会にて。
「コール・シェアー君。萩花の君に、こちらをお届けください」
手渡したのは、俺が用意できる限りで最高級の箱。
「これは! あるじも喜びましょう。なんとお礼を申せばよいやら」
「そうですね、では……藍染が有名だと聞いています。おねだりできるならば」
双葉島東部の名産品である。
コールの顔が藍色に変わった。
「条約のおかげで海路は平安。無聊を嘆く兄が挨拶に伺うことがありましたならば、どうぞよろしく」
冷え切った目に、口の端だけを上げた笑顔。
こうしたことになるとユースフもトワ系だと思わされる。
「双葉島は広いんだろ? 切り取り放題、あやかりたいもんだぜ」
エドワードの嫌味……いや、あまりにも率直な感慨。
切実に過ぎて笑えない。
「セーヌ公にもよろしくお伝えを」
有力者どうし、せいぜい足の引っ張りあいに励んでくれ!
なお、萩花の君に贈った箱の中身だが。
ティスベー様……「長橋の剣姫」からお預かりしていた懐剣を入れておいた。
子供の話を聞き、ひょっとしたらと連想して四方山話に誘ったところ、案の定。
後衛司令官から、「お二人の恋物語とおしどり夫婦ぶりは、南嶺でも有名です」と伺ったもので。
ちょっとした嫌がらせと言うか、あるいは奇縁に対する報謝と言うか。
いまはまだ渡すわけに行かない、剪定ばさみの代わりとして。
「ショーク山地」は、生駒山地。
「サンバラ州」は、淡路島。
「双葉の諸侯」の支配地は、香川県を中心とした地域。
「双葉島東部」は、徳島県を中心とした地域。
「B・O・キュビ家の領邦」は岡山県を中心とした地域。
が、それぞれモデルとなっております。
縮尺は日本の約9倍です。
「B・O」は「備前・岡山」から取りました。




