第二百八十二話 包囲殲滅 その5
翌日、敵はよく粘った。
三軍営からの猛攻を、再編成した三つの部隊で受け止め続け、跳ね返し続けた。
が。
「ここまででしょう。兵気が倦んでいる。長柄や旗指物に乱れが出始めました」
「それでも敵は、きょう一日をしのいだ。こちらも一日戦い詰め。明日はエミールやクリスチアン、ほかトワ系公達には、無理をさせられない」
マルコにも俺にも、流れが見えていた。
もはや紛れようも無い段階に達していた。
「突出するなら、明日が敵にとってのラストチャンスとなりますか」
「そう思って、きょう一日は軍営の防備固めに費やした」
呆れたような笑顔がこちらを見やる。
「型稽古や社交ダンスを見ているようです。互いに呼吸が合っている」
マルコと俺、敵に対して同じ感情を抱いていた。
やりやすいと言うべきか、やりにくいと言うべきか。
妙な昂揚と共感、そしてそれと同じだけの反感を抱かざるを得ない相手だった。
「で、明日はどうします?」
「左翼営のエミールから、昨日の突出部隊を……今日は休養日だった兵部省部隊とヘクマチアル党を、こちらに参加させると連絡があった。カレワラ郎党衆と合わせ、三段の車懸かりで行く」
指揮を取りつつ、裏を通すように隠しながら、部隊を移動させていた。
エミールもやるものだ。
「交替の間を稼ぐのはウマイヤの騎兵隊、ですか」
「密集戦になる。スペースを確保できないから正面戦力として使うつもりは無いよ。民兵には陣地を守らせ、崩れたときには皆でそこに退却だ」
そしてその翌日。
敵本隊は案の定、こちらに正面を向けてきた。
もとの先鋒と後衛に、エドワードとヴァスコの相手をさせながら。
古きよき戦の例に漏れず、まずは矢合わせ。
篠突く矢の雨が収まるや、乱れも見せず一隊が前進してきた。
「まずは我らが。他にできることもありませんのでね」
兵部省の男が、平淡な声に皮肉を乗せて来た。
もういい加減、わだかまりを捨てても良い頃だろうが……などと感じるのは、犠牲を押しつけた側の都合だと思い直す。
「常に率先して先鋒を務めたこと、私からも上申する。むろん、バルベルグ・メルの両公爵家、閣僚においてもご存知のところ。褒賞、期待して良いぞ?」
「やめてください。死にたくなくなっちまう。では!」
バラバラの武装、無手勝流の突撃。
しかしそれこそ「遠山の目付」で見ると、整然と統一が取れていた。
柔軟にして型に嵌らぬ、それでいて理にかなった動きぶり。
ベテラン兵ならではの巧みな進退を見せ、敵の体力を削っていた。
「次は我らに任せてもらいましょう。後ろから追い立てられないと逃げ散ってしまう根性無しばかりですのでね。……おっと、先刻ご承知でしたか」
ユースフ・ヘクマチアルも……こちらはいつも通り、皮肉な笑顔。
「一昨日の奮闘ぶり、報告を受けました。ヘクマチアル家の右京支配は磐石のようだ。近衛府としては頭の痛いところです」
「ネヴィルに教えられました。我らヘクマチアル、孤高を気取るのは限界かもしれません」
一転、二年ぶりにユースフが狂犬の貌を見せた。
主将のその狂気に当てられたかのごとく、一党が叫喚を上げる。
粘性の先鋒に疲れたところで獣に噛み付かれたのではたまるまい。
敵も先陣が退き、第二陣に変わった。
ヘクマチアル党は、個々の技量に優れている。
火がついたように攻め立てる、けれど。
もとが街場の暴れ者ゆえ、持続力に難がある。
敵も第二陣、先駆けに比べると質が落ちる。
双方が早々に引き下がり……。
敵軍からはライオンの紋章が、前に出てきた。
ようやくの、邂逅。
カレワラ郎党衆に前進の号令をかけた。
槍を、長柄を打ち合わせる。
兵が、士官が、斃れてゆく。
スペースがあればグリフォンに乗っての単騎駆けも可能なのだが……敵はすでに、一昨日の戦の顛末を知っている。
騎兵やグリフォンを使わせぬために密集隊形をとり、消耗戦を仕掛けてくる。
こうなっては武術の腕も活きない。
思い出されるのは、初陣。達人・真壁先生にして、限定された間合いの中で動きを止められては活躍できなかった。
だが、それでも。
「ユル!」
「応! ナイト隊、前へ!」
体格に優れた男達が、重盾を構えて雪崩れ込む。
二十歩進んで後、強引に左右に分かれれば……そこには縦横10mのスペースができる。
それで十分。
グリフォンを駆け込ませる。スペースをもうひと周り広げる。長巻を振り回しながら駆け抜ける。
アカイウス率いる重騎兵がさらにその傷を広げ、素早く後退する。
腕利きの侍衛達が雪崩れ込む。
「お館様が敵陣を切り崩したぞ!続け!」
それを端緒として一気に押し込む……目論見は、防がれた。
傷口の中央に、固い芯があったから。
密集する旗印。
敵司令官の本営だ。
精鋭中の精鋭が前に出てくる。
郎党衆が吹き飛ばされる。
カレワラの限界――現時点での限界に過ぎないけれど――が、露呈する。
武技に優れた侍衛が少ないのだ。
ここにヒュームが、塚原先生が、シンノスケが、マグナムがいてくれたなら。
――ここは戦場、無い物ねだりをしても仕方無い。
盾を背に負ったユルが、斧槍を手に捨て身の猛攻をしかけている。
だがそれは、あまりにも危険。取り囲まれた時が「終わり」になる。
再び、俺が出る。
一兵卒の如く、ユルとふたり長物を振り回す。
いかな精鋭と言えど……口幅ったいが、今の俺に及ぶ者など、そうはいない。
フィリアが後ろから、遠間から霊弾を浴びせてくれるのもありがたい。
郎党衆も心得ていた。
武術達者は、重囲に陥らぬ限り、捨て身の特攻をかけられぬ限り、まず死ぬことはない。
必死で盾を構え槍を突き出し斧を振り回し、俺のためにスペースを作り続ける。
ユルとふたり、いや郎党衆一丸となって、15人ほどは倒しただろうか。
シャルル・ヴァロワの姿が見えた。
一度ならず、会っている。それだけでも、互いの腕は見て取れる。
嫌な相手に会ったとて、苦い顔を見せていた。
「一昨日の手柄、フィリップも褒めていたぞシャルル! いざ!」
さて逃げ口上に何を選ぶか……と思いきや、意外な言葉。
「この先は、かしこきあたりおわすところ。どうぞお退がりください」
いや、予定の言葉であったのだろう。
「古きよき戦」なら、そこで三舎……は大げさにせよ、三歩ぐらいは退がっても良いところだから。
いずれにせよ、敵司令官の近くにまで迫ったのだ。
ついに、会える。
変幻自在の用兵。
あれはただの貴人――良きにつけ悪しきにつけ鈍感な人間――のわざではない。
右京に出入りし、破壊工作の種を播いた男なのだ。
近衛小隊長たちの人柄を知り、その中から俺を選んだ。俺の動揺を目にしたことがある人物であることも間違いない。
人の心理を推察し、その虚を突くやり口。
数日前、舌戦を交わした際に遠目で見た姿。
確信があった。
「萩花の君に申し上げる! 苦界に沈まんとする娘をお救いになった君が、なにゆえ右京の民に憂き目を見させるのです! 戦は我ら貴族の、家名持ちの責任にして名誉。黎民に及ぼすべきものにはあらず!」
ほんとうを言えば、統治はそんな綺麗ごとじゃない。
庶民と家名持ち、さらに上流と中流を厳然と分かち。
容赦仮借なく税を取り立て、戦に駆り出す。
政治は、戦争は、騙し合い、殺し合い。
だが。
ネヴィルをああして殺したからには。
「古きよき戦」を演出するからには。
答えてもらう!
非礼に憤ったか、知らぬ情報を聞かされて動揺したか。
萩の個人紋を持つ男の侍衛たちが、ざわつき始める。
だが聞き覚えある声が放った一喝が、その喧騒を鎮めた。
コール・シェアー、思っていたよりその地位は高いようだ。
「なんと……ヒロ・ド・カレワラ、ならびにその一党に拝謁をお許しになるとの仰せである! 双方、武器を下ろせ!」
よく分かっている連中であった。主君に対する信もあるか。
乱戦の最中、盾を並べ、そして。先に武器を下ろした。
カレワラ党にも武器を下ろさせれば。
現れたるは、黄金の全身鎧。
その体格、見覚えがあった。
互いに兜を取り去る。
やはり。
「常なくも 絶えせず流る 明日香川 昨日のうき瀬ぞ 今日淵となる」
古き都に流れ、世の無常・浮き沈みを象徴するとされる明日香川。しかしそれも、絶えることなく流れ続けていればこそ。これまで憂き思いばかりの私でしたが、だからこそ今日は穏やかな心持ちです。つらい思いをさせた庶民にも、明日は良い思いをさせましょう。
――無常を嘆くことなく、諦めることなく。私は活動を続けます――
聞き覚えある豊かな低音。
右京では身軽な若者に過ぎなかった男は、殺伐の戦場にあって周囲を圧倒する輝きを放っていた。
だが、それだけに。
前向きかも知れないが、あまりにも力強く強引に過ぎるその歌が悲しくて。
「今日は淵 昨日はうき瀬の 明日香川 末の広きぞ 恋しかるべき」
世は無常、転変するものですが。川はやがて広くなり、穏やかな流れへと変わるもの。そのさまこそが良いのではありませんか。
――穏やかな行動を、王室に合流されんことを――
陽光を浴びて輝く貴人が、返歌に目を見開いた。そのまま身を翻す。
何か非礼でもあったろうかと考える、その間すら与えてくれずに。
すっと伸びた背が、侍衛たちの向こうへと消えていく。
「大将、危ねえ!」
ついてきたのか、ケヴィン。お前もいいとこあるじゃないか。
大丈夫、予測済みだ!
飛来する矢を篭手もて受け流す。
海竜の鎧には、矢は通らない。優れた説法師が放ったもので無い限りは。
兜を装着するのと、郎党衆に囲まれるのと、どちらが先であったか。
双方盾を構えたまま、じりじりと後退した。
その時だった。遠くから喚声が聞こえてきたのは。
三軍営……今日出ているのはヴァスコとエドワードだけだが。
敵の後衛と先鋒を相手にして、勝勢に回っていると見える。
敵の中軍は、そのまま我が目の前から引いていった。ふたつの部隊に後詰をするために。
カレワラ党は、牽制するだけで良い。
いくら敵が後詰をしたとて、連日の戦に体力兵力を削られている。
メルとキュビの部隊が後れを取るはずが無い。
それに……「古きよき戦」なのだ。
「拝謁」して歌を交わした以上、きょうの戦はこれまで。
あとは、騙し討ちに矢を放った敵の見苦しさだけが吹聴される。
ま、どうせ。
「こちらは王室、カレワラは家来筋。対等の相手ではないのだから良いのだ」とか、反論してくるに決まってるけど。
分かってはいるつもりだが、それでも。
死傷者の発生に苦い思いを抱きながら、南の軍営に帰還すれば。
「敵が『拝謁』を許し、戦を切り上げた理由ですが」
マルコ・グリムが話を切り出す。
こいつは本当に、戦をどういう目で見ているのやら。
しかし俺の呆れ顔を見たマルコ、切り出した言葉をとどめていた。
こちらに続きを言わせようとする。
「『切り上げた』まで言われては、ね?……体力の温存だと?」
ネヴィルを古式ゆかしき一騎討ちで斃し、「古きよき戦」を演出したのは、そもそも包囲殲滅戦・追撃戦を意識していたからだ。
その点で敵の思惑は一貫している。
「今日のヒロさんは現場指揮官、集中し没頭していたのですから気づかぬのは当たり前です。仕事のやりやすい上司だと申し上げますよ。……敵将もおそらく、同様でしょうが」
俺の驚嘆に、呆れ顔に。保身の必要を感じたか。
マルコが迎合するかのような言葉を吐いた。
参謀はその明晰にすぎる頭脳により、周囲に上司に恐れられ疎まれがちなもの。
将は彼らに身の危険を感じさせてはいけない、から。
「すまぬ、君の冴えに驚いたと言わせてくれ。……ともかく。今晩、下弦の夜陰に紛れて、か? 敵はまる2日の戦で手強いメルとキュビを疲れさせた上で、カレワラの脇を抜けて逃走するつもりなんだな?」
ついに、最終局面だ。




