第二百八十一話 一営の司令官 その2
兵隊の仕事というもの、その7割は移動と穴掘りではないかと最近思う。
しかるべきところに身を寄せて、そこに簡易陣地を作ってしまえば、素人でもまずまず戦える。
あとの2割は戦場を走り回る脚力で、それ以外は何なら無くても良い。
いや、規律を守る心も必要であったか。
ケヴィンを見て、つくづく理解した。
何のかんの言って、この世界における俺は「謹厳」の部類なのだと。
(あちこち食い散らかしておいて、どの口が! 出世しても変わらないピーターやユルを見習えっての!)
ピンク女史のご批判は、甘んじて受けるといたしまして。
そのピーターしかりユルしかり、アカイウスしかり。
我がカレワラの郎党衆は、みな謹厳な男たちであった。
類が友を呼び、それが家風になるのかもしれない。
そんな家風に馴染んだ我が郎党のひとりが、ケヴィンを殴り飛ばしていた。
悪びれることなく博打の誘いをかけていたとの理由で。
サイコロも無しにどうやって?……と尋ねれば。
「銅貨の表裏」を利用し、なにやら複雑怪奇なるルールを作り出していて。
遊びをせんとや生まれけむ。必要は発明の母。
なるほど、可能性の神やら獣やらに絡まれるわけだ。
「新参者で、お家の法を知らなかったとのこと。未遂でもありますし……」
殴って済ませる(いきなり殺すことを躊躇う)「温情主義」も、俺の影響かもしれない。
家のあるじ、軍の司令。
気づかぬうちに下に及ぼす影響は、大きい。
なお誘っていた相手は、ヘクマチアル家の小者だったのだが。
街場では猛威を振るう一党が、戦場に来てからというもの元気が無い。
都市住民の彼ら、建築・土木の経験に乏しいのだ。
平らかに舗装された道を日に数km移動する以上に歩くこともまず無い人々。
建築屋のバルベルグ党にも、斥候に連絡にと走り回るウマイヤ党にも、それどころか家名無きカレワラ民兵にまでお荷物扱いされていた。
そう、博打に手を染めたのは、ストレスがたまっていたから……では、ないな。
ヘクマチアルの家風では禁じようも無いはず。
他家の軍法とのすり合わせ、なかなかに骨であった。
これぞ司令官の仕事。
「お恥ずかしい限りです。せめて兵糧運びにでも人手を出せればと思うのですが。何せ信用ならぬ連中ですので」
間違いなく「くすねて横流し」である。そういう研鑽を重ね続けた人々だから。
ユースフ・ヘクマチアル、さすが配下を知悉する良将()であった。
いや、必ずしも皮肉では無く。
分かっていて使いこなせるのだから立派なものだ。これもまたひとつの家風。
「無駄に頭数が多くては設営のお邪魔になるばかり。南の山に一部を派遣しましょうか?」
自分は安全なところにいて、配下には「名誉の死」を遂げさせる。
部下を使い潰して自分が名を挙げることを、当然と思っている男。
その目の涼やかなこと。すがすがしさすら感じる。
気を呑まれかけたところに、タイミング良く合いの手が。
「おっと、楽はさせませんよヘクマチアル閣下。我ら中流、担当すべきは『名誉の戦場』と相場は決まっているんです……差配をよろしく頼みます、カレワラ小隊長殿!」
まずもってすがすがしさを他人に感じさせぬ男、ネヴィル・ハウエル。
自分でも分かっていたようだが、最近では開き直ったか。
暑苦しい絡み系のキャラになりつつある。
いずれにせよ。
誰をどこに配置するか、それこそ司令官の仕事であって。
だがなかなかリーダーシップが取れそうになかった。
何せ各家各人による駆け引きが強烈なもので。
調整役に任ずる風を装い、その場を取り繕うので精一杯。
有利な地勢に持ち込むことができて良かった。
不利、あるいは五分五分の状況で、統率が取れぬまま戦に臨むことになっていたらと思うと……。
穏やかならぬ心を胸に秘めつつ、議論の推移を眺めれば。
ネヴィルの言葉に、ここぞとばかり皆が乗っかっていた。
「野営に慣れぬ街場出身とは言え、腕自慢を数多く引き連れて来られたのです。設営その他雑事はこちらでやっておきますので、ヘクマチアル閣下は先鋒として白兵戦に回ってください、どうぞ」
ヘクマチアルは本来、文雅の家系。
祖父の無念を胸に、一党みな武装しマフィア政治に携わってはいるけれど。テロや暗殺を用いぬ堂々の軍事行動にはあまり自信が無いらしい。
「楽して手柄を掠め取る」意識は、これまでも強く感じられた。真人間にして独り身の末弟・ムーサにして、その傾向があったのだ。
部下を抱え、家の経営を考えながらのユースフでは、なおさらのこと。
渋い顔を見せていた。
「右京が焼かれたのは、南嶺の破壊工作によるものだとか。右京職のご子息としては、民のため郎党のため、仇を取らねばならぬところでしょう?」
設営の手際を見れば、軍の能力はおのずと知れる。
慣れぬ野戦に駆り出されたヘクマチアル党、なめられていた。
これが守城の戦であれば、面目も保てたであろうけれど。
「分かりました。いかなる任であろうとも、喜んで引き受けましょう……だが皆さん、覚えておくことです。後が怖いですよ?」
オラースやクリスチアンと言った貴公子のセリフなら笑い話だが。
ユースフが口にしたのでは洒落にならぬ。みな黙り込んでしまった。
それでも、ユースフから言質を取れたのは大きい。
ヘクマチアルは家格の割に経済力のある家。連れて来た兵は多いのだ。
他の家……バルベルグもウマイヤも、俺とは関係が良い。
命令はできないけれど、言うことは聞いてくれるはず。
左翼担当の司令官としては、これで準備完了。
後は待つのみ。
「……とは言えこの戦、我らが行うのは追撃戦だけなのでしょう?」
確認を取りたい、その気持ちは分かるけれど。
微妙に、そういうわけにも行かない。
……打ち合わせは、済んでいた。
敵を平地に下ろしても、焦って乱戦に持ち込まぬこと。
こちらは水の手・糧道完備の山上に引き揚げ、何日でもにらみ合う。
挑発があった場合には適度にあしらう。おびき出されぬように注意。
敵が倦み疲れた頃合を見計らって――山の上から見ているのだ、軍人貴族なら誰でも分かる――三方から攻勢をかける。敵の陣を崩して追撃戦に入る。
だが「敵を平地に下ろす」作業こそが、「釣り野伏せ」の「釣り」であって。
ここに工夫が求められる。
敵が南の山を占領した時点で、背後の盆地に騎兵が姿を現す。
足を止めれば、山に追い上げられての持久戦。ジリ貧になることが見えるはず。
後ろに退けば、王国から追撃されることも当然見える。
高所に陣取るからこそ、全てが「見えてしまう」。
数日内に下りて来ざるを得ないところだが……。
どうせならその日のうちに引きずり下ろすほうが、面倒が無い。
兵は拙速を尊ぶ。こちらからも「迎え」を出して、さっさと誘引したいところ。
右翼のエドワードとも、その点では意見の一致を見ていた。
「どなたか、誘引部隊をやってみる気はありませんか? ……いえ、無理にとは申しません。接敵後数日の内に、必ず下りて来ますけれども」
周囲はみな同僚、あるいは同格、年長者。
司令官でありながら、「やれ」と命令できないのは……やはり正直、つらいところだ。
「その役、ぜひ私に。釣り野伏せの先駆け、名誉の役目です」
本職の軍人貴族、名門中の名門。
その直系が、涼やかな声を挙げた。




