第二百八十話 コロンブスの卵 その2
とんだ闖入者については、ひとまず措く。
ともかく気を取り直して案を練り、そして。
総司令・オラース中隊長の前でのプレゼンに臨んだ。
プレゼンなどと言うほど、論理や数値を詰めてきたわけではないけれど。
「……つまり、西の要衝を固めれば、敵は姿を現す。そこでもう一歩、こちらに引き付けると言うのだな?」
西の要衝たる山地は、ここ粋華館から10kmと離れていない。
左右に聳える山の隙間を塞ぐようにして建設された粋華館は、小規模ながら函谷関と似た作りの要害だ。
戦慣れしていない公達でも、ここに籠もれば負けることは無い。
「はい。引き付けて、ここ粋華館の前で戦をします。先ごろ我らは館の東南3km地点にある山に陣を築き始めました。エドワード・キュビ小隊長の率いる部隊も、粋華館の南西2km地点の山に陣を築く予定。その中央にある平地に、敵を誘い込みます」
「ヒロ、それはつまり……」
エドワードが声を上げた。
目がぎらついている。昂奮を抑えかねていた。
「ええ。西の要衝を放棄するのです。いったん兵を籠めておき、敵が姿を現したら抵抗しながら退却する。……要衝を占領して喜ぶ敵の視界に、3つの陣が飛び込んで来るという形になります」
本気の抵抗をしなければ、敵を引き込めない。
だから囮には策を伝えぬ。
敵を騙すには、まず味方から。
「誘引の囮は、兵部省所属部隊に委ねます。汚名返上の機会として」
力戦することで、略奪者から名誉の軍人に戻ってもらう。
この戦に勝つことで、敗戦で失った自信を取り戻してもらう。
「山に登った敵が、こちらの陣容を見て退却したら?」
「追撃です。……退却するなら追撃する、最初からそのつもりで待ち構えている軍の前から逃げ切ることは、理屈で言うほど簡単ではない。戦を知る敵ならば退くはずがない」
エドワードが机を叩き、ヴァスコが俺に同情の目を向けた。
そんなことから説明させられるのかと。
さすがにオラースも、手を挙げて制した。
「敵が平地に降りて来ず、そのまま山に留まったなら?」
「エラン中隊長殿が最初に提案された、持久戦に移行します。こちらは背後に恭仁河がある。デクスター家を始めとした諸家の協力により、兵站は潤沢です。また我等は、旧都を突ける規模の騎兵大隊こそ持ち合わせてはおりませんが、騎兵小隊の数は多い。敵を山に追い上げた後、盆地に騎兵を放ち補給を寸断すれば、先に欠乏を迎えるのは彼らです」
空間のみならず、時間も味方につける。敵の選択肢を狭め追い込んでゆく。
「全て読み切られ、最初から要害に食いつかなかったら?」
「そのまま要害を徹底的に固め、城砦に変え、エドワードが提示した持久作戦に移行します。騎兵の援護を要請する……いえ、その必要もありません。要害の守備を歩兵に委ね、騎兵各小隊を臨時大隊として編成。訓練を重ねれば、長駆旧都を落とすことも可能です」
それは賭けになるので、援護を要請するつもりだが。
強攻策を主張する小隊長たちを宥めるために、こう言っておいた。
現時点で兵は3万弱。固く踏んで敵の倍、2万5千と言ったところか。
これが敵の3倍、4万になれば圧殺できる。錬度に差があるといっても、こちらも素人では無いのだから。
クラースとの打ち合わせによれば、強力な騎兵を持つウマイヤ家は参戦に積極的。要請があれば答えてくれる目途がついていた。
「罠と分かっていても、食いつかなければ負けは確実。食いつけば決戦にならざるを得ない。……その状況に、敵を追い込むのです」
懸命に説明したけれど、なかなか賛同を得られなかった。
理解したエドワードは、「お前らアホか!」などと、怒鳴り散らしてくれているけれど。
エドワードが昂奮しているということは、この策は間違っていない。
だが、理解してもらえない理由は……周囲がアホだからじゃない。
俺の説明が悪いからだ。
俺が、自分自身が立てた作戦を、その本質において理解できていないからだ。
「よろしいですか?」
聞き覚えある声色が、聞いた覚えの無い声量で発言を求めた。
言葉遣いは丁寧だったが、その気合は大喝に等しかった。
「滝口衛士、メル家参謀のマルコ・グリムと申します」
いったん収まった騒擾が、再噴火する気配を見せた。
戦争が起きても、王宮の警備を怠るわけにはいかない。
近衛府でも、留守を任される人々が出た。参戦できない同僚の無念を背負って、俺たちはここにいる。
その友をさしおいて、滝口から参戦?
ただでさえ新設部局、それも近衛府と業務が重なるゆえ、好ましく思われていないのに。
「極東のウッドメル大会戦を勝利に導いた参謀です」
そのフィリアの声に……いや、メル家の圧力に、近衛兵が配慮を見せた。
そして一同が押し黙ったその間隙を見逃すマルコではない。
「良策かと存じます。……『釣り野伏せ』ですよ」
後頭部を殴られたような気がした。
事実、延髄に痺れを覚えた。
「ただでさえ、非常に有効な策です。しかもこの策、『食いつかなければ、あるいは深追いさえしなければ問題ない』という釣り野伏せ対策を封殺している」
必死に考えてきたことを、ひょいとひと言で。
軍人ならば誰でも知っている概念で。
俺には理解できていなかった。
現場の情報から必死に帰納して、積み上げて。
提示したのは策と言うにはあまりに不格好な、ただの構想。
マルコは状況を、情報を俯瞰していた。
シンプルな概念から、演繹して一発。
「策は、単純明瞭であるべきです。……小細工など、碌なことにはなりません」
前からそう口にしていたな、マルコ。
――コロンブスの卵。
この負けも、認めなくてはいけない。
「ああなるほど、これは釣り野伏せだ。カレワラ小隊長殿も最初からそう言ってくだされば」
「お前らが反論するから、ヒロさんも必死に再反論を組み立てざるを得なくなったんだろ?」
「そういう君こそ、理解していなかったくせに」
議論の流れは決まった。
行将軍事のオラース・エラン中隊長が決を取る。
「では、この策を採用する。各隊、準備に怠り無きよう!」
同僚が、友人が。祝福の言葉を、悔しそうな視線を、投げかけてくる。
習い性となった社交の笑顔を、必死で顔に貼り付けた。
退室すれば、他家から称賛の言葉を聞かされた寄騎・郎党衆の頬は輝いていて。
抱え上げられんばかりの勢いで取り囲まれて。
肩を、叩かれた。
「いまのヒロ君は、頭を働かせすぎて疲労困憊の極みにある。威厳を保てる状態にはない。……諸君、一人にしてあげたまえ」
振り返った。
イーサンが、悲しそうな目を見せていた。
「なに、陣営に帰る頃には、間違いなく自慢のお館様に戻っているさ」
表情が変わった。
さもなくば許さん、軽蔑するとでも言わんばかり。
頭を使う苦しさを知るユルが、心配顔。
何かに勘付いたアカイウスの鋭角的な肩を、イーサンが掴み締める。
「確かに、いまの私は興奮状態。風に当たり、頭を冷やしたい。先に行ってくれ……感謝申し上げる、我が友イーサン・デクスターよ」
必死で、かっこつけた。威厳を、装った。
秋の空は、高い。青い。
その下に広がる大地の上を独り行けば、自分の小ささばかりが胸に迫る。
結局、俺はちっぽけ。
及ばないんだな。
ソフィア様に、ロシウ・チェンに、アレックス様に、東方三剣士に。
……この期に及んでまだ、そんな欺瞞で自分を慰める己の小ささが嫌になった。
見上げた人々は、みな年上。年季が違う。
俺だって年を重ねれば、きっと……。そういう言い訳を自分の中に許せる人々。
だけど、現実は。
政略でイーサンに及ばず。
吏務でイセンに及ばず。
戦略でフィリアに及ばず。
戦術でマルコに及ばず。
統率でエドワードに及ばず。
武術では千早に及ばぬ。
芸術、社交……レイナにシメイ、イサベル・ナシメント。
何を挙げても誰かの顔が浮かぶ。
みな同世代の友人だ。
女神の加護を受けてなお、ゼロから積み上げてきた者たちに届かない。
天を仰ぐ。
広い空を一望に捉えたくなって、首を90度に曲げて仰ぐ。
笑いが出た。
「ははははははは。あ、ははは。あはははははは」
所詮、俺は及ばない。
アンジェラ……大狸羽田教授。
「へし折られる」ってこういうことですか。
何か、何かひとつぐらいは。
生まれ変わったのだから、女神の加護までついたのだから。
頑張りさえすればと、そう思ってきたのに。
「あはははははは、あは、ああ、ははははは」
涙が出てきた。
ダミアン……ダミアン・グリム。
この世界での18歳を迎えて、ようやくお前の気持ちが理解できた。
あの時お前は、「わが道は決まった」って言ったんじゃない。
「窮まった」と言ったんだ。
マルコの言うまま、五路併進として策を提出したけれど。
西の立花軍団は動けない・動かないと思っていたんだろう?
だが敵の無能司令官が逃げ出して、立花も追撃戦に参加。
現場にあらずしてそれを見抜いたマルコに、参謀として及ばず。
俺に目を向けたら、さらにエドワードがいた。千早がいた。お姫様だと思っていたフィリアの大きさに気づかされた。
……戦場では、己の全てを試される。
持てるもの全てを振り絞ってなお、誰にも届かなかったと思ったんだろう?
何に拠って立てば良いんだと、そう思ったんだろう?
ダミアン……!
だけどお前はくじけなかった。
ペネロペの男を相手取って、徴……試練に挑んだんだ。
へし折られて、それでもなお、立ち上がろうとした。
窮まった道を、再び切り開くきっかけにしようと試みたんだ。
乗り越えたそのときには、届かなかった友に再び挑めると信じて。
平らかな大地に、溢れ零れた涙が吸い込まれてゆく。
視界いっぱいの蒼穹に、馬鹿笑いが散ってゆく。
何ひとつ変わりはしない。
どこまでも澄みわたり無窮に広がっていた。
朝倉を抜き放つ。
迫り来るものを、両断した。




