第二百七十九話 前哨戦 その3 (R15)
采邑の主たる近衛小隊長殿、一族から事情を聞いて激怒していた。
旧都が陥落して後、兵部省所属の防衛部隊は、北へ退却しつつ抵抗を続けた。
ゲリラ的な遅滞戦術を仕掛けていた。
近衛兵のような「毛並みの良い」「貴族」には、なかなかできぬ芸当だ。
軍人としては大いに称揚して然るべき……いや、最初に大失敗しているのだから、褒めてはいけない。
だが穴埋めのため必死だったことは、認めねばならぬところ。
しかしゲリラ戦を行うためには、どうしても「現地徴発」が必須であって。
旧都北の盆地に点在する農村には、ずいぶんな被害をもたらしたようだ。
先ごろついに、その戦線は盆地の北部にまで……いま俺達が滞在している村にまで及んだ。
敗残兵の一団が村に乗り込み、徴発を始めた。
「王国軍の兵が、陛下に認められた我が采邑の財を奪い、民に乱暴狼藉を働いただと!?」
そういうことになる。
陛下の直轄領ならば、徴発は――やっぱり違法行為、「アウト」かもしれないけれど、それでも――陛下の部下である官吏・軍兵が行う限り、「身内のやり取り」なのだ。子が親の財布に手を突っ込んだようなもの。
だが采邑は、名義も実質も半ば以上、領主の私財だ。徴発を行うのは、他人様の財布に手を突っ込むに等しい。
兵部省の敗残兵にしてみれば、担当地区である旧都から離れた北の村だ。
その領主が誰かなど、知る由も無い。
侵略者を追い出すために必要な行為だ、協力してしかるべきだと言い募る。
だが領主一族には、その言い分を聞く理由が無い。
兵部省の軍人であろうが、いわれなく財を奪う者など野盗と変わらぬ。それも鍛え抜かれた武装強盗団である。
指揮官たる当主の不在にも関わらず、幼い子を抱えた妻を守り立て館に籠もり、必死に抵抗した。
そんな中。
「民までも、日頃の恩を忘れて乱を起こしただと!?」
領主の額に青筋が立つ。
内に統治を否定され、外は同僚の我らに恥を曝し。
上は陛下のご期待を裏切り、下は先祖に顔向けもできぬ。
悔し紛れに叛乱の主導者を槍の柄で殴打していたけれど。
嵐のごとき打擲を受けてなお、男――独立自営農家の三男坊だと言う――は一歩も退かなかった。
「ご領主様のご一族は、略奪者を見ても館に立て籠もるばかり。我ら民を見捨て、村を守る義務を果たさずにいながら、『言う事を聞け、義務を果たせ』では筋が通りません」
リーダーに押されるほどの男だ。死を覚悟してもいたはず。
その論は、一世一代の迫力に満ちていた。
「だからと言って、なぜ南嶺の誘いに乗った! 領主を信じられなかったとて、なぜ村一丸となって抵抗しなかった! 綺麗事を並べているが、連中から土地をやると言われたのであろう? 同じ村の仲間を疑心暗鬼に陥れ、代々の恩を裏切るとは! この人でなしが!」
領主の言葉も、あながち誤りではあるまい。
男は三男坊。一発逆転に心が揺らがなかったとは言えないはず。
だが男の反論は、売り言葉に買い言葉と言うにはあまりにも深刻な問題を内包していた。
「南嶺の衆は、食糧を奪わなかった!必ず対価を払った! 呼べば3人でも駆けつけて、乱暴者に弓を射かけてくれた! 村の守り方、罠の作り方を教えてくれた!」
徴発をせず、人心収攬に努めていた……となると、これは。
物資や情報を得ることができるという、軍事的な意義も大きいけれど。
連中は戦後のことまで考えている。本気で土地を取りに来ている。
打つ手打つ手が、いちいち王道なのだから腹が立つ。
むろん、そう簡単に民が靡くものでもなくて。
優しさより強さを見せる……戦に勝つことこそが、大前提ではあるけれど。
「いつまで囀らせておくのです?」
ちらりと空に目をやりつつ、ユースフ・ヘクマチアルが呟いた。
日の傾き具合を見ている。その関心事は今日中に帰れるか、否か。
「敵のやり口を知ることはできました。意味はあったと思うのですが」
ユースフは俺と同じく男爵位にある。官位もほぼ変わらぬ。
そして俺は、この戦役における寄親。対するユースフは、年長の実力者。
互いに敬語を使うことで、気を使わず対等に話ができる……社会人にはありがちな話。
「さて、難しいところかと。ま、村人は良い。ご領主にお任せしましょう」
ユースフの言葉が、悶着の、面倒の、本質に迫る。
「兵部省の敗残兵を生かしたのは、失敗だったかもしれませんね」
殺せば、民の支持を得られる。南嶺の政治工作を妨害できる。
反面、帰参が認められぬという噂が広まってしまえば、敗残兵が盆地各所で野盗と化す。近衛府が手を下しては、戦後、兵部省との間で火種になる。
生かしておけば、情報を得られる。ベテラン兵の数も増す。
反面、民の協力を得にくくなり、戦後処理にも難を残す。近衛と兵部、縦割りの面倒が生まれる。
……殺すかどうかはともかく。
個人的には、暴行略奪に手を染めた連中を無罪放免にはしたくなかった。
「軍隊に略奪暴行はつきものだろう?」と言われてしまえば、そのとおりではあるけれど。
「踏み越えた」人間は、「畏れ知らず」になってしまうから。
開き直った者をそのまま社会復帰させるのは、まさに「獣を野に放つ」行いだ。
治安が良いとは言えないけれど、決して無秩序ではない王国社会。
「崩壊国家」・「末法の世」にするわけにはいかない。
社会防衛の観点だけではなくて……彼らにとっても良くない。
少なくとも俺は、そう信じている。
平和な生活を破壊した経験を持つ者は、平和な生活に戻れなくなる。
その者の人生が、壊れたままになってしまう。
生き延びるため獣になった者は、人に戻らなくてはいけない。
一度外した箍を、もう一度締め直さなくてはいけない。
己の行為を誰かに罪と指弾してもらった上で、償う経験をし、赦される(社会の側は赦さなくてはいけない)必要がある。
戦時でも、「軍法」なり「武人の矜持」なり「紳士の振舞い」なり。
ギリギリまでは、そういうものを遵守すべきなのだ。
そこには多種多様の理由があるし、兵士は理由を考えることなど許されないけれど。それでも。
兵の心を守るためという理由、無いとは思えないのだ。
「出会い頭に、皆殺しにしておくべきでした」
ユースフ・ヘクマチアルは顔色ひとつ変えぬ。
社会防衛の観点からは、それも間違いではない。
いや、文句無く正解ではある。
冷たい男だが、だからこそ今は頼りになる。
「南嶺を相手取っているなか、兵部の残兵まで敵に回すことになりますが?」
その問題をどう考えるべきか、意見を聞く価値はあると思った。
「と言って、連中が王国を裏切り、南嶺と結べるはずもない。大した脅威にはなりませんよ。掃討した上で、兵部省の非を鳴らすのはいかがかと……ヒロさんは王長子殿下閥なのでしょう?」
秋の空を眺めていた柔らかな目そのままに、ユースフがこちらに向き直った。
「いえ、今からでも殺しておいて口を拭い、南嶺の仕業に偽装するという策もありますか」
そしてユースフと秘密を、兵部省・兵部卿宮に対する負い目を共有する?
冗談ではない。戦争しながら政治……それも宮廷内の政局マターに首を突っ込む余裕など無い。
領主はなおも吠えていた。
「我が采邑にて略奪を働いた以上、貴様らについても私に処罰権限がある!」
反抗した村人と共に、敗残兵……いや「野盗」をも、吊る必要がある。
そうしなければ、領主の権威を保てない。
村の秩序が、統治機構が、崩壊してしまう。
「ええ、領主の仕事でした。……お任せいたします」
正直、ありがたい申し出であった。
背負い込む必要の無い責任は、回避しなくては。
この戦役、俺は一翼の司令を任されている。
総司令オラースの下、エドワードとヴァスコと、その地位にあるのは3人だけ。
戦に勝つことこそが、責任だ。
……敗残兵の処分も、その観点から考えるべきであった。
盆地に散る兵には帰参を許し、失地回復に働かせる。
一番厳しいところを担当させる。
彼らの実力と心理状態を思えば、それが一番効果的な運用であろう。
そしてそれが、彼ら――任務に失敗し、暴行略奪を働いた男たち――に対する信賞必罰、でもあろう。
正規兵として敵の正規軍とあい対し、堂々と戦い、生き残ったその時にこそ。
彼らは――軍人という馴染みの社会に生きる――人間に、戻ることができる。
この日は村に泊まった。
経済的に厳しいはずであったが、領主は俺たちを歓待した。
述べられた感謝の言葉が、熱意を帯びたまなざしが。
「逃さぬ」と。「ひと晩、その姿を村人に見せつけてくれ」と。必死の思いを告げていた。
何十という死体を、村人たちの前に晒していた。
その何十人を捕らえ討ち取った俺たちを、後ろに控えさせつつ。
翌日も、空は晴れていた。
高いところにある澄み切った青に、はけで引いたような孤雲がひと筋。
だが帰りついた本陣は、塵埃に満ちていて。
強行偵察ゆえ留守番に残していた、体格の良すぎる青年……ユル・ライネンが、出迎えてくれた。
ここのところユルは、単なる侍衛とは言えない存在になりつつあった。
機動作戦には連れて行けないという苦渋の決断から始まった話ではあるけれど。結果論として、今や独立した仕事を任せるに足る、若手幹部の一角。
磐森では行政に靴をすり減らし、軍部では調練を担当し。
民や兵から見た「おらが大将」になりつつある。
ともかく、留守の取り纏めに任じていたユル。
喧騒に負けじと大声を張り上げた。
「お見送りした時、あの山が目に入ったのです」
回廊地帯の出口、粋華館と3kmを隔て向かい合うようにして座する山。
館の前で野戦を行うならば、いかにも押さえておきたくなる位置取り、高さであった。
「『場所取り』は早い者勝ちですし。戦場にならぬとしても、兵は遊ばせるとろくなことになりません。あの山を陣地に作り変えることは可能でしょうかと、バルベルグ閣下に相談したのです」
いかにも田舎者然として、少年のあどけなさを失わずにいるユル・ライネンの、地に足つけた建言。
専門家であるバルベルグ党が、大慌てで協力を申し出たと言う。
「ヒロさんも反対しないと思うが、許可が下りなければ我らだけでも」
などと、エミールの判断も淀み無かったとか。
あとはカイ・オーウェンが全てを取り計らった。中隊長殿に許しを得、カレワラ・バルベルグの両家を中心に共同の枠組みを作り、資材調達の目途をつけ。
早くも動き出し土ぼこりを巻き上げる中での帰還になったという次第。
ちぐはぐなところばかりを感じてきた戦。
「上」が戦略で空回っている間に、「下」が実務を回してくれていた。
あんへいが兵站に汗をかき、ユルが地固めをし、カイが調整に走り回り。
カレワラ党は、戦える。我らは誇るべき一団だ。
今度こそ、俺の番だ。
戦の「絵図」を描いていかなくては。
彼らの働きを無にせぬために。勝利の栄光を、果実を、分かち合うために。




