第二百七十九話 前哨戦 その1
90kmの道程で、ちらほらと聞こえてきた話がある。
「中隊長殿はああ言うけどさ、戦争は相手次第。戦場を選べるって思ってる辺りが甘いんだよな」
頷きかけたが、それは違う。
城壁の無い旧都は、守りに適していない。少なくとも、北からの攻撃を防ぐ体制にはなっていない。
南嶺側が占領地を確保しようと思うなら、前(北)に出て……盆地か回廊か、そのいずれかで王国軍を防ぐほか無い。
ならばこちらで戦場を設定できるとするオラースの発想は、間違っていない。
そして、敵が前掛かりにならざるを得ないとするならば……。
エドワードの策を推したい気持ちになってきた。
盆地の要を押さえ、敵を封じ込めておいて。
その大外から、一部隊を南へと迂回させる。
敵が背を見せ迂回部隊に食いつくならば、後ろから追撃する。食いつかぬなら、迂回部隊がそのまま旧都を落とせば良い。
なんだ、簡単じゃないか……と思いかけて、舌打ちが出た。天を仰ぐ。
その策を完遂するためには、命令一下乱れ無く動く数千の騎兵が必要だから。
近衛府は寄せ集め。良質なプロパー騎兵の数は少ない。各家、歩騎合同部隊ばかりなのだ。
数にしても、カレワラ騎兵は500にも満たぬが、それで最大規模に近いほど。
いずれにせよ、敵の所在と動向、意図を掴まなくては始まらないところだが。
ここでも頭を抱えた。
バラバラの近衛府を象徴するかのように、各家で斥候を飛ばしていたから。
いや、そのこと自体は必ずしも悪くない。入ってくる情報の密度が高まる……と思ったのも間違いで。
敵を見つけた各部隊、中隊長に情報を上げる前に「抜け駆け」をかますのだ。
軍令違反の意識すらない。「自分とこで掴んだ情報だもの、自分が利用して何が悪い」と来たものだ。
別部隊の斥候が、「抜け駆けした○×部隊が重囲に陥りました!」と報告してくれたから良いようなものの。
「助けに行く義理はないぞヒロ。アイツなら親戚のほら、アレが行くだろうから。……ベテランと組んでるってのに、このザマだもんなあ」
近衛府では、若手エリートとベテランの叩き上げがコンビを組んで事に当たる。
ベテランの言葉を素直に聞いておけば、大きな間違いは犯さずに済むのだが。
「アホが火傷した場所が、敵の出没地点ってな?」
口にしながら、地図に印をつけるエドワード。
愚痴らざるを得ないほど、敵の所在がつかめず困っていたのだ。
「なあヒロ、敵の数だが」
所在がつかめなくては、それも計りようがないけれど。
「1万は超えてなきゃ嘘だろ。だが俺達よりは少ないはずだ」
戦上手であったとしても、1000や2000では旧都は落ちないから。
その上で……。
南嶺の推定人口。一方面に動員可能な兵力。
彼らの政治は多頭制ゆえ、ひとりの有力者が率いる勢力も限られている。
先例も――それを過信するのは危険だが――参考にはなる。
すべて加味して、1万は超えるが2万ということは無い。
「で、だ。いくら盆地が広くとも、万の兵を駐屯させられる場所は限られる」
エドワードに比べると、俺はどうしても戦の「呼吸」や「勘所」に疎いけれど。
理詰めの作業ならば、決してひけを取らぬという自負はある。
1万を超える兵を駐屯させる場所は、広さ、水の便、衛生管理……多様な条件を満たす必要がある。
「斥候だって馬鹿じゃない。くさい場所は突いているはずだ。だが見つからない。おかしくないか?……それにな、ヒロ。万ともなれば、どうしたって兵気が立ち昇る」
その感覚こそ、俺にはなかなか掴みづらいところ。
感じないことも無い、そんな気もするけれど……明確に断言する自信は無いし、断言するような気分を、全てを勘に頼るようなやり方を、俺は好まない。
「感じられないということは……分散している?」
「お前に」のひと言を、オミットした。
小さな意地を張って。
「そうじゃねえかなと思い始めた、いや、確信に近いな。こっちの斥候や抜け駆けには、分散したまま対応し、素早く潰す。大部隊が出てきたら集結して迎え撃つ。そういう意図じゃないか?」
全体を広く薄く守り、強い圧力がかかったところに人数を集める態勢。
寒気がした。
「騎兵の迂回にも備えた布陣……広く構えておき、最短距離を先回りして騎兵と会戦。返す刀で追い縋る王国軍を覆滅する……?」
挟撃と、各個撃破と。どちらが早いかの勝負になる。
敵は集散の素早さ、用兵と情報収集に自信を持っている?
根拠の無い自信では無い。兵の気配を隠すことができる司令官なのだ。
「お前も当然考えたか。敵もそういう勝負になると予想したんだろう。だがこっちには騎兵の数が足りない。錬度も足りてない。向こうさんに悪いことしたような気になるぜ、全く! 真相を知ったらどれほど馬鹿にされるか!」
エドワードも、考えた上で諦めたのだ。
キュビやメルの軍団を率いているなら、喜び勇んでやり合っただろう。
だが寄せ集めの近衛軍で一発勝負に出るのは、あまりにも危険。
だから。騎兵を出す「ふり」だけして、だましだましの持久戦。
「なあエドワード。先日の軍議の段階で、そこまで?」
「当然だろ……と言ったら、あまりにも噓くさいな。速戦即決はできないと思ってただけさ」
敵の気配を間近に感ずればこそ、頭も回転すれば勘も働く。
と、すれば。
「つまり近づいてみて初めて、俺たちは敵の意図を理解できた。長駆迂回作戦を具体的に意識し、無理だと結論を出すこともできた。なら、敵さんも……」
舌打ちを見せるエドワード。
目つきが険しさを増す。
「遠からず感づくだろうな。そこでどう動いてくるか。せめて大将の位置が分かれば……なあ、グリフォンを飛ばせないか?」
それができれば苦労は無いのだ。
「さすがに広すぎる。見つけても、そういう敵なら所在を移すだろう? それに組下のプライドが、な?」
寄騎のネヴィル……ハウエル家は、騎兵の家柄だ。それを無視して俺自らが斥候に飛んでは、「お前は要らん」と宣言するに等しい。
カレワラ郎党衆としても、「お館様」に斥候をさせては面目丸潰れ。
「そうだ、お前は当主なんだよなあ。……ともかく、軽率な決戦は絶対にダメだ。情報が集まるのを待とう。その間に戦を知らぬアホどもが怪我して後送されるか、反省して慎重になるか。そう思えば、損害も悪くない。必要な犠牲さ」
焦慮を紛らわすべく地図から目を離し、椅子の背に体重を預けたところで。
またも、報告が入った。
「盆地に采邑を有する小隊長殿が、突出しました!」
エドワードと顔を見合わせる。
そういうことなら、斥候のプライドを刺激せず、後詰めの名目で出撃できる。
いや、名目が弱くとも、やるしかない。
敵の意図を探り、その兵気を計るために。




