第二百七十八話 出陣 その2
第二百六十八話 その1
第二百六十八話 幕間 その1
第二百六十九話 幕間
にて、夕霧河(モデル:宇治川)と書いてきたのは、恭仁河(モデル:木津川)の書き間違いでありました。訂正いたします。
戦争は、料理に似ている……のではないかと、思うことがある。
準備に長い時間と手間がかかる割に、「その時」は非常に短く感じられ。
面倒で生臭い後片付けが待っている。
「戦場の選び方はふた通りであろうか」
鶺鴒湖畔に立つ紫月城に兵を預け、側近を引き連れて赴いた、ここは大衙。
建国以前の段階で、すでに「古城」・「廃城」であったと言い伝えられている。
もちろん建国後は改築がなされ、現代に至るまでメンテナンスが続けられているけれども。
その伝統の城・大衙で開かれた作戦会議の冒頭。
近衛中隊長オラース・エランはそのように口火を切ったものだった。
「回廊地帯は確保されているが、その最南端をいったん放棄し、丘陵地帯に引き込むか。あるいは回廊地帯より南へ進出し、広い盆地で戦をするか」
回廊地帯。
立花領の境となっている恭仁河の両岸、東西幅30km南北90kmの地域だ。
その回廊地帯を南へと抜けた先に、東西50km・南北25kmにわたる盆地が広がっている。
盆地の南端にある丘陵を越えた先が、「旧都」の市街地だ。
旧都市街は完全に陥落したが、敗残の駐在部隊もよく粘った。
回廊地帯への進出を阻止し、現在のところ最前線は市街北の盆地となっている。
「回廊地帯の南端部は、地形が入り組んでいるゆえ……高地を確保して対峙し、様子を見ながら進出するには適している。盆地まで進出するのであれば、短期決戦の方針だな」
そのオラースの見解に、異を唱える者が出た。
「ちょっと待ってくれ。盆地に進出した上での持久戦もあるぞ? 回廊地帯の出口を固め、盆地の東西を画する山を占拠し、対峙する。そして東国と西海の戦が終わったところで、帰還兵を投入。大兵力をもって、満ち潮のごとく一気に掃討するんだ」
エドワードの指摘は、「もっと視野を広げろ、戦場を広く捉えろ」というもの。
「兵站はどうするんです?」
「恭仁河の流れがすぐそこまで来てんじゃねえか。水運が使える。その点、敵は陸路だ。加えて連中にとって旧都は新付の地、安定した後背地とは言い難い。俺達は北に立花領を後背地とし、盆地の周囲を確保。敵を牽制するんだよ。その上で、旧都防衛に当たっていた部隊を盆地の中で暴れさせ、敵を奔命に疲れさせる。おそらく東西の戦勝を待つ必要すら無いぞ? 冬が来れば、あるいは兵糧が切れれば、敵は逃げざるを得ない。……そこを、徹底的に追撃する。連中は旧都市街も捨て、もとの国境まで逃げざるを得なくなる」
ウッドメル大戦をなぞったと言えなくも無い策だが。
エドワードはキュビ一門から「こと戦に関しては本物」との折り紙つき。
真似をすれば良いなどと、安易なことを考える男では無い。
彼我の国力の差を思えば、それがベスト、万全の策なのだ。
三国志演義に詳しい方ならば、司馬仲達と諸葛孔明の戦をイメージしてもらうと良いかもしれない。
国力に勝る我ら王国は、負けなければ「勝ち」。
決戦などする必要は無い。じっと相手の消耗を待つべし。
正しいと思う。賛成したい気持ちはある、けれど。
「これはエドワード・キュビ卿ともあろう方が、ずいぶんと慎重な」
「すでに旧都市街は占領され、その北の盆地まで戦場となっています。民は塗炭の苦しみを舐めている。速戦して一挙に敵を退け、彼らを解放しなくては」
「卑劣なる不意討ちにより旧都は失陥したものの、その後敵の勢いは弱い。寡兵弱卒であること、間違いなし。一撃に屠り、王国軍の威を知らしめるべきだ」
その意見も分かる。
人は情と心意気。軍人貴族は、男ぶり。
しかし男伊達なら若手でも出頭もののエドワードは、慎重論に固執していた。
「まともに戦もしたことが無いくせに、口だけ達者に吠えるんじゃねえ!」
「侮られるか!」
「私の采邑は、盆地の中にあるんです! 秋の実りが! 兵の家族が!」
……と、場が暖まってきた時には立花の出番。
シメイがのんびりと口を開いた。
「すまんね、エドワード君。恭仁河は戦に使えないのだ」
それもまた、立花の特殊性。
回廊地帯の東側10km、そして恭仁河それ自体が立花領なのだが。
この立花領、南嶺との戦の際には、「中立地域」という扱いを受けているのだそうな。
立花の仕事は戦後処理、外交窓口なるが故に……王国の傘下にありながら、戦争に参加できない。そういう「ならわし」。
だから立花当主は南嶺との戦に出られない。恭仁河は戦に使えない。
当然南嶺も立花家・立花領には手を出さない。
紳士協定ゆえ、「絶対とは言い切れないが、まず攻撃はしかけてこない」……条約交渉の際も、レイナが口にのぼせていた。
先のサロンにおける会合でも話題になりかけた。
レイナは再三、告げようとしていたのに。俺は確認を怠っていた。
こちらのミスもあるけれど……どうも、この戦はちぐはぐだ。
相手にペースを握られっぱなし。
「バカかシメイ!そういうことは先に言え!……おい、じゃあ鶺鴒湖から回廊地帯90kmを陸路って……兵站どうすんだよ!?」
「エドワード君、兵站担当の我等を、デクスターを見損なうのか!?」
さあもりあがってまいりました……などと言ってもいられない。
想定以上に、近衛府は「バラバラ」であった。
小隊長クラスは、みな「同格」の扱い。
隊長ならぬ近衛兵にしても、それぞれが50人・100人からの隊を率いている。有力な者になると、ヘタな上流文官貴族よりも質・量ともに勝る兵を擁しており……それ故に軍議の場にも招かざるを得ない。
呼ばなければ臍を曲げる。強烈な怒りをぶつけてくる。彼らにとっての「見せ場」……いや、「陛下に対する報恩の場」とは、戦場に他ならぬのだから。
まとめられるのは、ただ一人。
近衛中隊長、オラース・エランその人のみ。
「まずは回廊地帯南の『固め』である、粋華館まで出よう。斥候の報告を待って、方針を決めることとする」
第一回の軍議は、鶴のひと声で事実上の「お開き」。
後は事務の調整……行軍の順序・日程、その他の話に終始した。
「どうだ、一杯?」
ヴァスコの首を抱えるようにして、エドワードが我ら同期に呼びかけた。
出陣前の酒盛りなどと、景気の良い話で無いことだけは確かで。
「寄せ集めに過ぎる。速戦は無理だ。そうだろう?」
典型的な軍人肌のエドワードにして、根回しを……次回の軍議に備えた多数派工作をせずにはいられぬ有り様。
だが、それは。
小隊長レベルの談合にも意義がある――近衛中隊長の権威と権力は大きいけれど、絶対ではない――ということの裏返しでもあって。
「ヴァスコ、ヒロ。お前らの部隊はどうだ?」
「私も今回は、『寄せ集め』。同輩を統率する立場だということは知っているだろう? 幸いにして、メル家の郎党はみな戦を知っているが……」
ヴァスコは本隊付き、オラースと同じ部隊に配属された。
オラースもよくよく考えたのだろう。公達小隊長の中でも、やや年かさ……彼とは付き合いも長く、意思の疎通を図りやすいメンバーをまとめて引き付けていた。
その上で、『大戦組』の若手ふたりを、独立した部隊の長とした。
面倒な「年上」に邪魔されぬよう、気を配りつつ。
「こっちは自前の兵を連れて来た。主導権を渡すつもりは無い。参加者の多くも『寄騎』だから、言うことを聞かせられるし。他に有力な小隊長はエミールがいるけれど……たぶん大丈夫だ」
俺の采配は、メル家仕込み。
指揮系統は常日頃から意識し、事前に練っておくべきもの。
やりやすいように、メンツを調整してくれていたという背景もあるが……。
オラースも、気苦労が多い。
「お前ひとりで、2000かそこら……簡単な仕事だよなあ! 俺なんかお守りだぞ? シメイとクリスチアンでどう戦えって言うんだ!」
それだけではない。年少の子弟を持つ上流文官貴族の多くが、エドワードを見込んで「押し込んだ」のである。
オラースは事後承認せざるを得なかった。
栄光の近衛中隊長、軍権を一手に握っているはずが……政治的干渉で、骨抜きにされている。
「インディーズをそう馬鹿にしたものでもない。彼らも戦を知っているよ。ノーフォーク党も大族、兵の質は高く、士官にベテランも多い。頭を……シメイ君とクリスチアンさえがっちり引き付けておけば、まとまれるさ」
イーサンの指摘が、オラースの工夫にして、好意だ。
エドワードとは関係の良いシメイとクリスチアンを「核」にできるよう、割り振っていた。
「エラン中隊長殿、『大きなところ』は、まとめて見せたか。すると、問題は零細な諸家……それほど統制が効かないものかい?」
これは僕も協力しなくてはね……などと。
初の本格的な戦を前にしたイセン・チェンは、案外落ち着きのある顔を見せていた。
「若手とか貧乏武家ってのはな、イセン。手柄が欲しくて、抜け駆けする。勝手に動くんだよ! 身に覚えがある俺はよく分かってんだ! ジョンのクソ兄貴はそこを読み間違った。近衛は貴族だから手柄に飢えて無いだろう、素直に命令を聞くだろうってな?……デクスターの選択は正解だぜ。このザマで野戦?首が寒いなんてもんじゃねえぞ!」
「言ってくれるなよ、エドワード君。『金が無ければ汗をかけ、汗をかかぬなら金を出せ』……今回ばかりは我らデクスターも赤字覚悟で臨んでいる。兵站には一切、心配無用だ」
「マグナムに荷車運ばせてどうすんだよ! 俺んとこに回してくれ!」
エドワードのぼやきも分かる、けれど。
兵站の実地、いや今のマグナムは兵站の「仕切り・線引き」を学ぶ必要があるはず。
イーサンと……今回は鶺鴒湖周りの水運を取り仕切ることになったアルバート・セシルのもとで。
実を言うと、それは俺も見ておきたいところだった。
でもこちらから「見せてくれ」と言っては、損をするので。
「助かっている、ヒロ君。カレワラ水軍の全面協力を得られるのは有り難い」
そういうことである。
こちらから、あんへい・エイヴォンを派遣したのだ。
「実地に学び、レポートを提出すべし。その内容次第で、決戦に参加させるか判断する」……などと、厳かに言い向けて。
我ながら嫌なヤツになったもんだと思う。
そして嫌なヤツついでに言えば。
「金が無ければ汗をかけ、汗をかかぬなら金を出せ」。
裏返せば、大兵を動員した上に、兵站に労務を提供したカレワラ家は、金を出さずに済んでいる。
戦費の半ばをデクスター家に負わせることができた。
軍人貴族が「傭兵国家」化する理由が、分からぬでも無いような。
(それも生きて帰ってこそだけど、ね?……ってヒロ、あんたも図太くなったわねー)
議論しても、どうにもならないことはあるだろう、アリエル?
現場に赴く前から、あまり取り越し苦労をしても仕方無い。
みんなも議論に飽きて、酒杯が回り始めたことだし。
そんなことより、今は。
アリエルが、カレワラのご先祖が堪能していただろうこの眺めだ。
古城大衙から望む鶺鴒湖。そして湖水に映ずる、月。
アリエルから習い覚え始めたハープを鳴らす。
腕の拙さゆえに、選曲は古朴にならざるを得ず。
「色気がねえなあ」
「戦場だよ?」
「昔は物を思わざりけり……苦吟しているようだね、イセン君」
「こればかりはシメイ君には及ばぬさ」
何とかなるさ。
このメンツだもの。
粋華館は、京都府精華町、祝園付近をモデルとしております。




