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第二百七十七話 千早 その2 (R15)


 それが千早の望みであることには、気づいていた。

 以前の俺では、その望みをかなえることはできなかった。



 抱き上げて連れて行く、そのわずかの間にも。

 千早は幾度と無く身じろぎを見せた。

 

 無視した。

 無視すると見せて、外されると感じた時だけ、制した。


 小さな駆け引き。


 腕の中のぬくもりが、少しずつ熱くなる。

 動きが、呼吸が、切迫を帯びる。


 ゲストルームのベッドに広がるシーツが目に入ったその時。  

 かたちばかりでもなく、だが本気でもない……そんな抵抗を受け。

 逃がしかけた体を捉え、引き寄せ、共に倒れ込んだ。


 悲鳴も、説法師の力の発動も無い。

 そのことは、分かっていた。

 これが千早の望みであることを、俺は知っていた。


 今なら、かなえてやることができる。

 いや、違う。


 ……俺の望みを、遂げることができる。


 俺が望んだから、千早も受けたのだ。



 千早が望むのは、甘い言葉ではない。

 優しく頭を撫でられることでもない。

 

 その優しさを内に秘めて、力強く引き寄せられることだ。

 己が抵抗を、超えてくることだ。


 俺も望んだ。ずっと望んできた。

 抵抗を制して、千早を求めることを。千早を引き寄せることを。

 


 俺の頸に腕を回しかけて、びくりと体を震わせていた。

 見開かれた瞳に、おびえの色が浮かんでいた。 

 肘を入れ、白い腕を軽く跳ね上げてやる。

 そのままそっと捻り、ベッドに押しつけるようにして極める。

 身動き取れぬその状況に、安堵の甘い声を漏らす。


 あやなされ、良いようにされる。

 リードされ、身動きを制せられる。

 千早はずっと、それを望んでいた。


 我を失いつつあるのか、霊気が増してきた。

 発動の前に、互いの身に危険が及ぶ前に、甘く押さえ込む。

 組み敷かれて、切なげな声を上げていた。

 より強く、深く身を寄せる。堅く抱き締める。

 そのままひたと動かず、首筋に唇を添える。



 互いの身から、力が抜けた。

 手首に、肘に、指を這わせた。

 荒々しい振舞いの内に、優しい思いがあることを伝えたくて。


 弾かれた。

 千早は我を取り戻していた。意識的に霊気を発動していた。

 急な反応に、思わず力を籠めて押さえつければ。

 その背を甘く、左右に振る。逃れようとする、かのように。

 再び身動きを封じ、強く、固く、押さえつけた。


 安堵と喜びの声に、小さな苛立ちを覚え。

 再び、深く身を寄せた。荒く、動いた。


 

 向かい合うことを、嫌がっていた。

 自由に動くことを、頑なに拒んでいた。


 囁きたければ、目を合わせたければ、唇を欲するならば。

 背を反らせ、頬におとがいに指を添え、強いなければならなかった。

 強いることを、求められた。求められて、欲した。

 

 押さえ込み、組み敷き。制し、あやなした。

 ……そうするように、導かれていた。

 

 緩めば、隙を優しさを見せれば、鋭い拒否が返ってきた。

 力強さを、荒々しさを求められた。いや、導かれ引き出された。




 朝の光の中、白い頬にひと筋、涙の跡を残して。

 幼子のような微笑を浮かべた千早が、安らかな寝息を立てていた。  

 



 

 ゲストルームの「次の間」。

 正面やや左に、李老師が席を取っていた。

 後ろにサイサリスことヴェロニカと、お珠を控えさせて。


 「お出でになるところ、確かに拝見した。必要ある時は、証しましょう」

 

 同じ部屋で一晩を過ごした、そのことの証明。

 厳かに言い放っておいて、一転。


 「話もいろいろあろうが、まずは朝食よの」


 その声に、お珠が立ち上がる。

 目を合わせれば、赤面して俯いた。


 「虫唾が走る」と言われた時とは、異なる……いや、正反対の反応だ。

 


 「お珠、私は良い。千早の世話を頼む。……ヴェロニカ、湯漬けだ」 


 まだ、余韻が抜けていなかったか。

 我ながらどうかと思うほど、がつがつと食べた。


 脇を通り抜けたお珠、嫌悪するどころかそれにも顔を赤くする始末。 

 日頃ひと言多いヴェロニカまで、何故か無言で。




 「みな、若いのー」とでも言いたげな笑顔を、李老師が浮かべた。 



 「目に見える範囲では、ヒロ君しかいなかった。分かるかの」 



 (千早ちゃん、男を立てる女、男を男にする女だったのね。あ、いえ……それどころか、男をオスにしちゃう女とはねえ)


 聞こえていなくても、李老師には通じてしまう、分かってしまう。


 「さようよの」

 

 だが李老師は、こちらにひたと目を据えていた。

 求めているのは、俺の回答。



 「無意識下での霊能発動を押さえられるだけの『心得』が求められます」



 千早に並ぶほどの、武術の腕。

 天真会のメンバーか、東方三剣士か、アレックス様か。

 どうにかやっとその域に手をかけつつある、俺か。


 千早は……6つの時、狂乱した。

 李老師に取り押さえられることで、やっと安心を覚えた。


 三つ子の魂百まで。


 「性癖」と言っては、生々しきに過ぎるけれど。

 その「かたち」でなくては安心、リラックスできないのだ。 


 しかし李老師は、アランは、祖父であり父であり兄の代わり。

 おかしなことにならぬよう、見守り、保護し、教育するのが彼らの役目で。


 東方三剣士は、朴念仁にして、「師」であった。

 千早に「男として」接することはできなかった。

 彼女の地位が上がれば、社会的に「いろいろと難しい」ことになる。 



 「そして……オスになっても構わぬ男であることが求められます」



 千早は、アレックス様を生理的に嫌悪しているところがある。

 「冷たい人だ」と。


 女が「生理的に嫌悪する」とは、語弊を恐れず極論に走れば。

 「この男には抱かれたくない」という意味で。


 アレックス様にそんな感情を抱く女など、そうはいないと思うのだけれど。

 千早の場合は、切実であった。



 千早は、男を雄にしてしまう。

 出陣を控えた今の俺など、千早を馬上に抱きかかえ、戦場にまで連れて行きたいぐらいの気持ちにすらなっている。

 西楚の覇王・項羽が、虞美人を戦場に伴ったかのように。

 傍若無人に、「俺は男だ」と叫び上げたいような心地。


 できるわけがない。それをしては、身の破滅だ。



 だが、仮にアレックス様であれば?

 「俺が男だ、俺が王だ」と叫び上げること、できかねない地位にある。

 

 無論、その前にソフィア様に気づかれる。

 王を、公爵の地位を狙おうものならば、アレックス様を消すことにすら躊躇いを覚えぬ人に。

 消されたくなければ、抱いた女を自ら殺すことが求められる。そしてアレックス様は、必要とあればそれができる男だ。

 もしもソフィア様がもう少し優しい性格で、人並みの女性らしさを持ち合わせているならば……アレックス様を奪い雄にした千早を、許せぬであろう。自らの手で殺すはず。



 千早がアレックス様に抱いた生理的嫌悪は、ファンゾ者らしい野生の生存本能。

 あるいは優れた武人が有している、危険察知能力。


 互いに見えていたから、あるいは感覚的に気づいていたから。

 ソフィア様は、千早を自分付きの侍衛にしなかった。

 アレックス様・総領と距離を置くことを求められる、フィリアに付けた。




 (その点お前みたいな軟弱者は、雄にしてもらってやっと人並みの男だからな)


 その皮肉は響かないよ、朝倉。

 ……頷く気配を、正面右に感じた。



 「天真会の女性は……どう言えば良いか……みなさん『良い女』なんですね」



 「女性性」の権化にして、「母」のロータス。

 やはり気弱な青年を雄にしてしまった、カトレア。

 そのカトレアと伍していたヴァニラ。

 監禁状態から飛び出し、子を生し、殺されかけてもしぶとく生きるサイサリス。

 小さなマリーも、きっちりおかみさんだった。


 そして、千早。 



 「『凄まじい』で構わぬよ。 社会的地位の意味では無く、『女が、女であることを主張できる』。そういうところよ、我ら天真会は」



 「『あるがままを、そのままに』ですね」



 李老師とは、これぐらいにしておかないと。

 時間が限られている。


 「……さて」 


 右に、目を転じた。

 いつも俺の背後に、隣に立っていた老人が、そこに座していたから。


 (感謝いたす、ヒロ殿。千早も女になれた)


 下卑た意味ではない。それぐらいは、俺にだって分かる。

 

 「私が男に、雄にしてもらったのです……出会ってから今までの交際を通じて」


 (千早が誰かに嫁ぐまで、誰か婿を取るまでと思っていたが……少し違っていたようでござる。そうなれるものか、心配であっただけ。今の千早ならば、心配は無い)


 「厳しいですね、モリー老。いえ、佐久間盛政殿。それは私でなくても構わないとおっしゃる。今の私は、千早に男ができたら狂乱しそうですが」


 (さよう。女を繋ぎとめたければ、男を磨き続けられること。……だが安心されよ。ヒロ殿も、男らしくなられた。今のヒロ殿なら、どうであれ誰とでも、でござる。千早についても、任せるに足る) 


 「もう少し、お付き合い願いたかった。領主の心得、海戦の技」


 (それは未練よ。アリエル殿とは記憶を共有し、何度も話し合ってござるゆえ、そちらを頼られよ。無論、佐久間の食い詰め三男坊どもを雇い入れてもらえれば、これに勝る幸いはござらぬ!)


 「では、これにて」


 (おう、千早と共にミューラーに向かいまする。そこで輪廻の輪に還らん)



 よし!


 「出陣! ピーターはあるか! 支度せよ!」



 歩みながら、千早の気配を感じた。

 やはり、馬に攫い上げて、戦場に……。

 と、そんな甘い思惑は、粉微塵に砕かれた。



 緋色の全身鎧に朝陽を浴びた、千早の姿によって。



 「何を考えてござった? 出陣を前に、弛んだ顔を見せるものではない!」



 やっぱり千早には、かなわない。

 顔を引き締め、気合を丹田に籠めて。


 「確かに承った! 何よりの餞、感謝する! 千早・ミューラー卿の旅路に幸あれ!」






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