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第二百七十三話 民乱 その2 (R15)


 8月の暑さに、豪雨に濡れた地面が乾いてゆく。

 下から湧き上がる湿気に、馬までが機嫌を悪くしていた。


 何事も無くてさえ、非衛生的な右京。それも中心部。それでもたまに風が吹いたかと思えば、漂うのは……燻った木材に特有の、目に沁みる刺激臭。

 そして一度嗅いだら決して忘れようも無い、焼死体の臭い。


 不快極まりないこの状態で、戦をさせられる兵士の苛立ちたるやいかばかりか。

 早く収めなければ、「荒れる」。不愉快なことが起こりかねない。



 それでも幸いにして右京南部では、すでに騒動は収まりを見せていて。

 春に完成したばかりの天真会王都支部(西堂)に、焼け出された人々が集まっていた。


 支部長の李老師にも、随分と余裕があった。

 

 「ま、これも慣れよ。今日のうちにも、応援と物資が来る。災害に遭うこと、支援を行うこと。どこの支部でも経験しておるゆえ、の」


 耳打ちするような、低い声。

 しかし面を上げるや、朗々と。敷地の隅々にまで響き渡るような声で。


 「まさか勅使のおいでとは。恐懼に身の置き所を知りませぬ。かような事態ゆえ、非礼の段は平にお許しを」

 

 堂々たる態度。言葉通り、まるでかしこまろうとしない。

 それをされては、こちらは下馬できないから。

 やはり大音声で呼びかける。


 「国王陛下におかれては、右京の惨状にご憂慮を抱かれ、かくは近衛兵を遣わされた次第である。いまや乱は収まった。以後は何の心配も要らぬ!……なお、こちらは陛下から天真会へ、引いては被災した者への見舞いである。謹んで受けよ」

 

 「ありがたき幸せ。なれど人手は足りております。近衛の皆さまを煩わすなど畏れ多き限り」

  

 李老師は傲然……いや厳然と、こちらの申し出を拒否してきた。

 声に応ずるかのように、敷地のあちらこちらで、人が立ち上がる。

 権力とは距離を置く、それが天真会。


 「済まぬの」


 そのひと言に、会釈を返す。


 実際、秩序が回復していた。ならば軍が滞留しても仕方無い。

 ここ「西堂」は、大丈夫。それが分かっただけでも十分だ。



 しかし折り返して北上すること、3~4km。

 右京中部・東側の中心地、西市に臨めば。


 市場の入口に「地獄絵図」。

 作り出したティムルの声は、冷えていた。 


 「略奪に入ろうとする者が続出したゆえ、討ち果たしました」


 収まらなかったのだろう。それは理解できる、けれど。

 バリケード兼見せしめとして、積み上げられた死体の山を見てしまうと。


 「問題がありましたならば、謹んで処分を受けます」

 

 「いや、無い。適切にして果断な処置である。……が、この後は」



 ティムルが頷いた。


 「人心収攬のため、西市の物資を利用して炊き出しを行います。治安維持のための巡回も。……つきましては」


 「増援の人手だな? エミール、バルベルグの家人をこちらに寄越してくれるかい?」


 検非違使とて近衛の下部組織、構成員はみな貴族。つまり頭数が限られている。

 天真会とは違い「人がいくらでも湧き出てくる」ような強みは無い。

 ……急場になると、やはり課題が浮き出てくる。



 「了解です。穴掘りならお任せを。……いえ、ダメですね。どうしたって笑えない」


 その余裕があれば十分だ。

 同じ年頃だった時、俺は顔を引き攣らせるばかりだったのだから。


 


 西市からさらに西が、右京の中心部。

 聞こえてくる騒擾……あれは、兵気だ。まだ闘争が収まっていない。


 「イーサンとシメイは、あちらに?」

 

 アルバート・セシルが頷く。


 「俺は検非違使と協力して、西市の確保と乱賊の封じ込めを担当した。あいつらは……強行偵察だな。ま、言うほど骨のある敵じゃない。大丈夫さ」

 


 同期のふたりは、アルバートを西市に残した。

 イセンの「職務放棄」をかばってやれるのは、事情を知る同期だけだから。


 右京中央部。

 イセンの彼女も住んでいるその区域は、最激戦地であった。


 だが兵気を観るに……今や賊はさらに西へ、城壁へと追い詰められていて。

 実際妨害のひとつも受けることなく、現地入りすることができた。


 密集していた住宅が、跡形も無い。

 あるいは焼け落ち、またあるいは戦闘の都合で――戦力に勝る側が恐れるべきは、罠のみ。見通しが良ければ良いほど、危険は小さくなる――取り壊されて。


 それでも、見覚えのある一軒が残っていた。

 周囲を包囲していた近衛兵がこちらに敬礼を見せる。 

 先行していた人々は、みな中にあるのだろう。


 大したことは無かったようで、ひと安心。

 ……いや、これは。血臭。


 「大丈夫なのか!?」


 「ヒロ君か。言ってやってくれ」


 シメイよ、何を言えと? 死体の山を目の前にして。


 「説明してくれ」


 「同士討ちだよ。乱を起こそうとした者と、止めようとした者と」


 まさか……と思ったところで。室内の薄暗さに慣れた目が少女の姿をとらえた。

 無事だったらしい。



 「ごまかしは効かないぞ、ヒューム。半ば以上は君が手を下したんだろう? 口封じのために」


 冷えた声を挙げたのは、イーサンの侍衛を務めるアロン・スミスであった。

 「殺しの手口」には詳しい男。


 「そこの娘は『どちら側』だったんだ?」 


 

 たしなめるかのような、ゆったりした声が響く。


 「アロン、それを問うことに意味はないだろう? 証拠は無いんだ」


 シメイに付いているエメ・フィヤードであった。


 「イセンさん。乱の最激戦地を仕切っていたのは、近衛小隊長たるあなただ。あなたがこの娘の処遇を決めるのです」



 そのイセンが、縋るような目で俺を見る。

 理解は及ばなかったけれど、俺としては。


 「イセン、ヒュームは君の身を守ったんだろう? ……そして恐らくは、君の名誉も守った。その働きを無碍にされては、ヒュームの寄親として、引き下がるわけに行かない」


 彼女が、もし叛乱に与していたならば。

 イセンの立場は、いろいろと「難しく」なる。


 

 「住民が二つに割れ、同士討ちを始めてござる。そこな娘、乱に与していたわけではござらぬが……頭分かしらぶんでありながらまとめ切れなくなり、さらには身に危険が及んでござる。それゆえ周囲を某が討ち果たした。それだけのことにて」


 手を下した男、ヒューム。

 事も無げに答えていた。

 


 「つまりその女は、配下から乱賊を出した。その事実は拭えない」


 「ヒュームが……イセンさんの臨時の組下が、賊を討ち果たした。それも事実だろう?」


 アロンとエメが、口論を続けている。

 それは彼らの「親分」、その立場の違いを示すもので。



 「だから早くしろと言っただろう、イセン君? ヒロ君が来る時がタイムリミットだと」


 シメイの声には、侮蔑が含まれていた。

 

 「何も難しくない。その娘を殺すか犯すか……いや、語弊があったね。殺すか、抱くかだ。事ここに至っては、『賊か民か』『敵か味方か』、中途半端はあり得ない。そして味方であれば、身分差から言って侍女、いや下女として扱わざるを得ない。分かるだろう?」


 キツイ言葉、強い非難。

 それでもイセンは、項垂れるのみ。

 「一方的にやり込められるばかりで、反発しない」など、貴族の会話にあってはならぬこと。

 シメイの苛立ちは増していた。


 「職務放棄を非難するどころか、寄騎を派遣して君の身を守ったヒロ君の配慮を無にするつもりか? 汚れ仕事に手を染めたヒューム君の心にも思いを致したまえ! 彼女の配下を皆殺しにしたのは、この後を考えたからだろう? この者らが、ヘクマチアルに捕らえられたら何とする? 『我らのリーダーは、叛乱の首謀者の一人です』などと無理やり言わされたらどうなるか!」


 イセンの肩が震えだした。

 

 「決断したまえ! だから僕は、『殺すか、抱くか。それを経験していない男は信用しない』と言ってきたのだ!」



 畳み掛けるように、平板な声。

 血の臭いが満ちた薄暗い家に響き渡った。


 「殺すのであれば、自ら手を下す必要は無いんだよ、イセン君。ヒューム君に……それすら気に病むならば、兵にでも言いつければ良い。そもそもその娘は、これまで君の助力を断ってきたのだ。配下や仲間を守りたいのであれば、チェン家の庇護を受ければ良いはずだろう? ……身分など、あまりとやかく言いたくは無いけれどね。身分も実力もその他諸々をも弁えず、庇護の申し出を蹴ったのだ。乱に関わりが無くとも『不逞の民』の謗りは免れまい」


 イーサンの発言は、この世界における「良識」。

 例えばヴィスコンティ枢機卿なども、同じことを言うだろう。

 少し情が無いようにも思えるけれど……。



 あるじの言葉に「了承」を読み取ったアロンが一歩を踏み出したところで。

 ようやくイセンが口を開いた。


 「できるか!彼女に何の罪がある! 身分無き者が、力無き者が、努力を重ねて己が地歩を築こうとする、それの何が悪い! 君の組下のマグナム君だってそうだろう? 戦場に出て命を張ったからこそ、今がある! 彼女は全てを失ったかも知れないが……失敗することは罪ではあるまい! 悪いのは乱を煽った連中だ!」


 イーサンがこちらを見た。

 片目をつぶっている。


 「嵌めたのか!?」

 

 別の理由でぶるぶる震え出したイセン。

 無視してシメイが決め付けた。


 「結論は出たようだね。だが『彼女が乱賊ではないこと、イセン君と立場を同じくするものであること』。それが証明されなくては、僕たちは君を弁護できない。 職務放棄の件、ロシウさんに口ぞえしてやることもできそうにない」


 「いやしかし、彼女の意思が……」


 イセンの言葉、間違ってはいないのだが。

 これほど説得力の無い反論を、俺はあまり聞いた覚えが無い。

 当然、最後まで言わせてもらえるはずもなく。


 「文句言える立場かね? 身分差だけでも泣き寝入りのケース。まして今回の件、賊に関わりありと決め付けられても反論できぬ。加えて今の彼女には明日からの生活を支える背景も財産も無いのだよ? 君が保護する必要があろう?」


 「そのように浅ましいまね」


 「童貞乙」


 ついにひと言で片付けられてしまったが、なおも抵抗を試みるイセン。

 

 「だがそれでは、彼女の気が済むまい」



 書類の山を前にした時の凛々しさを思えば、その姿があまりにも哀れで。

 つい、手を差し伸べてしまう。


 「当座、天真会にお世話になっては? ただ世話になるのでは気が咎めると彼女が言うなら、災害援助の手伝いでもすれば良いだろ?」


 死体が折り重なる中だもの。

 童貞には……いや、童貞でなくとも、こんなところで「いたす」のは、ハードルが高い。



 「承知。送っていくでござるよ」

 


 娘は、終始無言であった。

 理解しているのだ。反論など、できる立場ではないと。

 シメイでは無いが、こうなっては「殺されても犯されても文句を言えない」。

 彼女の責任ではない。何者かが民を煽り、乱を起こしたのが悪い。

 だがそのダメージを和らげる「バッファ」を持たぬのが「力無き者」の悲しさ。



 「助かったよ、ヒロ君。ヒューム君」 


 つぶやくイセン。

 その顔を覗き込む。目を合わせ、叩き込む。


 「乱賊でないことの証明、それと身元保証。絶対に必要だからな? 忘れるなよ?」

 

 「抱け」。それだけは、言っておかねばならぬ。

 守らぬならば、「見捨てる」他に手段は無い。

 ヒュームも李老師に伝えるはずだ、間違い無く。



 「それじゃ、その『乱賊』を退治に行こうか、エミール。僕ら文官貴族は、戦功を挙げる機会が少ない。残党狩りだけでも……」


 「待ってくれイーサン君。僕こそ初陣未経験なのだ。ここは是非先頭に」


 「そっちの童貞を先に卒業ですか、イセンさん?」


 呆れるほかない。

 14歳のエミールに、何を言われているのやら。



 ……亡くなった人々には、少しばかり申し訳ないような。

 そんな思いもあるけれど。


 こんなものだと思う。

 戦のある社会に生きる男とは、貴族の若君ってものは。

 



 

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[良い点] イセンに恋人なんて居たっけ…… どこで出て来たのか記憶にない(汗
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