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第二百七十話 巻狩り その3


 轟きが、叫び声が、響きを足元に伝えてくる。

 慣れるまではどうにも耐え難かった臭い……獣臭が、近づいて来る。


 右翼を率いるエドワード、うまく追い込んでいるようだ。



 やがて来る群れは、基本「やり過ごす」。

 正面へと送り出し、中務宮さまが合図を上げるのを待つ。

 それまでは、獣の「流れを整える」以上の射撃を加えてはならぬ。

 


 それも程度問題ゆえ、難しいのだが。


 末端の兵は「手土産」、「参加賞」を掴み取りたいと願うもの。

 しかし追い込みの段階で獲り過ぎれば「マナー違反」と言われてしまう。

 かと言って、全く射掛けなければ獣が八方に跳び回る。

 正面の部隊に迷惑をかけ、「作法を知らぬ」、「統率ベタ」と評される。


 だが俺とて巻狩りの経験は、これで四度目。

 書いて来なかったところでダグダと、極東では二度、大きな狩りに参加した。

 おかげで「勘所」ぐらいは理解できるようになっていた。

 

 追い込まれて目の前に現れた時点ではなく、その少し後。

 獣が渋滞した時こそが、射撃の頃合だ。

 

 獣の気配が近づきつつある今が、まさに伝騎の出しどころ。



 「アカイウス! 中軍・右の小隊に射撃命令を伝達!」


 どのタイミングで何射を撃たせるか、停止命令をいつ下すべきか。

 それは現場で為すべき判断だ。任せて良い……いや、任せるべきところ。

 アカイウスはウッドメル伯爵の使番であった男にして、今や我が右腕だ。

 見誤るはずがない。



 逡巡も遅滞も無く馬首を巡らせるさまを見送ったところで。



 「ネヴィル! 同じく左翼に伝達!」


 声を掛けられたネヴィル、不安げな表情を返してきた。

 巻狩りの経験が無いことは、すでに聞いている。

 容姿に劣等感を抱いてきた男は、ハウェル家の嫡長子でありながら、貴族の交際に消極的であった。

  


 「ちょうど良いタイミングになるさ」


 必死に逃げ奔る獣と、人を乗せた馬と。その速度差の都合により。

 気楽な言葉だが、その程度では励ましにならぬ……が、ネヴィルよ。


 「小隊長権限の代行だぞ? やってみたくないのか?」

 

 お前に必要なのは、経験と自信だけだ。

 技術と学問は、その身に具えているのだから。



 だがネヴィルは、なおも念押しをしてきた。

 

 「個別の射撃を許しますか? それとも斉射を? その場合には何通?」


 軍令は明確に。上下の齟齬は潰しておくに限る。

 それは事実ではある、けれど。


 らしくも無い!

 向こう見ずに飛び出すのがハウェル家……騎兵の跡取りだろうが。

 いや、ネヴィル。お前らしく無い。

 こちらが手綱を引かなければ、大喜びで暴れたがるはずが。


 

 自前の兵を持っているだけに、いろいろ期待したいのだが。

 アカイウスには、今のところ及ばぬか。


 経験の違い。

 それ以上に、「己の責任と覚悟で動く」意識を叩き込まれる「使番」との違い。

 子飼いの家臣以外に「人を動かす」ことが無かったのであろう。



 大丈夫さネヴィル、それほど大げさな話ではない。

 戦場でもないのだから。

 

 「左翼の皆さまはおおどかだ。『獲り過ぎ』の恐れはあるまい」

 


 ようやく笑顔が戻った。

 いや、ふてぶてしいカエル面が帰って来た。


 「了解。獣の群れが過ぎるまでは自由に。その後、停止命令を出します」

 


 「それで良い……いや、『任せる』」


 あまり偉そうなことを言える立場でもない。

 千の兵を率いることもできるアカイウスに、百の騎兵すらつけてやれない俺。

 及ばぬのは、お互い様。

 



 

 中軍の中枢、我が眼前を獣が通るまでは、僅かながらまだ間があったので。

 大声で、アスラーン殿下に呼びかけた。


 「群れの先頭がまばらに駆けている段階では、射る必要はありません。混雑が起きた時に、『散らす』ような感覚で射掛けると、うまく群れを流せます。……なお、こちらに乱入してきた場合は、遠慮会釈無用。射殺です」


 

 殿下は当然、巻狩りの経験をお持ちだ。レクチャーなど、必要ないところ。

 むしろこれは近衛兵への「事情説明」だ。


 子飼いの兵なら「問答無用、命に従え」で済ませられるが。

 近衛はいち兵卒であっても「他家の主」か「総領息子」だ。

 あまり強圧的になるわけにも行かない。納得してもらう必要がある。


 こういうところは、現代日本と変わるものでは無いと思うけれど。

 ただ、軍隊としてはどうなのかと。そう思わなくも無い。



 陣が微妙にざわついた。

 やはり俺では統率を取りきれぬか……と思いきや。

 実情は、やや異なる趣を見せていて。 


 「こちらに乱入してきた場合は」などと口にしたのが悪かったか。

 殿下の側近が色めき立っていた。

 御身を守れるような位置に、弓を扱いやすい場所にと……じわりじわり、ポジショニング争い。

 獣の乱入など、無いほうが良いんですよ?

 チャンスじゃなくてピンチですからね?



 ただひとり、動かぬ影があった。

 最初から「適切な位置」を見定め、馬の脚を留め。そして、笑顔を見せていた。


 アスラーン殿下部隊に回されていた塚原先生。

 この頃にはすでに事実上、殿下の侍衛の任に就いていた。

 

 「側近の皆さまが射撃に専念されるならば、私が弓を取る必要はありませんね」

 そうつぶやいて、左右を見回したところで。



 「弓が不要であれば、私の部下に持たせましょう」

 

 やはり笑顔を見せていたのは、オラース・エラン。

 トワ系の多くがアスラーン殿下部隊を避け、人数割りのバランスに困っていた中。同族に対して内々に申し出ていたらしい。

 イーサンとはまた別の意味で、やはり「生真面目」なところがある人物だけに。

 頷ける話であった。


 「ヒロ君にばかり仕事をさせているようで、心苦しいな」


 そして、このひと言。

 穏やかで品が良い。

 それでいて文弱でも無い弓の名手――弓術の達人と言うより、弓道の先達と言うべきところだが――ではあるし。仕事は実直、責任感も強い。

 いや、気分の良い先輩である。


  

 「私は弓の腕がいま一つですので。獲物を殿下に献上する仕事は、皆さまにお縋りいたします」


 などと、こちらからも穏やかに纏めたところで。



 右手から訪れた猪が目の前を走り去り、鹿の群れが跳んで行く。

 時に脚を滑らせ、仲間と衝突してはパニックに陥りつつ。

 混雑の時間帯が、まさに訪れようとしていた。


 殿下がこちらに目配せを見せる。

 頷きを返せば、掲げられた馬鞭がためらい無く振り下ろされた。

 声を掛けるのは、俺の仕事だ。

 

 「目標、群れの左前方! 斉射!」


 弦鳴りの高い音が重なり、やがて。篠つく響きが訪れる。

 左手の狭いところ……山沿いを目掛けていた獣の群れが、音に驚く。

 矢の雨を恐れた獣が、低きに流れる水の如く、開けた平地へと走り去った。

 うまく誘導することができた。これならば左翼にも大きな負担はかかるまい。



 万事順調。


 後方で拍手が起きた。

 振り返れば、オラースがさっそく雉を一羽仕留めていた。


 兵達も賑やかだ。

 獲物を得て喜ぶ者、木の幹に突き立った己の矢羽根に落胆する者。



 「私も仕損じた。簡単にはいかぬものだな。オラースはさすが、弓の名手だ」


 アスラーン殿下も、少しばかり悔しそうで。

 でもまあ、巻狩りの本番は、正面での折り返しがあってから。

 取り巻き諸君も、その時にはうまく殿下をアシストすることだろう。


 獣の群れが中務宮さま部隊に辿りつくまでは、まだしばらく間があることだし。

 ここは貴族スポーツのハーフタイムらしく、和気藹々と……。



 おっ?


 「鹿です!」

 

 それも見事な牡鹿であった。馬並みの体格、幾重にも枝分かれした角。

 一頭で迷い出てきたとあれば、なお好都合。

 誰が命を下すでもなく、取巻き諸君が自慢の腕でその脚と尻を射止めていた。

 速度が落ちたところに、アスラーン殿下の弓が弦鳴りを響かせる。


 「お見事!」

 「お慶び申し上げます!」 


 随所より歓声が上がるが、追従とばかりは言えない。

 実際優れたお手並みであった。

 ただ一矢をもって、過たず急所を射抜いたのだから。



 「諸卿の協力あってのこと、礼を言う。追い立てた勢子はいずれに?」


 

 周囲を見回せば。

 離れた茂みに、人の気配があった。


 お声がかりがあったのに、出てこない?

 ……指示を仰ぐべく、振り返れば。



 アスラーン殿下のお姿を捉えることは、できなかった。

 乗騎を前に進めていた塚原先生に、視界を遮られていた。



 その手には長巻の柄が握られ。

 冷えた目は藪に吸い寄せられていた。




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