第二百七十話 巻狩り その2
巻狩りの采配について、エドワードと口論になった。
単純な話だが、お互い譲れない。
巻狩りの采配とはすなわち「軍の運用」に等しいから。
統一しなければ、お話にならないのだ。
……と、思っていたのだが。
そこから否定してきたのである、エドワードは。
キュビ系とメル系の違いは、どことなく天真会と聖神教の違いに似ている。
あるいはこの世界における伝統系と革新系と言うべきか。
前者はネットワーク型、後者はピラミッド型。
リーダーからして「四柱」(4つの家)に分かれているキュビ家は、「統一」を意識しない……むしろ忌避感を抱いているようにすら思われる。
対してメル家は、棟梁―総領を頂点とした、指揮命令系統の統一・一本化に強くこだわる。
キュビの御曹司エドワードと、メル秘蔵の弟子()ヒロとでは、用兵思想が「水と油」なのである。
「だいたい、戦場では不測の事態がいくらでも起こるだろうが! 土煙と喚声で目も耳も奪われた状態で、指揮の統一などできるか!」
山がちの地形、入り組んだ海岸線が多いキュビ。
統率が取れることなど「あり得ない」。それが彼らの経験則。
「目も耳も奪われた状況になるからこそ、平時からその対策を練るんだろうが! 多少なりと統率が取れているほうが勝つ、そういうもんだ!」
本領・極東の大平原で戦ってきたメル。
統率が取れなければ惨敗を喫する、そのことを骨身に刻んでいる。
「現場指揮官のプライドはどうなる!」
キュビ系若手の花形は、現場の小部隊指揮官だ。
臨機応変に動き回り、部隊同士が阿吽の呼吸で連携することで戦線を維持する。
エドワードが高い評価を受けているゆえんもここに存する。
キュビ系の現場指揮官は常に重責を担い、期待に応え続けてきた。
だからこそ、その権限も大きい。
「全軍が最大の戦果を挙げてこそ、現場指揮官の手柄にも意味が出る!」
対してメル系若手の花形は、「使番」。伝令役である。
司令部の意図を現場に伝え、戦線をまとめ上げるのは彼らだ。
部隊の動きが悪いときには、代わって指揮を取ることすら認められている。
白銀の貴公子・前ウッドメル伯爵麾下の筆頭使番として、早くから勇名を馳せていたアカイウス・アンドリュー・シスルなど、軍部においてはその経歴ひとつで周囲に憚りを感じさせる存在。
エドワードに言わせれば、「ヒロなんかにはもったいない」ほどに。
「まあまあ、総論の対立は措くとして」
どこまでも呑気な声。
ことの深刻さをまるで理解していないそのさまに、エドワードとふたりで怒声を浴びせるも……当のシメイ・ド・オラニエ氏、肩を竦めるだけ。
妙なところでクソ度胸が据わってるんだよな、コイツも。
「とりあえず、当日どう動くか。それこそが問題だろう?」
その点については、齟齬は生じていないのだ。
12時方向の後方高台に陣を取り、南面する陛下。
眼前、やはり12時方向(11時~1時)に、中務宮さまが横陣を敷く。
右から8時~11時方向にかけて近衛中隊長が包囲の輪を締める。
左から1時~4時方向を目指して兵部卿宮さまが獣を追い込む。
……と、ここまでを前提とすれば。
アスラーン殿下部隊の動きも決まってくる。
左翼8時付近を軸として、中軍を6時へ、右翼を4時へと旋回させる。
包囲の輪を縮めて獣を追い込むのだ。
しかしてその後、左翼は固定する。
同時に右翼は中軍を軸として、逆旋回する。
つまり包囲を一度完成させた後、4時~6時方向を開放するというわけ。
巻狩りでは、「一方向を開ける」ことがマナーとされているので。
「王者は獲物を取り尽くすような真似をしないものだ」とか。
「巻狩りはスポーツであって屠殺ではない。獣にも逃亡のチャンスを与えるのだ」とか。
「完全包囲して、殺気立った獣が一方向に突撃したら、貴人に大事が起こりかねないからだ」とか。
「野戦における『囲師は必ず闕く』を想定するためだ」とか。
理由は諸説あるけれど、つまるところ。
「どうでも良い。要は『お約束』なんだよ!」という事情による。
ともかく完全包囲はせず、一方向を開けるものだとされている。
そのせいで、殿下すなわち我らの部隊は、複雑な運動を要求されるというわけ。
将器を測られているのは、アスラーン殿下お一人ではあるまいか?
「大まかなところは理解できた。あとの細かいところは現場を下見してから決めれば良いじゃないか。近衛府で狩場を点検するんだろう?」
シメイめ、会議を面倒くさがっている。
「近衛府で」って、他人事のように言うけれど。お前も当事者だからな?
「一度に決める必要はあるまい。……エドワード、ヒロ。やはり君たちに任せるのが良さそうだ。ふたりで案を詰めておくように」
アスラーン殿下の鶴のひと声。
こちらは興味津々といったご様子。
「結論を持って来るように」との仰せだけれど……エドワードとの「すり合わせ」も報告せよと。
空の色をした瞳が、そう告げていた。
偉鑒門(王宮の北門)から西へと馬を進めること、16km。
左手の視界が開けた。
王都を繞る城壁、その西北角に至ったのだ。
そこから北に約10km、薫風を楽しみながら馬を駆けさせる。
丘をひとつ越えたところに、緑豊かな原野が広がっていた。
周囲を丘陵に囲まれた、方7~8kmの盆地。
それが陛下の「お狩場」であった。
「何の変哲も無い、まさに絶好の『お狩場』だな」
「だな、ヒロ。……やることはハッキリしてんだよなあ」
エドワードの声に、頷きだけを返す。
アスラーン殿下には、中軍に位置していただく。
既定事項だが、高所から眺めることで改めて確認が取れた。
部隊の「主将」でもあるし……「やんごとなき」人々、武事に疎い王室や立花系の貴顕は、「難しくない」左翼に配置せざるを得ないから。
「実働部隊の右翼は、キュビに任せてもらえるか?」
これもやはり、「他に選択肢の無い」ところ。
「了解、エドワード。ただ……」
右翼は追い込んだ後、いったん後退する。
彼らにチャンスが訪れるのは、巻狩りの終盤だ。
それも、狩場の出口に近づき加速のついた獣を、後ろから追うかたちになる。
「良いのか? 取り分は少なくなるぞ」
ふん、と鼻を鳴らしたエドワード。
「俺たちはキュビだぜ? 射止めてみせるさ」
言葉を切ったが、やはり断言をためらっていた。
「ただ……」と、留保をつけていた。
「巻狩りの作法があるだろう? あまりいつまでも追いかけると、『見苦しい』『非礼だ』と言われちまう。殿下の評判にも関わる。どの段階で切り上げるかが、難しい」
顔を見合わせる。
お狩場に足を踏み入れた時点で、互いに結論は出ていたのだ。
だがどうにも、言い出しにくい。
塚原先生に言わせると「意地の強さに難がある」元・日本人の俺。
毎度のことながら、こちらから口を開いた。
こんなところで睨み合いをしても仕方無い、心中でそう言い訳しながら。
「右翼の進退は、一任するよ。現場はキュビに丸投げするに限る」
先に折れてたまるかとばかり、妙に力み返っていたアホ面が崩れる。
いつもの爽やかさを取り戻したエドワード、返事を寄越してきた。
「攻撃開始命令と追撃停止命令だけは、任せた。使番を送ってくれ」
どうもシメイにうまく乗せられたような気がしてならぬ。
だがそれを口にするのも、また業腹なもので。
顔を見合わせてしまえば、再び眉を吊り上げざるを得ない。
「中軍の指揮、お前に取れるのか、ヒロ? インディーズの軍法は各家ごとにバラバラだろうが」
「右翼、ほんとうにまとめ切れるか、エドワード? キュビ系とひとくくりにしてはいるが、『四柱』から零細まで含めた混成部隊だし、お前は侯爵家でも非主流派だろう?」
アスラーン殿下の御前で開かれた二度目のプレゼンは、成功裏に終わった。
引き出物として軟膏を賜ったほど。
「両名とも、当日までに青あざを治してくるように」
との、優渥なるお言葉とともに。
「お狩場」は、京都市の「原谷」地域をオマージュ元としています。




