第二百六十八話 立花領にて その6
面倒なことになった。
ことの発端は、9人の湖賊を「晒した」件。
「立花領ではゴメンだからね?」とレイナに言われ、南から立花領へと渡る船着場に並べ立てたのだが。
連中、あえて泥臭い得物を用いていたけれど、みなそれなりの腕利きと思しき節があった。潜入工作員の疑いが強い。
「退屈していた」フィリアが動いたのも、メル家の側でそれを嗅ぎつけたから。
その時点で、彼らの運命は決まっていたわけだが。
運と言うならエルキュールに出会ったことこそ「運の尽き」。
鎧袖一触だったはず。同情するつもりはないが、ツキのない連中だと思う。
「つまり何か、ヒロ君。こちらが南嶺に遠慮して軍事活動を控えている間に、南嶺側は王国領に進出して破壊工作をしていたと?」
鋭くなるイセンの語気。
それを嗜めるかのように、シメイがゆったりと扇を広げる。
「それを南嶺の外交団に匂わせたところで、『知らぬ存ぜぬ』だろうねえ」
条約の概要はすでに煮詰められていた。
互いに得をする案件ゆえ、駆け引きは無用。
特段プレッシャーをかける必要性も、その許容性も、意味すらない状況。
「招いた側の王国としては、強硬手段に出られないのがつらいところだよ」
フィリア並びに大衙からは、「条約交渉中だろうから、南に軍を動かすことはしない」と言われていた。
エルキュールのことは、立花家には伝えていない。刺激しなければ無害だから。
エメが目を伏せる。
話を切り出したその理由を悟ったのだ。
細かいことに気づくヤツは損をする、およそ浮世のお約束。
「言葉で伝えるものではござるまい?」
ヒュームの口にした「それ」が、立花家に連絡すべき伝達事項。
気づいたレイナが上げた声。
それが冒頭の、「立花領ではゴメンだからね」である。
言葉でチクチクやっても仕方無い。
9人を「晒しもの」にして、目に付くところにぶらさげてやる他はない。
あんまりなめたマネをしてもらっては困りますよ?と。
……それを当然と思うようになったのは、いつからか。
ともかく!
それだけなら、「ジャブの応酬」で済んだのだけれど。
面倒なことになったのである。
「旧都の行政官と守備隊長が暗殺された!?」
そのニュースが飛び込んできたのと、「さらしもの」と。
ほぼ同時だったから、たまらない。
南嶺側に、「この9人の、お前らの仕業だな!?」と。
誤ったメッセージを伝えてしまうことになったのだ。
濡れ衣を着せられたと思い込んだ南嶺側は、当然反発する。
何も言わず、態度だけを硬化させてきた。
だが王国側も謝るわけにはいかない。鶺鴒湖での破壊工作は事実なのだから。
誰がやったんだよ……って、このタイミング。やはりエルキュールか?
国境を強行突破したのだろうか。
頭を抱えつつ王都に戻ったところで、ロシウ・チェンから言い渡された。
「守備隊長に不正蓄財の疑いがあり、それに気づいた文官が衆を頼んで捕縛しようとしたところ、気づかれて相討ちになった」と。
そんな話、あるか?
現地に近い立花領よりも先に王都に連絡が行くのも怪しい。
「その事実確認、閣議で了承されたのですか? 議題として提出されたのはどなたです?」
ロシウの眼光が、細められた目の奥に引っ込んだ。
「この件には首を突っ込むな」
あまりのきな臭さに、不満が顔に出ていたか。
返って来たのは厳しい言葉。
「断言する。今の君では力不足だ」
18歳なら反発もするところだが。
力不足を実感できるのが、26歳の精神年齢なのであって。
そっと頭を項垂れれば、上から声が降ってくる。
「ヒュームをこちらに戻せ。滝口の警備を命ずる」
探りを入れることも許さぬと? 念の入ったことで。
視界の隅から、皮肉な視線。ジョン・キュビであった。
「それで引っ込んでいるようでは、ねえ?」ですか?
実際、ただただ凹まされているばかりというのも癪に障る。
「旧都は国防の要。何らか手当てが必要では?」
「それは近衛府の仕事ではあるまい? こちらでやっておく。重ねて申しつけるぞ? 首を突っ込むな」
語るに落ちた。
「近衛でない」なら、もうひとつの軍府の問題。旧都を「管轄」している連中。
つまりは兵部省の内ゲバか。兵部卿宮さま関連ね?
そりゃ、アスラーン殿下閥と目されている俺には介入させられない。
それでも、言うことは言っておかないと。
「実はこの件が、南嶺との懸案事項になっておりまして……」
すでに誤解のキャッチボールが勃発してしまっているのである。
「出先の皆にも伝えておきます。卿・大輔級は当然として……立花家にも伝えてよろしいですか?」
伯爵閣下・オサムさんは、こうした話を好まない。
総領のレイナ子爵は即刻反発するクチだし。
立花ばかりではない。弟君のイセン氏が黙っていられるか、どうか。
何せ融通の利かぬ「お役人」ですから彼は。
想定外の事態であったか。
「名人」ロシウ・チェン、滅多に見せぬ苦い顔。
「首を突っ込まぬよう、くれぐれも説得を頼む」
貸しイチを作り、再び飛んだ立花領。
オサムさんもレイナも、意に反しておとなしかった。
「理由を聞くの、ヒロ? そりゃ私も親父も、こういう話はキライに決まってんじゃない。不正蓄財……ぐらいならともかく、それで内ゲバだの、あげく口封じだなんて。上流貴族だからこそ、そういう見苦しい真似は許されない。白日の下、それこそ『さらしもの』にしてやるのが立花の仕事だけど!」
まさにそれこそ、皆が期待しているところだが。
レイナの歯切れは悪かった。
「時と場を考えなさいっての! 条約交渉中、相手に恥をさらしてどうすんのよ。だいたいこの地を立花だけに……」
口をつぐんだ。
「言うべきではないこと」に触れまいと。
オサムさんがこちらに向けたのも、滅多に見せない冷たい目。
「この地を預けられた。いや、我ら立花は賜ったのだ。開国王陛下から」
「ええ。皆さま、我ら立花はこの話を飲みます。ロシウさんによろしく……いえ、父が閣議できっちりしておきますので、ご心配は不要です」
やはり冷たい口ぶり。
父娘して、かなり神経質になっていた。
だから、それ以上踏み込むことは遠慮したのだけれど。
レイナとオサムさんの我慢は、やはり「柄にも無い」ものと言うべきで。
条約交渉の雰囲気を悪くしてでも、この時点で大騒ぎしてくれていたほうがマシだったのではないかと。
ふたりの機嫌を悪くしてでも、もう少し話を詰めておくべきではなかったかと。
半年もせぬうちに、そう思い知らされる羽目に陥ったものだった。
毎度中途半端になってしまうけれど、その事情は少し後……次章で述べることになるかと思う。




