第二百六十八話 幕間 その2 (R15)
思わず片手で目を覆う。
昨日船着場で出会った可能性の神……のゴーレムが、櫂を取っているのを見て。
襲撃は必定。
罪も無い乗客を巻き込むつもりか?
神から見れば人間など塵芥のごときものだと?
「守ってもらえると信じておりますよ?」
……見透かされていた。
私も同じであることを。赤の他人、乗客の命になど興味は無い。
賊を斃すか、その気が起きぬなら逃げるか。
考えていたのは、ただそれだけ。
何か言う前に、昨日の若者が元気いっぱいに「任せろ」と声を返していた。
ままよ、なるようにしかならぬ。
陸に近いところを、時計回りに漕ぎ出す巡行船。
まずは紫月城の最寄り、先島村の船着場を目指す。
花冷えの季節、地には霜も降りていた。
こうした日には靄が立つ。
さらに左手は一面の葦原と来れば、やはり。
「船頭よ、前方に舟の気配がある」
声をかければ、「どうしましょう」と。
焦ったふうを装った声音。
どうするも何も……いや、まさに「何も」考えていなかった。
接舷でもさせて跳び移るか?
「船頭さん、すぐに船を陸につけるんだ! 湖賊と水上で戦うもんじゃない」
若者らしく張りのある声が、自信ありげに響く。昨日から想定していたようだ。
なるほど、これが「考える」ことの大切さか。
「皆さん、落ち着いて。ここからならば村も近い。メル家への救援要請、お願いします。私たちが時間を稼ぎますので」
若いのに、段取りが良い。
夕暮れ時だった昨日は気づかなかったが、いまだ十代半ばであろう。
改めて仔細に眺めようとして、視線を返された。白い歯が見える。
「いや、我らだけでも退治できますね。……奥さまは、小者とともに逃げ……いえ、これは失礼を」
私の……武人の妻と勘違いしたか。
弓を取り出したディアネラを目にしては、仕方あるまい。
聖堂襲撃に失敗してより、ディアネラは弓の腕を磨き続けていた。
近間ではカレワラ男爵……ヒロには絶対に勝てぬと理解したゆえに。
これも「考えた」結果であろう。
頼まれて指導してみて、驚いた。ケヴィンなどより、はるかに筋が良い。
飛び道具でも勝てぬ、そのことに気づくであろう程度には、だが。
一度は挑まねば理解、いや納得できまい。
だが挑んでなお、生き延びられるか。
あの男……ヒロは、それを許すだろうか。
ともあれ。
いくら筋が良くとも、いまだ修行不足。誤射が怖い。
ディアネラには木陰に隠れ、手出しせぬよう言い含め。
湖賊の襲撃を待ち受ける、その場所が。
さすが悪魔と呼ばれるだけのことはある。
何も知らぬ船頭のふりをして、見通しの良い砂地に船を着けるとは、な。
数は……この気配、9人か。なるほど小規模だ。
この程度ならば!
背に、声を受けた。
「陸に上げてしまってからのほうが!……あ……」
その必要も無い。まずは4人!
波打ち際で斬り払えば……大袈裟なまでに飛び上がり、水中へと落ちていった。
手応えあり。留めは不要。
私に負けまいと思ったか、若者……いや、少年も前に出てくる。
ふたりを相手取って、十分以上の余裕がある。良い腕だ。
重傷を負った賊がふたり、また水の中へと退いていく。
残るは3人。
左のふたりを両断して水中に叩き込み。
あとのひとりは任せようと振り返ったところで。
……水際から気配がした。
新手か。
小人数と侮ったが、第二陣?
何人来ても同じ事だ!
数度繰り返したが、キリが無かった。
数十人以上?気配は感じなかったが。
それに、昨日の話。
「軍を出すほどの規模ではない」とも聞いた。
妙だ。
なぜ死体がひとつも無い?
これだけの数を相手にすれば、死体が散乱し血が流れる。
足場に、躓き滑ることに、気を使わねばならなくなるはず。
斬るたびに、みな水中へ落ちていたが……?
だいたい数十からの員数を擁して、なぜ一斉に上陸せぬ?
こちらはふたり、押し包むのが「常道」であろう。
しかし陸に上がってくるのは、なぜかいつも9人……。
いつも9人、同じ数!?
援護射撃もせず?……これだけの規模で、飛び道具を用いる者がいない?
得物は何だ!?
鉈を用いる者がふたり。ひとりは踏み込みが甘く、もうひとりは重心が左に偏っている。
棒を用いる者が4人。長さを扱いかねている者、間合いが測れていない者、重さに振り回されている者、腰が引けている者。
斧がふたり。振り下ろした後の「返し」が遅い者、下半身が弱く砂地に足を取られている者。
片手剣ひとり、大振りの初心者。
9人がいつも同じ得物、同じ癖?
9人、みな同じ顔!
なぜ私は気づかなかった?
……幻術か!
「悪魔が! 何をした!」
「ひい」と悲鳴を上げる船頭の顔。無表情でありながら、確かに笑っていた。
(考えてみたまえ)と、脳内に声が響く……その瞬間にも、反射的にふたりを叩き斬ってしまう。また水中に逃げられる。
考えを巡らせていたのは、少年のほうで。
「声のおかげで目が覚めました! おかしいですよこれ! ……水に帰しちゃいけません、やっぱりもう少し引き付けて、挟み撃ちにしましょう! 水際をお願いします!」
種が割れてしまえば簡単だった。
いや、種は割れていなかったか。だが対処は容易であった。
私が水際で、一肢を……「潰す」。
陸側に追い込んだところで、少年が重傷を負わせる。
逃げ帰ろうとするところを、水際の私が再度陸側に「吹き飛ばす」。
まともに動けぬ9人全員を立ち木に縛りつけ、ひと薙ぎ。
同時に止めを刺す。
朝靄が晴れてゆく。
目の前には……私と少年が最初に入れた一撃でこと切れた、9つの死体。
「小規模の集団ながら、幻術を使う。そういう者共だったのでしょう」
霊能者、異能者。
この世には「訳の分からぬ者」が数多く存在する。
そのゆえに、少年は簡単に納得していたけれど。
(彼のおかげだね、今回は。まだ半分子供じゃないか。イレギュラーにもほどがある。ま、これだから人間は面白いんだけど)
船頭を装った可能性の神は、不満げであった。
(だが、場所が良かった)
何が言いたい……
「あ、あれは。おーい! 鶺鴒湖を悩ませていた賊は退治しましたー!」
「それはお見事! 取次ぎますゆえ、お名をお聞かせ願えまするか……」
聞き覚えある声が紡ぐ特徴ある口舌に振り返れば。
目を射るは鮮烈に輝く全身鎧、焔の如く噴き上がる霊気。
耳を打つは瞬刻の躊躇も無く発せられた裂帛の号令。
「総員、フィリア閣下を中心に防禦陣形! 伝騎は紫月城にさらなる援軍を要請せよ! 敵は……」
千早・ミューラー!
「エルキュール・ソシュール!」




