第二百六十八話 立花領にて その2
白昼堂々、道端で言い争い。
ここが王都の雑踏ならば、「見慣れた光景」なのだけれど。
「支配者」の存在する領邦や采邑では、あまり見られぬ姿ではある。
現代日本とは異なり、(いや、あるいは同じなのか?)都市住民とは、「田舎に居着けなかった『負け組』」……とまで言っては言葉が過ぎようか。
いずれにせよ都市(特に右京)住民の多くは、農地や「のれん」の分け前にあずかれなかった、流れ者。
幼い頃から今に至るまで、日々を競争で過ごしてきた人々ゆえ、常に殺気立っているものだから。
それに比べれば農村部に暮らす人々は、最低限の「財」を……譲歩のバッファを所有している。
そしてご近所さんは一生の間、いや、代々連綿とご近所さんなのであって。
もちろんトラブルだの摩擦だのは、いくらでもあるけれど。表立って怒鳴りあうことは少ないのだ。
その争い方はもっと「ねっとり」した様相を呈する。良くも悪くも水面下で、どろどろと。
ともかく、何事かと。聞き耳立ててみたところ。
やはりここは領邦なのだと、ひと安心。
職人であった。
いや、ギルド所属とかそういう話ではなく……日曜大工を嗜む人々の言い争い。
領邦だと思わされたのは、その内容で。
「竹炭が良いに決まってんだろ!」
「いいや、ヒノキだね。香りが違う」
「ブナ炭のほうが、味がまるい!」
カレワラ式浄水器で、誰がいちばん「おいしい水」を作れるか。
競っていたのはそんな話。
どこまでも平和な眺めであった。
「石の材質、考えろよ」
「三層の礫は、もう少し小さめにするほうが」
魔改造民族……?
懐かしさに、感傷に浸りたくなるような。
「極東と同じよ。ゆとりができれば、いい趣味を覚える。家庭教育で家業を覚えられる。失業対策になり、犯罪も減る。忠誠を強要する必要も無い」
まさに「衣食足りて礼節を知る」、ひとつの理想ではある。
でもそれは、戦争景気の極東や、特別に優遇されている立花家のもとだから成り立つ優しさで。
カレワラ家の支配下にある者は、民兵としての訓練を受けざるを得ない。
戦争は出稼ぎであり、そして……口減らしにもなる。
残った数が適正人口、彼らが農地を継いでゆく。
新産業を興すことができたとして、社会が少し豊かになったとしても。
その「産業構造」は変わらないし、変えようも無い。
「ありがとう、レイナ。参考になったよ」
嘘じゃない。参考にはなる。だけど……。
曖昧な微笑に、フィリアと千早が返してきたのは無表情。
拒否でも軽蔑でもない。これは、信頼。
何を言う必要も無いと分かっている顔。
それでもレイナは食い下がった。
「分かってる。だけどもう一つだけ。前にも言ったけど……自分の思ったとおりに人を動かすのが私たち。それだけは」
「ああ。俺も分かっている……いや、『そのように心掛けている』つもりだよ」
やりとりに、フィリアと千早の目が怒りを帯びた。
年初の後宮騒動と同じ流れ。
「いつまでくだくだしく」、「まだ俺を馬鹿にしているのか」と。
いい加減俺もどうにかしなくてはいけないと、そう思った時に。
「われても末に 逢はむとぞ思ふ」
道端の店から、暖簾(?)を掻き分けて。
聞き慣れた声が聞き覚えのある歌を。
「この歌は、男女のことに限らぬほうが面白いのかもしれんね」
政治姿勢、信条、あるいは生き様。
違う道を歩んでも、厳しく対立しても。
心を添わせることは、できるはず。
「よいお話ですが、なぜその歌を?」
フィリアさん!
男どうしの「ちょっといい話」なんです!どうかご理解を!
はいそこ、酔いどれ中年!
目を泳がせない!こっちを見ない!
「どうせ男同士で、なんかいやらしい話でもしてたんでしょ? にしても、このクソ親父! 何を盗み聞きしてるのよ! 仮にも伯爵が!」
「君らが不用意なのだ。領民には理解できぬ話だろうが、今は南嶺の一行が来ているんだよ? 非正規の『随員』も紛れ込んでいるはずだ」
らしくもなく、政治家らしいことを言い出したけれど。
防諜こそ、ご領主・主人役にお願いしたいところなんですが。
……などと言う間を与えず、その細身の後ろから、やはりすうっと人影が。
「ぬかりござらぬよ。怪しき者は、皆様の周囲から排除してござる」
「ひえっ」と高い震え声。
身体能力に乏しいはずの伯爵閣下、50cmは飛び上がったであろうか。
「これはヒューム君、久しぶり。いや、後宮の庭先で時々会っていたね。それにしても排除ってまさか……」
閣下、そこは強く出て良いはずですのに。
「わが領地で専殺など、してはいまいね?」とか何とか。
ほんと、切った張ったになると、途端に肝を潰すんだから。
「もう5年になりましょうか。閣下から受けたお叱りは、今も胸に留めてござりますゆえ。排除と申しても、『あいこんたくと』で、『あっちへ行け』と申したまで。聞き分けの良い者共で助かってござる」
それはまあ。
条約交渉中に会場周辺で保安要員に手向かうなど、あってはならぬことだし。
言い置いてヒューム、会釈を見せていた。
フィリアの後ろに立つマルコ・グリムに。
どうりであちこちから人の気配がすると思ったら。
「何よみんな、その目つき。館や一族には、さすがに侍衛が張り付いてるから大丈夫よ?」
振り返ったレイナが、丘を指さす。
それが「館」であった。
「大事な会合を取り仕切るんですもの。一族総出で歓迎いたしますわ、皆様!」




