第二十一話 ボーイ・ミーツ・ガール? その1
ハンスがいなくなって落ち込んでいた俺。
そんな俺を、新都をあちこち連れ回すことで、フィリアと千早は励ましてくれた。
その顛末については、いつか機会があったら記そうと思う。
元気を取り戻した頃には、入学の時期が近づいていた。
授業料を払わなくては。
授業料の払い込みは、事務棟で行う。
事務棟は、「龍門」を入って少し歩いたところに建っている。
広大な学園ゆえ、門も複数ある。
以前乗りつけた「正門」と、「赤銅門」は、幹線道路に面した敷地の西側にある。
敷地の東北角には「縄文門」。
なお、敷地の北側には道路を挟んで学園の演習場があり、そちらにも門がある。
「龍門」は、敷地の南側に切られている。
「縄文門」と「龍門」は、王国民の言う「北賊」がかつて建築したもの。縄目模様のトーテムポールのような柱があるから「縄文門」と呼ばれ、門柱の上に龍の彫刻が施されているために「龍門」と名づけられている。
どっしりとした柱の上に乗っている龍の彫刻は、見事なものであった。
車溜りもあり、話を聞いていなければこちらこそが正門だと思ったかもしれない。
「それでは、また後で。」
「フィリア殿、そこの購買で制服を扱っているでござるよ。」
「いいですね、見に行きましょう。」
これは、払い込みを終えた後に、俺が待たされるパターンだ。断言できる。
ともかくいったん二人と別れ、事務棟に向かう。
これも立派な建物だ。結構背も高い。
近づくにつれて、ついつい視線が上がってしまう。
うごっ!
何かが鳩尾にぶつかった。
「ごめんなさい!」
そこはちょうど十字路。
横の小道をダッシュしていた女の子に衝突されたのである。
ぶつかった感触では、体格的にはフィリアと余り変わらない。
こちらの子の方が小さいかも。
しかし何せ鳩尾に当たったもので、しゃがみこまざるを得なかった。
顔を確認する余裕は無い。
女の子はそのまま事務棟へと走り込んで行く。
どうにか立ち上がり、俺も事務棟へ入った。
「修行が足りないわよ、ヒロ。あれぐらい回避しなさい!」アリエルのお叱りの声を耳にしつつ。
払い込み窓口……というか、よろず事務窓口は、すぐに見つかった。
距離はあるものの、玄関を入ってまっすぐに行ったところだったから。
その窓口で、さきほどの女の子が、大騒ぎをしている。
「そんな訳ない!もう一度数えてみて!」
「分かりました。こちらでも数えてみますから、そちらももう一度その……探し直してみてくださいね?」
事務カウンターに積まれた銀貨の山。
授業料が小金貨5枚、入学金・施設利用料が小金貨5枚ゆえ、今年払い込むのは小金貨ならば10枚、大金貨ならば1枚。
これを大銀貨で払おうとすれば100枚になるが……。
あの銀貨の山には、小銀貨も含まれている。
千円札交じりで100万円を支払おうとしているようなものである。
それは足りるの足りないの、という話になるのも当然なわけで。
事務方に回るのは、まさに読んで字の如く、事務的な人であることが多い。
この世界でもそれは変わらない。
冷たい、と言ってしまえばそれはそうだけど、お金を扱う部署だけに、冷静でシビアになってもらわないと困るということもあるわけで。
それでも、この事務のお兄さんは温情対応を心がけてくれている人のようだ。
もう一度ていねいに数え直している。
それを確認しながら、先ほどの女の子、バッグから袋から、ポケットの奥まで確認している。
「……やはり、小銀貨1枚ぶん、足りないみたいです。」
「まさか!」
「まだ入学期日までには2日ありますし、今日お持ちいただいた分については、受取証を出しますよ。」
相手が子供だということもあるだろうけれど、ほんとうに優しいお兄さんだ。
あえて冷静に、受取証を書く準備を始めた。
しかし、女の子は震えている。
「もう、無理よ……。」事務に聞かれたくないのか、後ろを向いて。
見るに耐えない。
子供が、お金が足りなくて泣きそうになって震えている。
おもちゃをねだっているのではないのだ。(そこまで幼くは無いけれど。)
学びたくて学園に通うべく、必死でお金をかき集めて、小銀貨一枚が足りない。
「そういうのって、何か違う」と言われてしまう行動かもしれないけれど。
思わず踏み出してしまった。
「あの!さっきぶつかったときに、ポケットからこれを落とされましたよ!」
小銀貨をカウンターに差し出した。
女の子は顔を上げ、茫然としている。何が起きたか分かっていないようだ。
やはり、フィリアよりもなお小さい。
豊かな栗色の髪。大きな目。フィリアや千早とはまた違ったタイプの美少女であった。
……「美少女」という言葉を用いるには、やや抵抗がある幼さを面に残してはいるが。
事務のお兄さん、女の子に間の悪さを感じさせないように、すかさず銀貨の山を回収しにかかる。
俺に「グッジョブ!」とアイコンタクトをしながら。
「さあ、こちらが全額の領収書です。」
すさまじい速さで書き上げ、ささっと女の子に渡した。
話をする隙を与えまいとしている。
「次はあなたですか?」
「ええ、授業料の支払いに来ました。……3年分です。」
そのひと言をいうのが、なぜか後ろめたかった。
だが、ここで声を潜めたりしてはいけない。
努めて事務的に振る舞い、前だけを向いて、大金貨2枚をカウンターに置く。
「柄にも無くカッコつけちゃって。でもまあ、分かるわよ、ヒロ。」そんなアリエルの声を背にしながら。
事務のお兄さん、やはりすさまじい速さで領収書を書き上げる。
ここはそうしなければならないところ、であろう。
「それでは失礼します。」
そう言ってそそくさと立ち去ろうとしたのだが、部屋の出口で待っていた女の子に呼び止められた。
「ありがとう。」
ポツンと、ひと言。
聞かなかったことにする。
「さきほどは、こちらもボーっとしていて、失礼しました。ご迷惑をおかけしてしまったようですね。お許し願えますか?」
早口で衝突についての詫びを述べる。
交通事故としては7:3で女の子のほうの有責案件だと思うが、そんなことはどうでも良い。
ここは押し切るしかないのだ。
女の子が、すこしさびしげに、笑顔を見せた。
「いえ、私こそ、はしたないところを見せてしまいました。演習でもないのに走り回るなんて。」
理解してくれたようだ。そういうことにする、と。
「玲奈・ド・ラ・立花です。あなたは今年から学園に?」
「ヒロと申します。ええ、今年入学します。」
「それならきっとクラスメートね。レイナ、と呼んでね。敬語もやめにしましょ。」
「ああ、俺のことも呼び捨てで。」
「家名が無い、ということは、あの、庶民の人?入学できるということは、相当優れた異能を持ってるんでしょ?」
そういうことか。貴族は入学しやすいかわりに費用負担を、庶民は費用はいらないけれど、選りすぐられた異能者を。
千早は後者、フィリアは……両方の条件を満たしているんだろうなあ。
言うのを迷ったが、どうせすぐ皆に分かることだ。
「ああ。死霊術師なんだ。」
「すごいね!……働き口には困らなそう!でも、大変じゃないの、死霊術師って。偏見もあるし、生きにくいんじゃ……。」
「俺は人の縁に恵まれたんだ。」
「そっか。身元保証人が良かったんだね。」
少し意味が違うのだが、そちらの意味のほうが自然に感じられる社会なのだろう。
「ああ、アレクサンドル・ド・メル様が身元保証をしてくださったんだ。」
レイナの足が止まった。
ちょうどその時、購買から戻ってきたフィリアと千早に鉢合わせた。
「先に払い込みをして、引換券を持って行ってから採寸なのだそうでござる。」
「お互い知り合いかもしれないけど、紹介するよ。」
そう言って振り返った俺の頬に、すさまじい衝撃が走る。
腰の入った、えぐり込むような平手打ちであった。
「ひどいよ、ヒロ!私を弄んだのね!銀貨一枚で!」
そう言い捨てて、レイナが走り去って行く。
え?何事?
考える暇もなかった。
背中の左、脾臓があるあたりに、ゴリッと杖が押し当てられる。
ゆっくりと俺の目の前に回り込んだ千早。微笑んでいる。
「言い残す事はあるでござるか?」そう、口にしながら。