第二百六十五話 後宮お出入り その1
正月の行事(宴会)ラッシュも終わり、胃腸がようやく落ち着きを取り戻し。
近衛小隊長として、職場である後宮へと足を踏み入れたところで。
優艶なる女官が、にこやかに微笑みかけてきた。
従五位上にも上がったことだし、ようやく俺もちょっとは誘いをかけてみたくなる男になれたかと。やや得意気なる心持ちで、あたう限り爽やかに挨拶を返せば。
すると女官どの、微笑みはそのままに。
「尚侍さまがお呼びです」との、事務伝達。
神様、調子に乗ってゴメンナサイ!
どうにかできないものでしょうか!
(君の神様なら、ここにいるじゃん)
獲物を前にした三毛猫が、しっぽをゆらりゆらり。
諦めるほか仕方がない。
赴いたお局の庭には、うっすらと雪が降り積もっていた。
歩を進めるかそけき音すら吸い込まれ、視覚が強調されるゆえもあろうか。雪のまばゆき白と南天の鮮やかな赤と、その対照に目を奪われたのもほんの束の間、御簾の前にて平伏すれば。
「そのようにご遠慮なさらず。さあどうぞ中へ」と、伸びやかなアルトの声音。
誘われるまま中に入れば、こちらは華やかで色鮮やかなお部屋であった。
が、尚侍とは、陛下の愛人であると同時に、後宮(奥)の「事務総長」。
そのことを実感させられる光景が、眼前に広がっていた。
正面には、颯爽たる風姿の尚侍さま。
そして向かって左手前の席に、小柄で愛らしい……小悪魔系少女。
レイナ・ド・ラ・立花典侍さまが陣取っていた。
するとその上座、残りの3つの席はこれ、先任典侍に間違いなかろう。
レイナの対角線……こちらから見て右、尚侍さまに近い席が筆頭典侍か。
涼やかな目、いや、鋭い眼光が眼鏡を透かしてこちらを射る。
美人には違いないけれど、その居住まいは「見るからに官僚」で。
陛下の愛人を兼任してはいないという話も、どことなく頷けるように思えた。
筆頭の向かいに座る次席典侍は一転、愛嬌溢れる垂れ目の女性であった。
レイナの向かいが三席典侍、これはほっそりした、まだ少女と言って良い年頃の女性。
こちらふたりは陛下の愛人、やはりどこか「おくゆかしき」(「そそられる」などという剛速球を使わせぬための便利な言葉だと思う)ところを具えた女性たち。
さすが「奥」ともなれば、いろいろなタイプを取り揃えているものだ。男なら一度は夢見るハーレムライフ……おっと、だまされてはいけなかった。かりにも「典侍」の位にある以上、色気があっても幼く見えても、切れ者の事務官であることだけは間違い無いのだから。王国女性を代表する知性の一角なのだ。
机は与えられていないものの、さらにその手前にもふたりの女官が侍していた。
向かって右側の女性が、軽く会釈を見せる。顔見知り、大蔵卿宮さまお付きの「幹部」女官であった。宮さまの母君である王后陛下との連絡係を務めている。
向かって左側の女性は、ほんとうに事務官か!?というぐらいにその、「蠱惑的」な女性であった。
その手の女官は、まず大概「王妃殿下付き」と思って間違いない。それが後宮に出入りする官僚達の共通認識である。
すると。いまここには「奥の七英」その関係者が勢揃いしていると。
七大悪魔? 寡聞にして私は存じませぬ。
周囲にもお付きの女官たち、まさに美女尽くし。
気を抜くと緩まずにはいられなくなる頬。
その奥にある歯を噛み締め、必死にしかつめらしい顔を作り。
「お呼びに応じて参上つかまつりました」
「ご昇任おめでとうございます、カレワラ男爵閣下」
と、いろいろと挨拶をやりとりいたしまして、さて本題。
「お呼び立てしたのは、他でもありません。まずはこちらを……」
その声に応じて、蠱惑系女官が正面に近づいて来た。
鼻の下を伸ばさぬよう、ますます表情筋を引き締める。
そして手渡されたのは、製本された「草紙」の如きもの。
視線と意識をそちらに集中したところで。
受け取った俺の手の甲を、すうっと指が撫でて行った。
女官どの、自分の体で作った死角の陰で悪戯を仕掛けてきたのである。
驚いて顔を上げれば、赤く上気した目のふちと、緩んだ口元。
こちらの表情が崩れかかれば、それを見計らったかのように、さっと身を翻す。
正面に現れたるは……眼神炯々たる尚侍様。
面を伏せる。
「確かに受け取りましてございます。拝見してよろしいでしょうか?」
渡されたからには、「読め」と言われているのだけれど。
間の抜けた問いを発してごまかさざるを得なかったのであった。
知ってか知らずか、許しが下る。……いや、バレてるなこれは。
レイナの小鼻が皮肉に動いているもの。
ともかくその草紙、眺めてみれば。
昨年末の「展示即売会」にゆかりの品であること間違い無し。
いわゆる「百合本」、それも「ナマモノ(実在人物をモデルにした本)」。
とは言え、えげつない描写など皆無であって。感じられるのは対象に対する尊敬と愛情、そして描き手の慎ましさ。
日本で言えば、その。「宝塚ファンが、憧れのままにSS書いて絵をつけた」とか、そんなノリであろうか。
「いかが思われました?忌憚なきご意見を伺いたく」
ご容赦願えないものでしょうか。
正直な感想、求めてないですよね?「模範解答」、ひとつしかないんでしょう?
(上手いね、この絵師。誰?)
よし、それだピンク!
「巧みな筆遣いかと存じます」
尚侍の片眉がひくりと動いた。
筆頭典侍の眼鏡が光る。
次席は微笑を崩さず、三席は先ほど来視線を合わせようとせず。
末席のレイナは呆れ顔。
「……と、その、あの。私の幽霊がそう囁いています」
甲殻の中に引き籠りたい気分である。
「これを描きましたのは、イオ様(三席)の女房(お付き女官)でしたわね?」
「描き写させたのです、カリンサ様(次席)」
わざわざ「写させた」と強調しつつ反論しているからには。
皆さん、この草紙に不快感を覚えていらっしゃる?
ことに主役……「男役」を張っていた、後宮の一大権力者である尚侍サマが?
よし、正解が見えた!……と、思いたいけれど。まだちょっと怖いから。
「すると、原本が存在するのでしょうか」
雑談を挟むことで、少しだけ間合いを外そうと試みれば。
同門に素早く間合いを詰められた。
「ええ。写しは尚侍さまが見込まれた公達、殿上人の皆さまにお渡ししています。ヒロさんも、どうぞお手元に」
競争だとおっしゃいますか、レイナさん。
気が進まないからと逃げ腰になれば、「覚えめでたからず」と。
「調べて参ります」
「これは頼もしきお言葉」
「まさに千鈞の重みですわね」
「やはり紳士にお任せするのがいちばん」
後宮の華が、一斉に俺……ではなく、レイナに微笑を送っていた。
言質を取るのが、「大将首」か。
ま、友人に手柄を立てさせたと思えば。
そして勤務先に帰ってみれば。
「やあヒロ君、君もかね」
「シメイ!分かってたなら先に教えてくれよ!」
「みな冷や汗をかいたのだ。君だけ免れたのでは、フェアではあるまい」
呼び出されていたのは、後宮に出入りする「若手」の大部分。もっとも六位蔵人のような、身分的には「若手」でも年齢・能力的には「ベテラン」という面々は、新年の洗礼を受けずに済んだ模様。
やはり呼び出されたミカエル・シャガール、ため息をついていた。
昨秋六位でありながら翰林学士に任命された男は、この春順当に六位蔵人に任命されていた。
「同じ六位蔵人でも、私は軽輩扱いと言うことでしょうか」
「おや、ミカエル君は我ら若輩と同列に扱われるのがご不満かな?」
「これは失礼を致しましたシメイ様! このミカエル・シャガール、感動に打ち震えております!」
芝居がかった言動がとにかく似合う。
彫りの深い顔を活かした派手な服装、そして目立つ言動。
それを愛嬌・隠れ蓑にして辣腕をふるう。
「馬鹿馬鹿しい。こんなもん、まともに取り合う必要あるのか?」
俺と同じく、今年の春付けで近衛担当の小隊長に任ぜられたエドワードが声を挙げた。
「政治や軍事と何の関係がある? 女の顔色窺うなんて、俺は嫌だぜ」
「善言だ、エドワード君。我ら官吏が論ずるべきは天下の経綸、翩々たる紙葉に煩わされるべきでは無い」
イーサンは、マジメではあるけれど。
不必要に「正論を振りかざす」ような真似をする男ではない。
現に浮かんでいる表情は「怒り」ではなく……ミカエルと同じ「芝居ヅラ」。
「その心は?」
と、水を向ければ。
「職掌柄、僕らが後宮に出入りするのは当然だが。それだけでも折に触れ、いろいろ言われるんだ。ここで『女官の皆さまのためにまめまめしく働いた』などと聞こえては、奥様のご機嫌が」
「では無視なさるのですか、デクスター閣下?」
「『それはそれで怖い』。そうだろう、ミカエル君? 『気の回らぬ不調法者です。調べがつきませんでした』と言い訳して、皆さまにお詫びの品でも届けるさ」
公達はおおらかなぐらいのほうが良いとされる。
気が回りすぎるようでは、少々「せせこましい」のである。
「クソっ!金持ちめ!」
「エドワード君はご機嫌を取る必要など無い。『男らしい』と言ってもらえるさ。しかしもったいないことをするものだ。後宮の女性と近づきになれるチャンスだと言うのに」
働けば「誠実な方」と言ってもらえる。そうだろう、シメイ?
イケメンはいつだって得なのである。
「ええ、拾えるチャンスは全てつかみに行きませんと」
ミカエルとシメイでは、「チャンス」の意味が違う。
分かっていて堂々と「私はガツガツ行きますよ?」と公言するのがこの男のスタンス。
しかし、チャンスも何も。
草紙だけ渡されて、犯人は誰かって言われても、ねえ?
……と、まあ。何の気なしにパラパラめくっていたところ。
「カレワラ閣下、抜け駆けなさいますか?」
いちいちアクの強い言い方をしなくても良かろうに。
返答するのも面倒なので、そのミカエルと前向きなシメイを手招きし。
3人、草紙を広げて眺めれば。
「しかし、つまらぬ絵だと思わないかい?」
「そういうものか、シメイ? 上手だと思ったんだけど」
「いや、ヒロ君。技術は素晴らしい。だがこちらに『迫る』ものが無い。オサム伯父の言葉を借りるならば、『本物ではない』のだよ」
「やはり『模写』だからでしょうか……そう思って見比べてみれば……?」
口ごもったミカエルもシメイも、俺も気づいた。
同一人物が、「捜査資料」として作成した模写であるにも関わらず、3冊の草紙は微妙に異なっていて。いや、細部まで一致してはいるのだけれど、何かが違う。
「エドワード、イーサン! 使わないならその草紙くれないか?」
並べてみると。
最後に渡された模写が、いちばん「上手い」。
こなれてきたとか、そういうことではなくて。
「本物」ではないにせよ……「迫るもの」がある。
「おもしろいね。何か気持ちが乗ってきたのかな? 原本とはどう違うんだ?」
「良いことを言った、ヒロ君。『原本を見なくては分かりません』、その口実でもう一度女官衆に会えるではないか!」
しかしもう一度行くのは、なかなかに気が重い事態であったので。
シメイを盾に取り、ミカエルと3人で訪問する運びとなった。




