第二百五十五話 綺麗ごと その1
俺が注文したのは、「千歯こき」の発展形、「足踏み式脱穀機」であった。
昔、実家の蔵……という名の「物置」の中に入っていたのを思い出したもので。
足でペダルを踏み、その力をベルトによって回転に変え、脱穀する。稲にも麦にも使える便利な農機具。
「これぐらいの発明ならば、社会に対して不自然な改変を加えることにはなるまい」という思惑もあった。
回転運動については、異端審問官オーギュストの父の影響もあってか、王国では研究が進んでいるから。
だが、そのインパクト不足が祟ったか。フィリアと千早の食いつきは悪かった。
「なるほどこれは便利ではござるが……」
「ええ。病気を治したり、収量を上げたり。そういう画期的なものではありませんね」
痛いところを的確に抉ってくる。
確かに、これによって「腹が膨れる」とか、「新たな稼ぎになる」とか。そういう代物ではない。
しかし。脱穀とは古来、非常に手間ひまがかかる作業なのであって。
「大幅な時間短縮になるだろう? その余った時間に取り組ませるべき新産業は、これから考えていくさ。少なくとも、民兵の訓練や読み書き計数の教育に回せるじゃないか」
そう。QOL(生活の質)向上に役立つのである。
領主の儲けにはならないけれど、働いている百姓衆の立場で見れば、時給アップと同じこと。
「極東にダグダ、中近東の王国直轄領にメル本領。見比べて思ったんだ。国民の生活の質は、社会の質……治安、衛生状態、経済。ひいては風儀や兵の体力、そして気力にまで直結する。違うか?」
ろくでもない社会、ろくでもない国。
そんな国を「愛する心を持て」と命じたところで、聞いてもらえるはずもない。
でも「食っていける」、「将来に希望が持てる」社会なら、誰が強制しなくとも愛される。守りたくなる。
大戦に勝つことができたのは、極東の社会が健全だったからだ。
王国の統治に納得しているから、民兵が参加してくれた。後で補償がなされると信じているから、素直に食糧を提供してくれた。
「局地戦で勝ち続け、長引かなかったことが最大の要因にござろう?」
「情報統制もしていましたからね」
くさい話だからって、テーマを戦術論に卑小化するんじゃない!
戦略、さらにその前提となる政治の問題として、そういうことだと思いません?
「む、いかにも。なれどこの発明品、まこと役立つのでござるか?」
「今シーズンの導入は見送ります。まずは経過観察を」
こういうところ、ふたりは紛うことなく領邦貴族。シビアなのである。
ともかく。稲の収穫期前に、各村に一台ずつ配ることができた。
ユルを通じて、報告が上がってくる。
「非常に便利だと評判です。兵の調練に使える時間が増えました」
ほれ、どんなもんよ!
……と、思っていたのだが。やがて風向きが変わってきた。
「小さな衝突が起きたそうです」
気まずそうに、人の良い顔を俯けるユル。
「未亡人に対する風当たりが強くなっている」とのこと。
かばおうとした村人が、「何だ、怪しいぞ?」などと言われ激昂する。
殴り合いになった村も出たとか。
……理由だが。
落穂拾いは、未亡人の「権益」である。
面倒な脱穀作業の際、近所の家々を手伝うことで、落穂を含めた余禄を受ける。
それは洋の東西、いや世界線の違いすら問わぬ、「社会福祉」なのだけれど。
脱穀が短時間で、労力を要さず行えるようになったため、未亡人の手伝いが不要となった。
彼女たちは、落穂を受ける「根拠」を失ってしまったのだ。
「脱穀作業の手伝いをせずに済んだのだから、落穂はやれない」と言い募る者が出る。
「情の無いことを言うもんじゃない/何がどうあれ、しきたりは守るべきだ」と言い返す者が出る。
時間と労力が短縮されたため、面倒な「無価値物」であった落穂にまで、経済価値が出てくるようになった。
それは好ましいことのはず、なんだけど……。
忘れていた。
「技術革新は、必然的に失業者を生む」ということを。
QOLを上げようとして、社会の幸福度を高めようとして。
俺の施策は諍いを生み、社会に亀裂をもたらした。
死人が出るような騒ぎではない。
殺伐とした王国社会では、「諍い」とも言えぬほどの「摩擦」、いや「じゃれあい」に過ぎぬのかもしれない。
だが。言い争いの「質」が悪い。
「弱者」に攻撃が向かうこと、その意識が「社会の表に浮上する」こと。
これは非常にまずい。社会を、人を、深いところで腐らせる。
建前は社会の潤滑油だ。「本音を、実相を、正直に口にする」ことは、決して美徳ではない。
「口にするのも憚られる」という定型表現が、その機微を教えてくれているではないか。
落穂の無駄を排除する「脱穀機」は、便利すぎた。
米ひと粒、麦ひと掴みのありがたさを知る村人の目を眩ませ、建前を口にする余裕を……「美徳」を、奪ってしまったのだ。
主君たる、この俺が。
……カレワラ幹部衆の視線に、我を取り戻す。
正面に立つ青年、いや少年の顔は、土気色に変わっていた。
俺の気色がよほど険悪だったのだろう。
目が合ったユル、拙い口舌で必死のフォローを始めた。
「各村・集落では、『今年は例年通り』という方針です! 『しきたりゆえ、来年以降も維持に努めます』と申しておりました!」
応じて命を下そうとして、声がかすれた。
口の中が乾ききっていた。
「こちらからも指示を出せ。今後もしきたりを維持するよう、申しつけよ」
言葉を切り、目をつぶれば。
細い声が聞こえてきた。
「そのう……」
新規採用、刀匠ランツであった。
「取扱説明書」……高圧的に接すると萎縮する男だということを、思い出す。
どうにか取り繕い、できる限り「穏やかな顔」を作れば。
「それは村々で決めるべきことかと。ご領主様が『降りて』行きますと、後々の調整が難しくなります」
忘れていた。
貴族と平民は、それぞれに権限を分配しつつ社会を形作っている。
あえて越権に踏み込むなら、影響を十分に研究し準備を重ね、覚悟をもって。
怠れば、また別の形で社会に軋轢を生む。
だが。それはつまり。
混乱を生んだ俺は、そのままでは自分の尻を拭うこともできないということだ。
どうすればいい!?どうすれば!
「たかが落穂」と突き放すのは……貴族的ではあろう。
民の生活を知らぬという意味においても。
彼らが「落穂」を快く譲れる、その経済的余裕を作らなければ!
「新産業を! 空いた時間を、空いた人手・雇用を吸収できる事業を! 7月、皆に申し渡したはずだ!何か考えておくようにと!」
立ち上がったつもりが、目の前が暗くなった。椅子に足を取られ転倒しかけた。
慌てたユルの足音が……地響きが、近づいて来る。
「構うな! ただの立ちくらみだ!」
執務机に縋るようにして、再び椅子に身を預ける。
気を利かせたランツが、「お茶の時間です」と言いながらユルの肩を叩く。
幹部衆が退出してゆく。
情け無い限り。俺の責任だというのに。
どうする?
誰かに知恵を借りるか?
フィリアと千早は、いったん王宮に、雅院に帰ってしまった。
……いや、これは俺の、磐森の問題だ。彼女たちに聞くなんてマネができるか!
李老師?
いまは王都の南端で「西堂」建設の指揮を取っている。
いやそもそも、フィリアの言葉ではないが、「宗教は縋るものじゃない」。
来春には天真会も磐森に入り込むのだ。弱みを見せるわけにはいかない。
気をつけていたのに……社会に混乱を起こすまいと。
俺の目標は、ジーコ殿下が言っていた「調和」だったのだ。
今になってやっと、そのことに気づいた。
長く主君不在であったカレワラ家、磐森郷。「小さいなりに、堅い団結を」と思っていたのに。
言語化できぬまま、目標を明確化せぬまま、具体的な施策ばかり気にしていた。
主君が方向性を指示もせず、郎党衆が新事業を思いつくはずが無いではないか。
ともかく、紛争を解決しないと……。
俺の背中を見ている者たち、有事に手足となるべき者たち。
その団結を溶かすのは、自らの手足をバラバラに引き裂くのと同じこと。
何も善人ぶろうと言うわけではない。
封建社会の農民は、おとなしい存在ではないのだ。貴族は船、民は水。気を緩めればひっくり返される。彼らが叛旗を翻すかも知れない、村まるごと逃げ出すことも考えられる。
それは極論に属するかもしれない。しかし失政がひとつひとつ積み重なろうものならば……ダグダの荒野は、遠い国の話ではないのだ。
経済さえうまく行けば良い。金があれば人はケンカしないのだから。
金を、物を回すためには……。
新産業……社会構造に影響を出さない、雇用を吸収できる新産業……。
気づけば同じ事ばかり。繰言ばかり。
堂々巡りから抜けられなくなった思考を断ち切ったのは、ノックの音であった。
「お茶をお持ちしました」




