第十八話 新都にて その2
ハンスの債権者、ベルンハルト・ブルグミュラー氏に会うべく、ブルグミュラー商会に向かった。
あらかじめアポイントメントを取ったうえで。
「懐かしいなあ。ここを出たのが、もう随分昔のことみたいだよ。半年かそこらなのに。」
ハンスがつぶやいた。
「大旦那さま、元気にしていらっしゃるかなあ?」
通された部屋に、「大旦那さま」こと、ベルンハルト・ブルグミュラー氏がいた。
「ハンスを看取ってくださったとか。その上わざわざこちらまで……まことに相すみません。」
商会の会長・大旦那と言う割には、随分と腰の低い人だった。
まあ、手紙を書いたのがフィリアだからなあ……。
腰が低いだけでなく、なんと言うかその……。
大仰な名前の割には、随分と貧相な人だった。
小柄で痩せている。
いや、貧相とは違うか。
小柄で痩せてはいるが、どこか清げな人だ。商人と言うよりも、ご隠居さんとかお坊さんといった雰囲気の人であった。
一通り自己紹介を済ませた後、事情の説明をした。
「死霊術師として、私がハンスさんと契約を交わしました。『新都のブルグミュラー商会の会長にお金を届ける代わりに、ギュンメルから新都までの旅の手助けをしてもらう』という内容です。こちらが返済金、大金貨3枚となります。」
「本来ならば、受け取るべきではないお金です。ハンスは死んでしまったのですから。それでも、ハンスを看取ってくださり、わざわざここまで来てくだすった。ヒロさん、あなたは義理堅いお人だ。ハンスとの契約を破らせることはご迷惑になりますね。」
ブルグミュラー氏が、金貨を押し頂いた。
「しかし……まさかハンスが、大金貨を持ってくるとは!貸したときには小金貨30枚だったのです。その方が行商には使い勝手が良かろうと思いまして。返ってくるときには銀貨交じりかもしれないな、なんて思っていたのに。すぐに返せなくても良い、少しずつ返済してくれれば、と思っていたのに。あの要領の悪いハンスが……。」
涙声になっている。
「すみません、取り乱しました。ハンスは、お役に立ちましたか?みなさんの足を引っ張るようなまねはしませんでしたか?」
「ええ、ハンスさんがいてくれて、助かりました。女性二人との旅でしたから、ハンスさんという若い男性が話し相手になってくれて……。彼の軽口には、随分と救われました。旅の詳細は、こちらの帳簿兼日記に。ハンスさんはペンを持てないので、途中からは私の口述筆記によるものです。」
「ハンスは、とにかく要領が悪かったのです。その分、堅実・几帳面・愛想の良さを忘れぬようにと、やかましく叱り付けていました。」
「ええ、愛想が良くて口が回る人です。でも軽薄ではなくて、臆病なぐらいに堅実で、几帳面な人です。」
「……そこにいるのですか?」
「はい、私の隣に。」
堪え切れなくなったようだ。
ブルグミュラー氏が、嗚咽を漏らし始めた。
「この馬鹿者!あれほど堅実に、安全にと言っていただろう!皆様にご迷惑をおかけして!やっと独立してこれからだったというのに……。若い者が先に逝くなんて……。」
ハンスも面を伏せている。
「申し訳ありません、大旦那様。まことに申し訳ございません。」
「ヒロさん、皆さん、ありがとうございます。ハンスをここまで連れ帰って来てくだすって。さあハンス、独立にはしくじっても、ここはお前の家だ。よく帰って来てくれた。」
「大旦那様!」
ブルグミュラー氏には、ハンスが見えていない。ハンスの言葉も聞こえていない。
それでも、ハンスがそこにいると固く信じているのだ。
良かったな、ハンス。
両親に死に別れていても、お前には確かに親御さんがいたんだ。
「……ハンス殿、みごと宿願を果たされましたな。」
「もう、思い残した事は、ないですね?」
俺には口にできなかったこと。
商会の敷居をまたいでから、あえて避けてきたこと。
フィリアと千早は、そこから逃げない。
ハンスとの別れの時が来ているのだ。
ブルグミュラー氏の顔が、ひきつった。
「あの、もし……」
「生者と死者とは、世を異にするものでござる。」
「どうにかなりませんか!?せっかく帰ってきたのに!」
「最後にひと目お会いしていただく、そのためにこちらに伺ったのです。本来ならばあってはならぬはずの機会です。」
「ヒロ殿は、人情を示してござる。義理も果たさねば成らぬのでござる。」
「人情と義理」の言葉に、ブルグミュラー氏は、頭をガクンと垂れた。
それを言われてしまっては、どうにもならないということか。
彼が歩んできた商売の道は、そこを通るものだったのか。
「皆様に……ご迷惑はかけられません……。」
ブルグミュラー氏は納得してくれたが、今度はここまで大人しかったハンスが、収まらなくなった。
「いやだ!ヒロ!ここにいさせてくれ!大旦那さま、あんなに痩せてしまって……。俺は何も恩を返せなかった!せめて、せめて商会を見守るだけでも!頼む!なあヒロ、アリエルはお前が死ぬまで、って契約なんだろう?俺も頼むよ!契約を延長してくれ!」
ハンスが俺にすがりつく。
「死にたくないよ!まだやりたいことがたくさんあったんだよ!怖いよ!死んだらどうなるんだよ!」
「もう、死んでいるじゃないか?」
どうにかしたくて、必死で軽口を叩く。
窓に映る俺の顔は、こわばっていた。
フィリアにも、千早にも、ブルグミュラー氏にも、俺の窮状が伝わっているのだろう。
本来ならばハンスを叱り付けているであろうブルグミュラー氏が、うつむいて震えている。
期待しているのだ。口に出してはならないと、必死に我慢しているだけで。
フィリアが、杖をかざした。
いけない、これは俺の仕事だ。
「いやだ!ヒロ!お願いだ!」
「済まない、ハンス!」
腰に下げている鉈の柄に、手をかける。
手が震える。どうして抜けないんだ。
「死にたくない!助けてくれ!」
ハンスが後ろを向いて逃げ出した。
「ハンス殿、さあ、こちらへ。」
千早が手を広げた。
はっとするほど美しい、慈愛に満ちた微笑をそのほほに浮かべて。
思わず硬直するハンス。
その体を両手で引き寄せ、優しく抱きしめる千早。
「怖いことなど、ないでござるよ。」
千早はハンスの背をそっと抱きしめ、やさしく腕を腰に回し……
両腕に一気に力を込めて、ハンスの体をへし折った。
一瞬苦悶の表情を浮かべ、砕け散るハンス。
その破片の中から再び、ハンスの姿がゆるやかに浮かび上がってきた。
「ゴメンな、ヒロ。ありがとう。」口が、そう、動いている。
そしてハンスは消えて行った。
最後まで「大旦那さま」を見つめながら。