表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

75/1237

第十八話 新都にて その2


 ハンスの債権者、ベルンハルト・ブルグミュラー氏に会うべく、ブルグミュラー商会に向かった。

 あらかじめアポイントメントを取ったうえで。


 「懐かしいなあ。ここを出たのが、もう随分昔のことみたいだよ。半年かそこらなのに。」

 ハンスがつぶやいた。

 「大旦那さま、元気にしていらっしゃるかなあ?」


 通された部屋に、「大旦那さま」こと、ベルンハルト・ブルグミュラー氏がいた。

 「ハンスを看取ってくださったとか。その上わざわざこちらまで……まことに相すみません。」

 

 商会の会長・大旦那と言う割には、随分と腰の低い人だった。

 まあ、手紙を書いたのがフィリアだからなあ……。


 腰が低いだけでなく、なんと言うかその……。

 大仰な名前の割には、随分と貧相な人だった。

 小柄で痩せている。

 いや、貧相とは違うか。

 小柄で痩せてはいるが、どこか清げな人だ。商人と言うよりも、ご隠居さんとかお坊さんといった雰囲気の人であった。



 一通り自己紹介を済ませた後、事情の説明をした。


 「死霊術師(ネクロマンサー)として、私がハンスさんと契約を交わしました。『新都のブルグミュラー商会の会長にお金を届ける代わりに、ギュンメルから新都までの旅の手助けをしてもらう』という内容です。こちらが返済金、大金貨3枚となります。」


 「本来ならば、受け取るべきではないお金です。ハンスは死んでしまったのですから。それでも、ハンスを看取ってくださり、わざわざここまで来てくだすった。ヒロさん、あなたは義理堅いお人だ。ハンスとの契約を破らせることはご迷惑になりますね。」


 ブルグミュラー氏が、金貨を押し頂いた。


 「しかし……まさかハンスが、大金貨を持ってくるとは!貸したときには小金貨30枚だったのです。その方が行商には使い勝手が良かろうと思いまして。返ってくるときには銀貨交じりかもしれないな、なんて思っていたのに。すぐに返せなくても良い、少しずつ返済してくれれば、と思っていたのに。あの要領の悪いハンスが……。」


 涙声になっている。


 「すみません、取り乱しました。ハンスは、お役に立ちましたか?みなさんの足を引っ張るようなまねはしませんでしたか?」

 


 「ええ、ハンスさんがいてくれて、助かりました。女性二人との旅でしたから、ハンスさんという若い男性が話し相手になってくれて……。彼の軽口には、随分と救われました。旅の詳細は、こちらの帳簿兼日記に。ハンスさんはペンを持てないので、途中からは私の口述筆記によるものです。」

 

 「ハンスは、とにかく要領が悪かったのです。その分、堅実・几帳面・愛想の良さを忘れぬようにと、やかましく叱り付けていました。」 


 「ええ、愛想が良くて口が回る人です。でも軽薄ではなくて、臆病なぐらいに堅実で、几帳面な人です。」


 「……そこにいるのですか?」


 「はい、私の隣に。」


 堪え切れなくなったようだ。

 ブルグミュラー氏が、嗚咽を漏らし始めた。

 「この馬鹿者!あれほど堅実に、安全にと言っていただろう!皆様にご迷惑をおかけして!やっと独立してこれからだったというのに……。若い者が先に逝くなんて……。」


 ハンスも面を伏せている。

 「申し訳ありません、大旦那様。まことに申し訳ございません。」


 「ヒロさん、皆さん、ありがとうございます。ハンスをここまで連れ帰って来てくだすって。さあハンス、独立にはしくじっても、ここはお前の家だ。よく帰って来てくれた。」


 「大旦那様!」


 ブルグミュラー氏には、ハンスが見えていない。ハンスの言葉も聞こえていない。

 それでも、ハンスがそこにいると固く信じているのだ。


 良かったな、ハンス。

 両親に死に別れていても、お前には確かに親御さんがいたんだ。


 

 「……ハンス殿、みごと宿願を果たされましたな。」


 「もう、思い残した事は、ないですね?」



 俺には口にできなかったこと。

 商会の敷居をまたいでから、あえて避けてきたこと。


 フィリアと千早は、そこから逃げない。



 ハンスとの別れの時が来ているのだ。



 ブルグミュラー氏の顔が、ひきつった。

 「あの、もし……」


 「生者と死者とは、世を異にするものでござる。」

 

 「どうにかなりませんか!?せっかく帰ってきたのに!」 


 「最後にひと目お会いしていただく、そのためにこちらに伺ったのです。本来ならばあってはならぬはずの機会です。」


 「ヒロ殿は、人情を示してござる。義理も果たさねば成らぬのでござる。」


 「人情と義理」の言葉に、ブルグミュラー氏は、頭をガクンと垂れた。

 それを言われてしまっては、どうにもならないということか。

 彼が歩んできた商売の道は、そこを通るものだったのか。


 「皆様に……ご迷惑はかけられません……。」


 

 ブルグミュラー氏は納得してくれたが、今度はここまで大人しかったハンスが、収まらなくなった。


 「いやだ!ヒロ!ここにいさせてくれ!大旦那さま、あんなに痩せてしまって……。俺は何も恩を返せなかった!せめて、せめて商会を見守るだけでも!頼む!なあヒロ、アリエルはお前が死ぬまで、って契約なんだろう?俺も頼むよ!契約を延長してくれ!」

 

 ハンスが俺にすがりつく。

 「死にたくないよ!まだやりたいことがたくさんあったんだよ!怖いよ!死んだらどうなるんだよ!」


 「もう、死んでいるじゃないか?」

 どうにかしたくて、必死で軽口を叩く。

 窓に映る俺の顔は、こわばっていた。


 

 フィリアにも、千早にも、ブルグミュラー氏にも、俺の窮状が伝わっているのだろう。

 本来ならばハンスを叱り付けているであろうブルグミュラー氏が、うつむいて震えている。

 期待しているのだ。口に出してはならないと、必死に我慢しているだけで。

 

 フィリアが、杖をかざした。

 いけない、これは俺の仕事だ。 


 「いやだ!ヒロ!お願いだ!」


 「済まない、ハンス!」

 腰に下げている鉈の柄に、手をかける。

 手が震える。どうして抜けないんだ。


 「死にたくない!助けてくれ!」

 ハンスが後ろを向いて逃げ出した。


 「ハンス殿、さあ、こちらへ。」

 千早が手を広げた。

 はっとするほど美しい、慈愛に満ちた微笑をそのほほに浮かべて。

 

 思わず硬直するハンス。

 その体を両手で引き寄せ、優しく抱きしめる千早。 

 「怖いことなど、ないでござるよ。」


 千早はハンスの背をそっと抱きしめ、やさしく腕を腰に回し……

 両腕に一気に力を込めて、ハンスの体をへし折った。


 一瞬苦悶の表情を浮かべ、砕け散るハンス。

 その破片の中から再び、ハンスの姿がゆるやかに浮かび上がってきた。

 「ゴメンな、ヒロ。ありがとう。」口が、そう、動いている。

 

 そしてハンスは消えて行った。

 最後まで「大旦那さま」を見つめながら。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ