第二百五十二話 新任中隊長 その5
型稽古披露の当日。
ティムル・ベンサムが持ち込んだ刀は、日ごろ見慣れぬ拵えであった。
近衛府に出入りする際に佩く名刀でもなく、現場で用いる三尺の剛刀でもなく。
見咎めた俺に答えて言うには、「刃引きの刀です」とのことで。
見ればなるほど、薄く刃を潰してあった。
「『鋭』を強調しない流派ゆえか」と思いもしたが、心が波立たなくも無い。
「そちらに何かあっては大変ですから。……私は全て、捌き切りますけれどね?」と言われているのも同然だから。
向こうは千早に準ずる達人ゆえ、こちらの思いは即座に伝わる。
口角を小さく上げ、皮肉な表情を見せている。
そんなティムルを前にすると、身の内から立ち昇る「何物か」を、意識せずにはいられなかった。
小さな戸惑いを解き明かしてくれたのは、やはり朝倉で。
(それが武人の意地、流派の重みなんだよ。 王都でも名高い東方三剣士、塚原、真壁、松岡。ヒロ、お前はその許しを受けた切紙だ。……分かってんだろうな?)
気合がじわりと吹き上がる。
取り巻きのひとりが、中隊長を背にかばった。
さすが元王子殿下の護衛、最低限の心得はあると見える。
「見ておけ、中隊長殿。これが武人の型稽古だ」
煽るエドワードに軽口を飛ばす余裕など無かった。
ティムルが披露したのは、打ち合わせとは違う「型」だったから。
三尺の刀を用いる、実戦形式。
……だからどうした?
三剣士から教わった型は、ことに松岡流は、間合いの範囲を絶対防御圏とする剣術だ。
破れるものなら破ってみろ!
と、言いたいところだが。
松岡先生ならぬ身では、なかなかそうも行かないもので。
ティムルは30代も半ば、円熟期に入りつつある剣士だ。
その刃風は鋭く、流派特有の分厚い粘りに消耗を誘われる。
「型」を用いてひとつひとつ弾き飛ばすも……その剛剣はこちらの身に近づいて来る。
振りかぶるティムル。
あわせて朝倉を振り下ろす俺。
合し撃ちとなるべきところ……ティムルの剣が「伸びた」。
頸元へと迫るその「行き」を腕力で押し返すも、かなわず。
ティムルの一刀は、俺の頬に及んでいた。
熱い痛み、続いて生温かい感触。
打太刀を務めて受けきれず、か。
身を寄せたティムルが囁く。
「私は大尉。小隊長のヒロさんが打太刀を務めるのも、ひとつの作法ではありましょうけれど」
納得が行かぬと。
打太刀(防御側)は、身分高き者ではなく上級者が務めるもののはず。
それが「武人の理屈」だ。
言い捨てて所定の位置に下がり、一礼を施してきたが。
こちらもこのままでは引き下がれない。
「それでは中隊長殿、続いて打太刀(防御)と仕太刀(攻撃)を交替しての型稽古を披露いたします」
茫然と眺める少年の顔になど、俺は一瞥もくれなかった。
ティムルの言うとおりだ。近衛の作法など、いまはどうでも良い。
身の内からさらに吹き上がる「気」。
受けてティムルも、殺気を吹き上げた。
心得ある連中が身を乗り出す。
師範がそれぞれ、得物を構えた。万一の事態が起きたときに介入するため。
初っ端から渾身の気合で撃ち込めば。
鉈の如く分厚い刀身を持つ、刃引きの三尺に迎え撃たれ。
斬るのではなく、叩くかのような一撃になっていた。
ティムルが歯を見せる。
ああそうだ。いまのは出来が悪い。力みすぎた!
それでも流れに乗らねばどうしようもない。
力任せに振り下ろし、まずは斬り分かれる。
……正しい軌道を、下半身と体幹からの力を乗せて。
……力みを抜いてこそ、強い力が加わる。
抜けて返した刀身に映るティムルの目は、険しいものに変わっていた。
刃を滑らせるようにして間を避けにくる。
逃がさぬように再び撃ち下ろせば。
五分の斬り分かれ。
打太刀と仕太刀、その力関係が理想的な状態にある証だ。
やはりティムルは一段がた、俺の上を行っている。
その思いに反応した朝倉が、霊気を吹き上げかけるも……押し留めた。
(てめえの力でやって見せると?……なら余計なことを考えてんじゃねえ!型は何のためにある!)
攻撃をしのぐため。
敵を斬るため。
それを専一に想定し、技を研ぐため。
数合。ティムルもひたすら、こちらの仕太刀に合わせている。
斬る。禦ぐ。専一にそれだけを思う。
最後の型。上段からの斬り下ろし。
……を、途中で止めた。
そのまま撃ち下ろしては、ティムルの命を奪うことになるから。
刃引きの三尺は、その刀身の半ばを失っていた。
我らふたりの技に耐えられなかったのだ。
(朝倉?)
(ティムルのツラ見てみろ)
激情を抑えようと、必死であった。
(お前の腕だ。俺の切れ味じゃねえ。……ティムルには並んだな)
「いまいちど……」と口にしつつ、愛用の剛刀を配下のコニー・バッハから受け取ろうとして。
武術師範の笑顔にかちあったティムル・ベンサム、伸ばした腕を肩の上へと放り上げた。
互いに一礼するや平静に返ったのは、さすがであった。
それができなかった俺に対する意地もあると見たけれど。
中隊長殿に目を転ずれば……その傍らに立つ若者が、反射的に歩み寄って来る。
こちらに据えた目を一切逸らそうとしない。メイスを構えた。
そうだな、やるかエドワード。
俺ももう少し、この感触を確認しておきたいところだ……
「これが武術です、中隊長殿。型稽古も正しく学べば、頸元に迫る刃となる。鉄塊を斬り飛ばすことも可能というわけです。性急に実戦を意識される必要はありません」
武術師範の声。
主賓を置いてけぼりにしていたことに、ようやく気づいた。
中隊長殿には言いたいことがあったのだ。
ああマズイ、殺気立ってるものだから、取り巻き連中が前に出てくる。
ままよ、言ってしまえ。
「中隊長殿に申し上げます。……背負い込み過ぎるべきではありません。どうぞ気楽に取り組まれますよう」
師範たちに厳しい目を注がれ、ようやくメイスを手放したエドワードも続く。
「兄上や母上のことなんか、忘れちまえよ。自分の好きに振舞えば良いのさ。中隊長殿は、一家を立てた当主なんだから……何なら、アスラーン殿下や中務宮さまを応援しても良いんだぜ?」
「キュビ小隊長殿、何を!」
取り巻きのその慌てぶりがよほどおかしかったものか、シメイが悪い笑顔を浮かべていた。
「後継レースなど無視なさればよろしい。身軽になったのですから、遠慮なく後宮の侍女どのを口説かれてはいかが?」
「シメイ・ド・オラニエ卿まで! 無責任な……」
中隊長殿、揺らいでいた。
比喩ではない。額に手を当ててしゃがみこんでいる。
思っても見なかった「発想」をぶつけられ、価値観を揺さぶられて。
変わりたくとも、急にエドワードやシメイほど自由には生きられまい。
「王者たれ」と、厳しく育てられてきたのだろうから。
ならば。
「改めて公達として、官僚・政治家として。生き残られることです。あなたを主君と仰ぐ取り巻き諸君を養うために……そして何かあった時、ご家族を守るためにも」
これ以上踏み込んで言うわけには行かないけれど。
王妃殿下閥、征南大将軍スレイマン殿下が「厳しい戦いを挑み、手酷い負け方をした」場合には。
「勝ち馬」にその助命を願い出ることができるのは、バヤジットしかいないのだから。
助命もかなわなかった時には……血統を残し敗残の一族郎党を引き取れる者も、バヤジット以外にはいないのだから。
少年がようやく顔を上げた。
目の焦点が定まっている。頬に赤みも戻った。
「よい顔をされています」
「17歳」の俺が言うのでは、あんまりなセリフ。
ティムル・ベンサムが代弁してくれた。
俺が言うべきことは、別にある。
「早速いかがです?」
木刀を一本だけ手に取れば。
バヤジット少年が苛立ちを顔にのぼせた。
「お前は真剣で掛かって来い。こっちは木刀で捌いてやるから」と言っているも同然の態度に、腹を立てているのだ。
……その「聞かん気」が大切なんだと、散々聞かされてきたんだよな。
「中隊長殿、ぜひとも一本取っていただけますよう。切にお願い申し上げます」
同じように下手を侮って痛い目を見たティムルが、肩を怒らせていた。
どいつもこいつも、これだもの!




