第十七話 新都へ その6
「フィリア、あなたの書いた報告書ですが、写しをいただいてすでに読みました。ヒロさんには、かなり入れ込んでいるみたいね?」
ソフィア様の顔からは、笑顔が消えていた。
いや、笑顔なのだが、先ほどまでとは違う顔をしている。
これがソフィア様の「地」か。社交用の「顔」をやめたことに、三人は驚いたのか。
「姉さま?」
「ヒロさん、気分を悪くしないでくださいね?フィリア、ヒロさんに対するあなたの評価は?」
「!……奇貨、です。」
「私は原石と見た。現時点でも価値ありと見ている分だけ、フィリアの方がやや評価が高いかな?年が離れている私には、フィリアの評価よりもヒロが小さく見えているのかもしれないな。」
アレックス様が口を出す。
「将来的には千早さんに並ぶ、あるいは……、と。そう見ています。」
「それは私も同じだ。」
ソフィア様の目がこちらを向いた。
正直、過大評価だとは思うが、ここで謙遜とか、そういう態度を示すべきではない。
なぜか、そう思った。
背筋を伸ばして、視線を受け止める。
「ご評価に沿うべく、努力を重ねます。」
深くうなずいたソフィア様の目が、再びフィリアに向かった。
「アレックスの身元保証に加えて、私の身元保証も。そう思ったのですね?」
「はい、そうする方がお互いに取って良いかと思いました。」
「さて、どうかしら。」
「私が身元保証するとなると、ヒロさんは完全に、『メル家の郎党』になりますよ?アレックスの身元保証とは、完全に意味が違ってくる。それはもちろん、知っての上ですね?」
「はい、ヒロさんには確実な背景を。メル家には、有能な郎党を。そう思ったのです。姉さま。」
「フィリア、あなた……。」
ソフィア様の笑顔が、再び柔らかくなった。
笑顔なのに、悲しそうに見えた。
「私の教育が悪かったかしら。」
「姉さま!?」
フィリアは動揺し……怒りの表情を見せた。
しかし反論の間を与えず、ソフィア様はたたみかける。
「フィリア、あなたの立場は?」
「姉さまのスペアです、現時点では。」
「フィリア!?」
不躾だったかもしれない。しかし思わず声に出してしまった。
怒りのあまり、やけっぱちなことを言っているのではないだろうな。
「フィリア!それ以前に、あなたは貴族です!」
悲しそうな顔のまま、ソフィア様が叱咤した。
「貴族のなすべきこととは何です?答えなさい、フィリア!」
「何を……!それは当然、宗家を守り立て、繁栄させることです!」
「その義務を果たしつつ、誰はばかることなく、自己を表現することです!己の欲するままに振舞うことです!おのれ自身を輝かせずして、何が貴族ですか!アリエルさんをご覧なさい!ヒロさんを見つけ出したのは、フィリア、あなたです。縁や運というものも含めて、ヒロさんとの友情や信頼関係、旅で得た経験は、あなたが自分で勝ち取った、あなた自身の輝きなのですよ。」
叱咤の後、優しい声に変わる。
「その関係は、譲り渡してはいけない財産です。私が取り上げて良いものでもありません。千早さんと同じよ、フィリア。メル家の郎党ではなくて、あなた個人のお友達。家なんか気にしなくていいの。自分のことを考えなさい。」
そして、ソフィア様は宣言した。
フィリアそっくりの悪戯な笑顔で。
「ヒロさんには失礼になるけれど、死霊術師ひとりがいてもいなくても、私が差配するメル家を小揺るぎもさせるものですか!」
柔らかい笑顔に戻ったソフィア様が、さらに告げた。
「それでも、そうね。フィリアがメル家のことを考えてくれると言うなら、総領娘として時々はお手伝いを頼もうかしら。ヒロさんを上手に巻き込みなさい、フィリア。個人単位で身軽に動けるあなたの方が、ヒロさんを必要とするし、ヒロさんを活用できるでしょう?千早さんと三人、猛獣も悪霊も退治できる素敵なチーム。メル家としても、その方が戦力として期待できます。」
その笑顔のまま、ソフィア様が再び俺に向き直る。
「驚かせてしまったかしら?上品で愛らしい、社交夫人の素顔を見てしまって。フィリアとは仲良くしてあげてくださいね、ヒロさん。」
「隔意無く接してくださったことに感謝いたします、ソフィア様。フィリアさんと千早さんには、こちらこそ今後ともよろしくと申し上げます。」
「驚いただろう、ヒロ。また固くさせてしまったかな。」
「自分で言う分には構いませんが、ご主人様に言われてしまうと気になりますわ?アレックス。」
「頼りになる奥様には、いつも感謝しております。」
場に笑いが戻った。
「ヒロさんからは、私たちに聞きたいことはありませんか?」
言うべきか迷う。場の空気を明らかに悪くしかねないから。
それでも、「外向きの仮面」を外して接してくれているのだ。遠慮する方が失礼にあたるだろう。
「メル家の郎党」になったわけではないが、千早と同様に、「メル家の準・身内」扱いを受けることになったみたいだし、聞かなくてはいけない。
腹を括って、口を開いた。
「先ほど、フィリアが、自分のことを『ソフィア様のスペアだ』と言っていました。貴族のルールや決め事を知らずに口を出してはいけないのかもしれませんが、『人が人のスペアとして扱われる』のは、むごいことのように感じられます。ましてフィリアは、有能、むしろそれ以上ですし、人柄も良く、ただ『スペア』として置いておくにはもったいない存在ではないでしょうか。教えていただけるならば、幸いに存じます。」
「フィリア、頼もしいお友達を得ましたね。」
ソフィア様は笑顔であった。
「私の恥をさらすようなところもありますが、千早さんもご存知のことですし、ヒロさんにも知っておいていただく方が良いですわね。」
「ソフィア!恥などではない。」
そう言うアレックス様に微笑を返して、ソフィア様は語り出した。
「今のメル家には男の子がいない、ということはご存知ですよね。六人姉妹で、三人は正妻の子、三人は……第二夫人、第三夫人と言えば良いでしょうか、そちらに生まれた子、ということになります。」
まあ、これほどの大貴族なら、そういうこともあるんだろうなあ。
「メルの家を継ぐ資格があるのは、三人。長女である私と、四女と、末娘であるフィリアです。真ん中の四女は……本決まりではありませんが、ほぼ間違いなく、外に嫁に行くことが決まっています。」
そこまで言って、声が少し沈んだ。
「メルは武門の家。後継者として、男子は必須です。端的に言えば、私が男の子を産む必要があります。しかし、結婚して4年、まだ子供を授かりません。」
「焦ることは無い、ソフィア。まだまだ私たちは若いのだ。」
「ありがとう、アレックス。私もまだ焦ってはいません。……しかし。もし、私が子供を産めないということが明確になった場合には、フィリアに婿を取って、家を繋げる必要が出てきます。一方で、私に男子が生まれた場合には、フィリアは嫁に出るか、別途一家を立てるか、聖神教の一員となるか、そういう道を歩むことになります。」
そういう背景があるのですよ。
俺を見るソフィア様は、ただ笑顔を浮かべているようには見えなかった。
「ここまでの話を理解できているか」を、見極めようとしている。おそらく、だが。
「現時点では、フィリアは将来を自分で決めることができない。スペアとして振舞わざるを得ないのです。ヒロさんもおっしゃるとおり、フィリアの能力は高い。どのように生きることもできるのに、縛り付けておかざるを得ない。……私は、『己の欲するままに振舞え、おのれ自身を輝かせよ』などと言って良い立場ではなかったかもしれません。」
「姉さま、私は好きにやらせてもらっています。聖神教の方でも、学園でも。気に病まないでください。」
「タイムリミットは……あと、2、3年でしょうか。学園を卒業すれば、フィリアも将来を考えていかなければならない。結婚を考えるとなれば、特にそうなります。」
「姉さま、聖神教ならば、独身でも気楽に待つことができます。」
子供の問題は、どの世界でも、どの家庭でも、大変なことなのか。
日本もなかなか子供が生まれなくて、少子化って騒がれているもんな。
そういや、日本の少子化って、何が原因だっけ。子作りをしようにもお金が無い、時間が無い、余力が無い。……メル家ほどの大貴族には、関係ない話か。
んん?関係ないか?本当に?
ええい、ままよ。毒食らわば皿まで。
ここまで空気を悪くしてしまったのは俺だ。どうにかする責任がある。
「失礼を承知で申し上げます。子供を作るためには、子供を作るための時間と余力…気力と体力が必要で、ストレスは大敵かと思われます。アレックス様のお仕事は、あまりに激務ではないでしょうか。余りにも多くのお仕事を兼任されていらっしゃいますが、どうにかできないのでしょうか。」
「どうにかできるものなら、私もどうにかしたいのだがなあ……。そうだ、ヒロ。記憶が無いということは、なんの予断もなく判断できるということでもあったな。今の極東の行政についてどう思う?」
うわあ。さっそくに修練を積む羽目になった。
「二重行政・三重行政かと感じられます。無駄がある……ことは確かですが、そうなる理由もあるわけですよね。何でしょう。効率を犠牲にして得られるもの……。そうか!極東は戦地。何らかの理由でひとつの行政機構が壊滅したとしても、他でカバーすることができます。その保険か!」
あれ?今日の俺、冴えてるんじゃない?
「しかし、現実に二重・三重になっていると、縦割りの弊害が出てくるわけで……。それをまとめるためには、政治が主導しなくてはいけませんよね。だから、上層部の要職を、少ない人数で兼任しているわけですか!トップダウンで仕切れば、無駄を削ることができる。」
やっぱ冴えてる。
引き出す人が良かったのかな?
「システムとしては問題ありませんが、……その上層部が倒れたら?戦死したり、暗殺が行われたりしたら、大混乱ではないですか?平時でも、忙しくて仕方ないことは確かなわけで……結局、アレックス様の時間がないことは変わりはありませんよね……。やはり、部下の方に責任を持たせて、権限を分担していただく必要はあると思います。縦割りの弊害との兼ね合いということにはなりますが……。」
虚空をにらみ上げつつ考えながら、ぶつぶつと口にする。
ふと前を見ると、アレックス様とソフィア様が、顔を見合わせてニヤリと笑っていた。
「これはありがたい。」
「原石ではなく、奇貨。アレックスよりもフィリアの評価の方が正しかったでしょうか?フィリア、成長しましたね。」
「軍人貴族は、基本脳筋でね。武功を立てたがる。政治や行政への意識が低いのが多くてなあ。」
「数字には強いということも聞いています。最初に質問した内容がクマロイ村の経済状況だったとも。兵站への理解もありそうですね。」
うへえ。ヨハン司祭に聞いたあの質問まで、そういう捉え方をされちゃうんですか!
ソフィア様、やっぱりフィリアの姉君だ。もっとシビアかもしれない。
千早が久しぶりに口を出した。
「某が聞き及ぶところでは……僭越ながら、アレックス様の組織は、下の者には働きやすいと聞いてござるよ。『上が現場にしゃしゃり出てこないからやりやすい』と。アレックス様の働きすぎ、ということも無いかと思っていたのでござるが。」
「そう言ってもらえるとありがたいな。……だが確かに、下に与える権限は、もう少し増やしても良いかもしれない。ヒロの言う、リスク管理の問題がある。」
「私も少しさぼらせてもらうか。極東は現在のところ安定しているし、前線のギュンメル伯は健在。メル家の郎党を中心とした部下も、さすがの有能さ。そう言えば、義父上も、『極東で気楽にやってこい。早く孫の顔を見せろ』とおっしゃっていた。どうやら仕事の優先順位を間違えていたか。私に求められている最大の仕事は、子作りであったか!」
「アレックス!」
ソフィア様が赤くなる。
「ヒロさんのせいで、話がおかしな方向になってしまいましたわ。」
「確かに、その責任はとってもらう必要があるな。」
「学園に在籍している間、時々仕事を手伝ってもらうことになると思う。礼金は出す。アルバイトと思って、気楽に受けてくれ。……私にサボれと言ったのはヒロだ。その分だけ働いてもらうとしよう!」
「それは良うございますわ!私も何かお願いしようかしら!」
「は、はい!承ります!ソフィア様!」
「まだ固いなあ!」
「ほんとうに軍人さんみたいですね!」
新都について最初の夜は、緊張しっぱなしで……。
それでも、笑顔に包まれて過ごしたのであった。