第二百四十九話 カレワラ、カレワラ、&カレワラ その3
「なるほど。磐森襲撃とほぼ時を同じくして、エルキュール・ソシュールが聖地を襲撃していたと。それで近場の聖堂騎士団長と枢機卿に対して教皇台下が招集をかけたんだな?」
ピウツスキ枢機卿猊下のお付きとしてその場に居合わせたカルヴィンは、眉根を寄せていた。
教皇の身に危険があったと来ては、なかなか落ち着いてもいられまい。
「台下と言うより、その側近、護衛の面々だな。シスターがひとり……何だ?絵?ああそう、その顔だ……殺害されたらしい。事後処理については、台下が全てを取り仕切られたと聞いている」
神様がらみの不思議パワースポットと思って、しのび込んだのであろう。
エルキュールの腕前があれば、警備に気づかれず去ることもできたはずなのに。
「可能性の神」のゴーレムに出会い、勢いのまま「勝負に及んだ」な?
倒してしまうところは、さすがとしか言いようがないけれど……。
目と目が合ったらバトルするのは、野生の武人の理屈なのである。
宗教界でも世俗勢力でも、それをやったら「襲撃」になってしまうのであって。
よりにもよって巨大組織・聖神教を相手に、何てことを……。
エルキュール。どこまで武術バカなのか。
どうしてそう、生きにくいほうへ生きにくいほうへと自分を追いやるのか。
もう少し考えて行動してくれれば。
だいたい、俺がバカみたいじゃないか!
千からの人数を動員できるのに、聖神教との対立を避けるべく頭を悩まし、分断工作の根回しをする、その情けなさと来たら!
何も考えず、そこを軽々と超えて行くエルキュールに比べて……。
「天才に羨望の念を抱き、その足を引っ張る存在」だったか。
アンジェラめ!俺はそんな男にはならないからな!
……などと力む俺を皮肉げに見やり、カルヴィンがため息をついた。
「教団は、いまやエルキュールの件で大忙しだ。警備体制の見直しに、捜索へのリソース配分」
「おかげで俺への風当たりは弱いと? 先日の会議、どんな様子だった?」
顔をしかめ、吐き捨てた。
「エルキュールの件が無くとも、切り抜けられたくせに。仮にも枢機卿を嵌めるなど……」
「磐森を、カストルとポルックスを守るためだ。だいたい向こうはまともな理由もなく、先に手を出してきたんだぞ?目撃者のお前なら分かるだろう?」
ワインを注いでやる。
そんなもので買収されるような男ではないが……8月の猛暑の中、行ったり来たりのお使いをさせられているのだ、半ばは俺のせいで。
それぐらいしてやってもバチは当たらない。
「あの晩の件について、報告を求められた。台下の御前で……いや、そもそも虚言は教義に反する。嘘偽り無く述べたさ。が、そのおかげで、俺も睨まれることになった。どうしてくれるんだ、異端審問官への道が閉ざされたんだぞ?」
「その気もなかったくせに。ピウツスキ猊下のことだ、部下のお前を弁護してくれたに決まってる。おっと!『派閥など……私は神に仕えます』なんて不愉快な講釈を、世俗領主の居館で垂れるんじゃないぞ?深刻なマナー違反だ。つまみ出してやる」
鼻の頭に皺を寄せている。
いきなり激昂しなくなっただけ、話しやすい相手になった。
「諦めて聖堂騎士団長を目指すことさ。ピウツスキ猊下みたいに、『司教からの枢機卿』ルートに乗れる『清い体』でもないんだろう?……ああもう、うるさいぞカルヴィン、言い訳するな。アイリンの前で否定してみろ、関節外されるぞ?」
「仮にも神官に、何て言い草だ!うちの聖堂に足を踏み入れたらつまみ出してやる!」
バカ笑いにかすれた喉。
潤すべく杯を干したカルヴィンが、目を覗き込んできた。
――なあヒロ、まじめなところ、どう思ってるんだ?――
「宗教家や聖神教が嫌いってわけじゃない。敵対するつもりもない。手紙にも書いたが、ヨハン司祭という人がいた。ピウツスキ猊下に聞いてみろ。新都の精神病院、『安らぎの家』のシスターたちのことも尊敬している。戦争中の神官たちの働きにも、もちろん感謝しているさ。……ただ、宗教の理屈で世俗に戦を仕掛けるのはよせ。無駄な人死にが出るばかりだ。誰も彼もが苦しむことになる。それはお前だって分かるだろう?」
止めていた息を、一気に吐き出したカルヴィン。
……そういえば、こいつもそうだったな。
腹の底から笑う姿を滅多に見せない、見ることのできない少年。
「敵対するつもりはない、か。『その言葉、誓えるか』と言いたいところだが、貴様は教友ではない。何によって信ずれば良いものか……」
「世俗の理屈で検証すれば良い。『理』と『利』だよ。そのふたつが通っているなら、信用しても大丈夫、そういうものだろう?俺が提示した条件は見たはずだ。それでも信じられないか?」
カルヴィンに届けてもらった2通の手紙には、大略以下のようなことを書き記しておいた。
聖神教団に対し、修道院建設のための土地を寄進すること。
磐森郷の北に広がる山塊、その南西部にある沢沿いの一角に。
「ヨハン司祭と聖堂騎士オーギュスト君の名を高からしむるために」と付言して。
女子修道会に対し、精神病棟つきの病院を建設するための土地を寄進すること。
こちらは磐森郷北西の一角、山塊に比べれば好条件だ。
さらに、30~40代のシスターをふたり雇い入れたい旨を記した。
磐森の宗教的中立性は堅持すること。
そのために、天真会に対しても土地を寄進すること。
山塊の隣接地に修行場のための土地を、磐森には支部建設のための土地を。
交換条件として、「双子の安全」と「オーギュストの件の明文化」を要求した。
双子の双方、あるいは一方が後継から排除された場合には、カレワラ家で引き取る。聖神教からは引き離す。
オーギュストの件については、「殉教者と悪徳領主」の筋書きを後世に残さぬために。
バランスをとるべく、天真会には「サシュア湖の航行権」を対価として要求。
何も運輸や旅客業で儲けようという話ではない。いや、そこまでできれば良いなとは思うけど。
水軍を預かる貴族として、大規模演習場が欲しいという理由だ。
以上を、磐森郷・カレワラ家の側から見れば。
これまでの、「非宗教・中立」から、「政教分離・中立」へと舵を切るという意味合いを持つ。
きっちりバランスを取れるならば、メリットの方が大きいから。
上述のサシュア湖の件もあるが、他にも。
領民の基礎教育、そのアウトソーシング。
天真会を通じた、霊能人材の採用ルートの確保。
精神病院とて、病院だ。領内にひとつふたつは持っておきたい。
山塊開発のノウハウも学び取ろうというわけ。
なお。手紙には、以下の一文を明記しておいた。
「断られても、天真会への寄進は行います」と。
聖神教には実害無し、利権が得られる好条件。
破談になっても、天真会との話は進む。それは磐森が宗教的な意味で「天真会の領地」になることを意味する。
双子について穏健策を取り、オーギュストの名を顕彰しさえすれば……つまり、計画と作戦の失敗を認め、グレゴリウス枢機卿一人を悪者にしさえすれば、それを避けられる。
これが、俺の準備した分断工作だ。
正直、負ける気がしなかった。
「実際、吊るし上げられていた。この案件、呑まずにはいられないからな。グレゴリウス枢機卿の序列……いや、『権威』や『男』を下げた、と言ったところだな」
口にして、こちらを睨みつけるカルヴィン。
同じ教団の大先輩を苦しめているヤツが目の前にいるのだ、面白くないのは当然。
「それと、会議の本題であったエルキュールだが。枢機卿招集の使者を出すと同時に、『武人のことだから』というわけで、メル・キュビ両家にも照会をかけたらしい。そうしたら、『エルキュール・ソシュールについては、ヒロ・ド・カレワラが個人的に関心を持って、対処を考えているようです』と来た」
カレワラに襲撃され、カレワラに引っ掻き回されたところで……呼び出しの本題でも、カレワラの名が出てくる。
たまったものではなかったはず。
「グレゴリウス猊下とロンディア聖堂騎士団長殿、顔を真っ赤にしていたぞ?『カレワラの差し金だ』『カレワラの怠慢だ』と叫んでいたが……」
枢機卿はみな、海千山千の政治家だ。
だいたい全員が神学の徒、論理破綻を見落とすはずも無い。
「対処を考えている」のだから「差し金」ということはない。
「個人的な関心」であれば、「公務」ではない。怠慢ということはありえない。
グレゴリウス枢機卿、一斉攻撃を受けたとのこと。
「カレワラ男爵には協力を求めねばならぬところでしょう」
「聞けば、深夜に襲撃をかけられたとか?らしくもない言いがかり、彼に個人的な恨みでもお持ちなのですか?」
「聖神教徒でもない領主のもとに異端審問官を派遣するのは筋違いというもの」
「世俗勢力を闇討ちとは、逆上にもほどがある。穏便に済ませてくれたから良いようなものの」
それだけで済むはずも無い。
グレゴリウス枢機卿を黙らせた後がうるさかったとか。
「とはいえ、カレワラ男爵も少々。聖神教の権威を理解してもらいたいところではあります」
「お若いとはいえ、民衆を相手にあざとすぎるアピールですな」
「面白くありませんね。先に落としどころを用意しておくなど、鼻につきます」
「我らの分断を図るつもりでいたのでしょうか?これは片腹痛い」
非があるのは向こうでも、それを認めるはずもない。
こちらが悪者にされてしまう。
よってたかってグレゴリウス枢機卿の発言を封じ。
みなでカレワラを叩いて団結を確かめ合った上で。
枢機卿の皆さん、ようやく利権の受け入れについて話し合いを始めたとか。
「非礼の詫びも含めて、聖堂の土地を提供してくれるという申し込みでしょう?ご不満ならば、我らの教区だけで……」
「権威を認め、我らを恐れているからこそ、全面対立を避けたのでしょう。私はそのこころを嘉しますとも」
「軍人貴族を追い詰めてしまうと、命のやり取りになりますからな。ええ、お若い方に対しては鷹揚でありたいものです」
「いろいろと、ルートを持っている家柄でもありますし。エルキュールの件、働いてもらうためにも提案を受けるべきかと」
相手に非があり、分断工作をきれいに決めても足りず。
エサまで食らわせて、それでやっと五分。
これが聖神教と俺の、「地力」の差。
嘆いても仕方無い。
五分に持っていけた、対等に交渉を成立させたことだけでも、いまは充分。
だが、いつの日か。メル公爵よろしく微笑んでみたいものだ。
「言うこと聞いてくれないなら、焼き討ちだぞ(はぁと)」と口ずさみながら。




