第二百四十七話 同窓会 その5
折り返しには時間を要したけれど、それでもリードした状態で後半戦に突入。
逆L字に近いコース、カレワラ艇としては最後のカーブが勝負所だ。
抜けた時点で先行できていれば、おそらく、いや間違いなく勝てる。
先行されていた場合は……うん、なんだ、その。頑張るしかない。
(毎度毎度、なぜそう見通しが甘いのでござるか!)
見通しが甘いんじゃない、ギリギリでやるしかないんだよ。
弱小領主の悲哀は分かってるはずだモリー老!
ともかくおしゃべりは後!
逆L字の長辺では一進一退、それでも折り返しの差が効いて、一度もリードを許さぬ展開。
カーブに入った時点では、1.5艇身差といったところ。
必死に指示を出し、もたもたと帆を動かし。
のたくたと「アウトインアウト」の直線的な航跡を描く。
高速移動の自動車ならば、アウトインアウトは「美しい軌跡」なのだけれど。
何せ原点回帰のセーリング、我らがマシンは鈍足艇。正確な操船を学ぶべく、初心者が練習に使うような船なのであって。
つまりは滑らかに「インからイン」のコースを小回りしてこそ、貴族の優雅な舟遊びなのである。
ほら、そのエイヴォン艇が近寄ってくる。
1艇身差……半艇身差……。
それにしても、近すぎやしませんかねえ?
あー、なるほど。ここでラムアタックか。
指示を出すのに精一杯で、想定していなかったわ。
「総員、衝撃に備え……」
怒鳴りかけたところで、エイヴォン艇の指揮官が歯を見せた。
アリエルの面影を映す明眸皓歯、無精ヒゲすら精悍さを際立たせる。
これもなかなかのワイルド系イケメンであった。
それだけに、ちうへい・エイヴォンなる珍妙な名の残念なこと。
やはりカレワラ党のネーミングセンスは腐っている。
しかし気になったのは、その笑顔。気力が充実していた。
何だ?何を笑う?
考える間もなく、船腹の擦れ合う嫌な音が耳に飛び込む。
……船腹どうし?舳先じゃない?
「接舷攻撃だ!」
朝倉の柄に手をかける。
(ちょっと!殺傷行為は禁止のはずよ!)
(落ち着かれよヒロ殿!)
らしくもない!アリエルもモリーも!
戦場での躊躇はいつだって最悪手、そうだろうが!
朝倉を抜き放つ。
エイヴォン家当主の手には、すでに海賊刀が光っていた。
――時を同じくして、跳び違った。互いを避けるようにして――
(やっぱりお前は飛び込むんだな、ヒロ。どうやら正解みたいだぜ?)
そうだ。
俺は抜き放ち、跳躍した。
そうすることで初めて、相手の意図が読めた。
エイヴォン艇に乗り移ったその時、横殴りに烈風が吹いた。
風が強ければ推力が増す。距離が開けば帰れなくなる。猶予は無い。
風に負けぬよう足を踏みしめ、大上段に振りかぶる。
朝倉が吹き上げる妖気の「行き」を利し、メインセールを頂点から斬り裂く。
帆桁まで断ち落として、返す刀でジブセールを両断する。
速度とバランスを失ったエイヴォン艇が回り出す。
カレワラ艇でも同じ事が起きていたが、さすがに向こうのほうが船を良くご存知。
コントロールに必要なロープだけを的確に断ち落としている。
帆を両断する必要など無かったのだ。
互いに忌々しげな顔を向け合い、舟板を強く蹴飛ばす。
再び空中で交差し持ち場に帰った頃には、まさに最終カーブを抜けるところ。
「ラスト行くぞ!左舷マグナム、右舷ユル!」
ふたりに櫂を取らせ、俺は再び、いやみたび艪を手に取った。
セーリングのはずが、最後の直線は漕艇競技もどきになっていた。
やはり技術は向こうが上、息を合わせて水面を滑り行く。
こちらは力任せ、左右にぶれながら波を蹴立てて進む。
クルー……櫂を漕ぐ男達には、余裕などあるわけがないけれど。
艪はリズムと腰のキレが勝負だ。息が上がるほどの全力ではない。
だから。
顔に似合わぬ濁声が、すぐ隣から飛んで来る。
「それでもカレワラの当主か!なんだその無様な操船は!」
「戦は勝てばいいんだよ!ノールールで先手を取られるなんざ、弛んでる証拠だ!」
俺の言葉に、顔を真っ赤にしていた。
しかしこちらも「顔真っ赤」だったのであろう。意気阻喪する気配も無い。
「いっちょ前の口はまともに帆を扱えるようになってから利くもんだぜ?」
「その櫓櫂の扱いはなんだ?回転は遅い、腰のキレも鈍い。鍛え方が足りないんだよ!」
互いの「及ばぬところ」を的確に指弾する。
ちうへい・エイヴォンの声色が少しだけ変化した。
何がどう、なぜ変化したのかは、わからなかったけれど。
「舟を何だと思ってる!大げさに帆桁まで壊すんじゃねえ!」
「ああ、失敗したさ!船底に穴開けるのを忘れてた!」
そこで再び接舷したのは、ユルとマグナムのパワーバランスが悪くてこちらが蛇行しているから。
そしてエイヴォン艇が、カレワラ艇の起こす波に操船を乱されていたから。
櫂を使えなくなった右舷のユルと相手の左漕手が睨み合う。
一発やったろうかという気合が膨らみ、機が熟したところで……。
グリフォンが水面すれすれを滑る。殺気を見誤るはずもない千早からの警告だ。
再び船縁を蹴飛ばし、左右に分かれる。
(ヒロ、冷静に。艪よりも帆のほうが速いのよ?)
と言って、ロープが……。結んでいる暇は無いし。
(手で押さえればよろしかろう?)
(最後まで教育か、モリー? ロープ2本を切って済ませた、横着のツケを支払わせるってか?)
幽霊諸君は良い空気を吸っているみたいだが、実行するのは俺である。
風の巻き起こす力は強い。とても両手で押さえ切れるものではなく。
帆布を巻きつけた我と我が身を重石に代え、手長猿の如く帆桁に足を絡ませる。
ぐいと推力を増し、先にゴールラインを切ったカレワラ艇。
なりふり構わぬレース振りに、歓声の半分が「えぇ……」と盛り下がって行く。
ま、しかたない。
このレースは「勝つことが全て」。かっこ悪いところを見せた件は、後でどうとでもフォローを効かせられるし。
……などと賢しく動き始めた脳みそを、濁声に揺すぶられた。
「お楽しみいただけたものと存ずる!」
観衆に向かい、エイヴォン家の当主ちうへいが両手を広げ大見得を切っていた。
「これが我らカレワラ党である!……開国英雄王陛下の右腕として江湖を縦横すること二十余年、大小百を越える戦に一度の敗北も知らず。その功により、ここ磐森を下賜されたものである!これ形振り構わず専一に勝利を追及せしがゆえ!」
カレワラ党が快哉を叫ぶ……のは、まあ良いとして。
なぜそこで一緒になって騒いでいるんだ、エドワード?
俺が招いたのは同窓生のキルトであって……ああ、いいやもう、どうでも。
「いまその身は近衛に列せられ、陛下の宸襟を安んじ奉る。思え、カレワラ斃れればもはや玉体に猶予無し!品よく振舞った末の敗北など、不忠以外の何物でも無い!」
「勝負根性の汚さ」を見咎めた連中に熱弁を振るう、ちうへい・エイヴォン。
俺よりは低いところにあるその肩に、後ろから手を置いた。感謝の思いを込めながら。
もう十分だよ、ちうへい。
纏めたものが、これだろう?
「辣なるかな王の影カレワラ。遠く延びてはその威を告げ、近く後にてその身を映す。それ厭うなかれ、影は形より生ず」
カレワラ家の題銘。
王国での立ち位置を示す、無形の宝。
(別働隊を率いては、容赦知らずの鉄血仕事。身近に置けば諫言ばかり。……でもね、それもまた王業の一面、ってわけ)
おそらくは不良少年か何かであった、開国英雄王。
初代立花伯爵・リーモン子爵の兄弟をはじめ、近衛の原型は「悪ガキ」「お友達」であったのだろう。
そこに、曲がりなりにも「組織」を背負った「おとな」が参入した。
若者には、陽の当たる王者には、させられぬ仕事がある。
喜びと……それ以上に悲しみや痛みを共有する「お友達」には、どうしても指摘できぬことがある。
だから。
初代なるへいは、影となった。
(カッコ悪くても、根性汚くっても、王の足元にしがみつかなくちゃいけなかったのよ。影なんだから)
ちうへいは、エイヴォン一党は、それだけを知りたかったのだ。
投げ出されては困る。
やむを得ない理由があっても、情においてもだし難い状況であっても。
かっこ悪くともしがみついて、勝利をもたらしてくれること。
いや、破滅を回避さえしてくれれば良い。
それが主君に求める唯一絶対の条件だと、濁声の長広舌を止めた背中が語っていた。




