第二百四十六話 ヒロのなつやすみ その3
磐森は、水が豊かだ。
領地の境目が二本の川、中央にも川、館の傍には湖もある。
と、なれば。
釣り糸垂れるしかないじゃない。
面白いもので、思い思いに釣り糸を垂れるその場所が、だいたい年齢ごとの分布になっていた。
子供らは浅瀬で……釣りではなくて網を持っての水遊び。
少年たちは釣れそうなところを必死で探し、しばらく釣れぬと焦れて場所を変えようとする。
おとなは静かなところを好む。釣れなくても良いのだ。
日陰で、ぼんやりと釣竿の先を眺めていられるようなポジションに陣取る。
外見は少年だが、中身は王国基準で「おとな」の俺。
アカイウスあたりと並んで、釣れそうもないところにつくねんと。
「インコ真理教討滅、いかがでした?」
「楽な仕事だったよ。名家の精鋭を率いての行軍、着いた時には敵は滅ぼされていた」
「で、双子を?」
夏痩せ……じゃないな。もともと険のある横顔だ。
頬骨の作る陰翳が濃い。
「ヒュームではないが、私は『情に篤い』らしい」
「いくらご友人で地方領主の子息とは言え、郎党衆の前であれは少々、馴れ馴れしいかと」
「とがめぬ私は、やはり甘いかな。アカイウスには負担をかける」
憎まれ役を押し付けている。
「何を仰せやら。私はこれが地金です」
嘘をつけ。
本当に情に篤いのは、血が熱いのは、そちらだろうに。
ウッドメル伯に心酔し、ギュンメル伯に感奮し、ヤンの素行に義憤を覚え、カレワラ家のために……。
浮きが、ぴょいと動いた。
男ふたり、目を奪われる。
釣る気がないくせに、釣れそうになれば食指が動く。
横着で業突く張り、おとなには素直さと正直さが足りない。
「ご主君こそ、肉厚な精神をお持ちだ。甘くないのに甘い顔を見せて」
「『媚びるな』と言ったのはアカイウス、君だぞ?『鉄面皮』とでも言えば良い。ここには若い郎党衆もいないのだから」
「それでは、遠慮なく。ご自分でも気づいておられぬほどに、厚かましくなられた」
一気に遠慮がなくなったな。
「心の傷があっても、塞いでしまう……双子を引き取られた理由は、ご主君、あなたご自身の罪滅ぼしのためではありません」
やはりこちらには、横顔しか見せようとしない。
釣り糸を手繰ることに集中している……ふうを装っている。
「私のためにされたのでしょう?『ここで双子を引き取れば、アカイウスの気が楽になるだろう』。無意識のうちにも、心底でその打算を弾いていたはず」
そこまで引きの強い魚でもあるまいに。
何の手間をかけて引き寄せる?
「治部の名を出し、『枢機卿を通せ』でしたか?感傷や義憤に駆られたならば、斬る斬らぬは別として、即座に刀を抜かれるはずだ。それぐらいには、ご主君はすでに軍人にして貴族です。……それにだいたい、自分が救われたいならば、近くにいた誰かに意見を求めたはずです。ご自分の心に言い訳をするために。しかし今回、ご主君には感情の動きが見えない。……計算ですよ」
……そして、ほら。
そんなことを言いつつ、ようやくこちらを見ておいて。
一瞬で、再び視線を水面に戻す。
右手にたもを持ちながら。
「言われても凹まなくなった。ユースフ・ヘクマチアルに、『狂わずによく人を殺せる』などと言われた時には、だいぶ参っていらしたのに。ま、それでもすぐにやり返されたのは、痛快でした」
同士討ちに追い込んだことを、陰惨ではなく痛快と言い切るか。
よく言うよ。誰の精神が肉厚だって?
「おっと、釣れました。侍女衆のところに持って行きますので、しばし失礼を……」
言いたい放題。で、言い逃げ。
めんどくさい男だが、だからこそ頼りになる。
遠ざかる背中を、しばし眺めたけれど。
男を目で追っても、何の楽しいこともないわけで。
また所在無く、水面に目を落とすのだが。
俺の浮きには反応が無い。
平和なそのさまを見ていると……物思いと眠気が去来する。
川と湖か。
先の軍事作戦もそうだったけれど。王国では、かなり上流の川幅細いところまで、帆船で移動する。
輸送は迅速、大量。地球の中世の感覚でいると、足を掬われる。
……蝉の声が遠い。
カレワラ家は川と湖に縁が深かったんだよな。
操船や水戦のノウハウ、持っているはず。
東川には、たしか郎党衆が残っていて。いろいろと仕切っていると聞いていたけど。
……ああ、雲の陰に入ったか。照り返しが弱まるのは助かるな。
釣りか。
漁業権、狩猟権、どうなっている?乱獲と領民の不和を予防しなければ。
入会権の問題もあるはずだし。資料を読み込んでおかないと。
……おっと、船をこいでた。
改めて眺めると、釣り道具って、結構な工芸品だよな。
うまくすれば、これでひともうけ。高級品を作って、地場産業にできれば……。
素材と、リールの仕組み……。
……なんかもう、どうでもいいや。
地面が揺れて、目が覚めた。
アカイウスに代わって隣に腰を下ろしていたのは、褐色の美少年いや偉丈夫。
マグナムか……。
「見に来たら、浮きが揺れてた。悪いがこっちで釣り上げたぞ?」
「よく寝てたね、ヒロ君」
心地よい声。マグナムと一緒にこっちへ来ているマリア・クロウだ。
「疲れてるんだね。いびきかいてたし、寝言言ってたよ?……誰の名前を呼んでたかは、秘密にしといてあげる」
げっ。
「かんたんに引っ掛かって。マヌケが釣れたみたいだよ、マリア。……って、ウソウソ。雇用主サマのご機嫌を損ねたくは無いから本当のことを言うね?寝言は言ってたけど、わけ分からないことばかり。帆船の上で石炭燃やすとか、領民を行進させて魚を撃ち落すとか。小説のネタにもならないよ、それじゃ」
ありがとう、アンヌさん。
減給はしないでおいて差し上げます。
「磐森の経営を考えてたんだろう?それが夢の中でまぜこぜになった。『お館様』には苦労が多いんだな。背は少し伸びたけど、痩せたんじゃないか?」
「痩せる」ことは、褒め言葉では無い。
十代の武人ならば、「大きくなった、厚くなった」と言われなくてはいけないところ。
「『世話になってる分、俺らも考えるから。お前は昼寝してろよ』……とでも言いたいところだが。メシだぞ、ヒロ」
匂いの先に目をやれば、カストルとポルックスがカタリナにじゃれついていた。
「ずいぶん馴染んだぜ?やっぱ子供は早いな。特にカタリナさんに懐いてるみたいだ。何が違うんだろう?」
マリアとアンヌが、顔に微妙な苛立ちをのぼせた。
出た!マグナムの失言癖!
この感じ、懐かしいなあ……そうだ!
「新都出身者も多いし、皆で集まるか!」
「それはいいね!大賛成!だけど……」
「そうねアンヌ。……何を聞き、何を見てそれを思ったのかな、ヒロ君?」
このテのやり取りも、ひさしぶり。
「何のことだか分からないけど、とにかくメシだ!行くぞマグナム!」
スタートダッシュに遅れた負けず嫌いが、猛追してきた。
おっさんトークに昼寝も良いけど。
こういう夏休みも、悪くない。




