第十七話 新都へ その4
ネイトの街に着いた。
住宅に囲まれた、小高い丘が見える。
丘の周囲には堀が切られ、堀の向こうには石垣が高く積まれている。
馬車からは中の様子を窺うことができない。
こちらもさすがの防御施設である。
「メル家へようこそ。」
跳ね橋を渡ったところで、アレックス様が笑顔を見せた。
政庁かと思っていたこの城砦、私邸であった。
馬車のまま、正門をくぐる。
敷地は、外から見て思っていたよりも広い。
ぐるりと回る様なアプローチ。
「やっぱりメル家も軍人貴族なの?」
そう、フィリアにたずねる。
フィリアに代わり、呆れ顔で千早が答えた。
「ヒロ殿の記憶喪失は重症でござるな。メル家と言えば王国最大の領主貴族にして軍人貴族である事、それこそ5歳児でも知る事実というもの。東のメルに西のキュビ。王国拡大の原動力でござるよ。」
「じゃあ、フィリアって…」
「さよう。ご機嫌を損ねたら族滅されても仕方ないぐらいには、お姫様でござる。」
「ふざけすぎです、千早さん。そんなことするわけないでしょう!」
「できなくはないんですね、分かります。」
「ヒロさん!私が末娘だと知っているでしょう?そんな権力は持っていません!」
「末娘ゆえ、義父上が一番にかわいがっているということを忘れるな、ヒロ。ソフィアの婿と決まった時に義父上から受けた『歓迎』は、いまも忘れ得ぬ思い出だ。フィリア相手に何か間違いでも起こす男が現れようものなら……想像するだけでも恐ろしいわ。」
「お義兄さままで!本当に怒りますよ!」
馬車が笑いに満たされる中、アリエルだけが感慨深げにつぶやいていた。
「あたしが死んでいる間に、そんなことになっていたのね……。」
「死んでいる間って……。でも、70年前は、ああそうか。王国はまだ極東までは進出していなかったんだっけ?」
「そちらの幽霊が何か?」アレックス様が尋ねる。「ああすまん、言い忘れていたが、私も説法師だ。千早には遠く及ばないがね。」
霊能もお持ちですか。アレックス様、どれだけ完璧超人なんですか。
ともかく、説明する。
「メル家の躍進が始まったのは、曽祖父さまの代でしたから。アリエルさんが生きていたころには、これほどの勢力ではありませんでした。……三代の間に、急激な膨張。四代目に当たる私達は、よほど心してかからなければ危ういかもしれません。」
馬車の中が、一瞬静寂に包まれる。
「あらやだ、そんなつもりで言ったんじゃないのよ!ただ、世の移り変わりは激しいわねえって。」
「世の移り変わりが激しいから、フィリアが気を引き締めているんじゃないか。フォローになってないよ。」
「まさか、詩人アリエル!?」
あ、マズイ。いちおう罪人だった。高官に知られるというのは少し……。
フィリアさん?分かってて口に上せたね?
「世事に追われていると見逃しがちだが、栄枯盛衰は世の真理。さすがの感性と言うべきか。滅びて諷諫詩の題材となる前に、われら皆、綱紀の粛正が必要だな。……偉大なる詩人に感謝を。」
「やだちょっと、もう!こんな美しいひとに!……でも、感謝してくれるんなら、ねえ。ほんのちょっと……」
アリエル、少しは遠慮してくれ。偉い人に手を出してエライ目にあったんだろう?
「そうだったわね!ひとにエラそうなこと言っておいて、自分はだらしないんじゃ、美しくないわ。」
と、急に視界が開けた。
アプローチを抜けて、メル家のネイト館の正面に出たのだ。
車溜りで馬車を降りると、重厚な扉が押し開かれる。
整列して頭を下げる使用人。
その向こうから、柔らかな声が俺達を迎えた。
「お帰りなさいませ、あなた。ようこそいらっしゃいました、皆様。フィリアも……。」
現れたのは、武家の棟梁・メル家の総領娘であり、極東方面軍最高幹部の妻であるという、立場の重みをまるで感じさせぬ女性。
誰であれ姉妹であることを見まごうことはないほどに、フィリアに良く似た女性。
ただむしろ、彼女こそがフィリアで、フィリアこそがソフィアであると感じさせるほどに、ひたすらに愛らしい女性。
この館の女主人、ソフィア・P・ド・ラ・メル、その人であった。