第十七話 新都へ その3
「これは意外。」
アラン支部長が呟いた。
「この気当たりを前にして、かえって平静を取り戻すとは。大概は耐えきれなくなって取り乱すのですが。」
糸目をさらに細くして、俺に微笑みかけてくる。
「これほど美しい男性を見たのは初めてでしょう?こういう圧力は予想できなくても仕方ありません。よくぞ立て直された。悪霊の浄化に際して、ヒロさんが指揮を執ったと言う話も、捏造ではないようですね。」
カヴァリエリ司教は、ただ難癖をつけていただけ。司教を盾に、微笑む糸目のその奥で検証を行っていたのは、アラン支部長のほうであった。
「不測の事態に対応できる者は少ない。将来が楽しみです。閣下、意地悪しなくても良いでしょう。言えないところは省略して、シスターフィリアの報告書における彼の評価を教えていただきたい。」
その後に、お経のような言葉が続いた。
「……きょくとうどうないかくがくしならびにしんとのいんじょうしんとしつきんごならびにせいほくだいしょうぐんふどうちゅうしょもんかべんしょうじきょうしょれいせいほくしょうぐんならびにさくてぃ・めるそうとくかっか?」
最後が「サクティ・メル総督閣下」なのだろうということだけは、辛うじて判別できた。
課長級だなんてとんでもない。目の前の閣下、めちゃくちゃに偉い人のようだ。
称号を全部並べたのは嫌がらせだろうけど。
「分かった分かった。私が悪かった。教えるからやめてくれ、アラン。」
「閣下」が苦笑いして口を開いた。お声まで麗しい。
「シスターフィリアは、あえて総括的な評価を加えていなかった。彼女には彼女なりの判断があるとは思うが、事実を中心に報告したものと見る。」
閣下がフィリアに目を向けた。フィリアは何も言わずに微笑む。
男の俺でも真っ赤になっていたと言うのに、彼女は平静そのもの。以前から面識があったとしか思えない。
「本人を目の前にして言うのはいかがかとも思うが、彼の成長に期待しているギュンメル伯のひそみに倣おう。この少年、ヒロは、いわば原石だ。才能の方向性は異なるが、アラン、君のところの千早と同じような存在だと言うことができる。ただ、記憶喪失であるということ、幼時からの教育、もとい、修練を受けていなかったと思われる節があることに鑑みると、今はまだ千早には及ばない。」
閣下がまっすぐに俺を見つめる。
もう、気恥ずかしさは感じない。大丈夫だ。
「今後の修練次第だ。王国は常に人材を求めている。私達は君に期待している。」
ギュンメル伯の時も感動したが、ここでも心を揺さぶられた。
再び顔が真っ赤になるのを自覚する。
「必ずご期待にお答えいたします!」
気恥ずかしさも、自分から格下だと認める情けなさも、押しつぶされて消えてしまう。
精神は肉体に影響を受けるのか。今の俺は、13歳の少年そのものだった。
「しかし、死霊術師を野放しにするわけには……。」
カヴァリエリ司教が口を出す。
「彼は、学園への入学を申請する予定です。」
俺に代わってフィリアが答えた。
「学園ごとき、それが何の保証になると?早めに対処するほうが良いのでは?」
司教はどこまでも死霊術師が嫌いなようだ。
学園をここまで軽視している人を見たのも初めてだった。
「彼の人物については、報告書と面談によって理解できた。私が身元保証人になろう。」
閣下が口を開く。
「それでも安心できない、法を犯してまで私的に『処分する』、と言われるかな、司教殿?」
カヴァリエリ司教の顔から血の気が引く。
アラン支部長がフォローを入れた。
「まあ、ヒロさんのことはそもそも余談でしょう?私たちがここに呼ばれたのは、ティーヌ河の悪霊について、確認をするため。千早とフィリアさんが対処したのですから、間違いなく輪廻の輪に還っているとは思いますが。それでも一応、詳しく周辺を再調査する必要がある。その枠組み作りをしていきませんと。」
どうにか元気を取り戻したカヴァリエリ司教、急に饒舌になった。
あれよあれよという間にも、再調査プロジェクトの概要が立ち上がっていく。
どうもバカにしてしまっていたが、この人物、官僚としては間違いなく優秀だ。
「それではこれにて失礼。私も忙しいので。」
そう言ってそそくさと司教は立ち去った。
「千早、なるべく早く支部に顔を出しなさい。子供たちが土産話を待ち望んでいます。姐さんも心配していましたよ。」
アラン支部長も部屋を去る。
残されたのは、俺達三人と閣下。
「お帰り、フィリア。ソフィアも会いたがっている。」
閣下が微笑んだ。
「ただいま戻りました、お義兄さま。」
フィリアが答える。
以前、フィリアは6人姉妹の末っ子だと聞いた。ソフィアという女性がフィリアのお姉さんで、閣下はそのご主人ということか。
正直、少し安心した。
これだけの人間離れした美形だ。「ひととしての生活」を送ってはいないのではないか、嘘みたいな夢物語を生きて、天に愛されるまま召されてしまう人なのではないか、そんな心配が心のどこかにあったのだ。
目の前の「閣下」には、イギリスのフィリップ殿下のように長生きして、大活躍してもらいたい。そう、切実に思う。
どうやら俺は、閣下の魅力に参ってしまったようだ。
「身元保証人の件、感謝いたします。」
「仕向けたのは君だろう、フィリア。報告書を読めば自然とそうさせられてしまう。だが、入り婿の私よりも、フィリア、君やソフィアが保証する方が確実では?メルの家の名の下に。」
「姉にももちろん、連署してもらうつもりです。でもお義兄さま、入り婿だなんて……おやめください。姉を始め、私たち皆が悲しく思います。」
そして、また出た。経文が。
「きょくとうどうないかくがくしならびにしんとのいんじょうしんとしつきんごならびにせいほくだいしょうぐんふどうちゅうしょもんかべんしょうじきょうしょれいせいほくしょうぐんならびにさくてぃ・めるそうとくかっか、なのですから。」
「だからそれはよしてくれって!」
二人は笑い出した。なんとも絵になる光景だ。
その美しいワンカットをマヌケ面で眺めている俺に、閣下が目を向けた。
「さて。」
思わず身を正す。
「閣下、ありがとうございます。」
「固くならなくても良い。いま話していた通り、私は入り婿でね。身近なところに男性が増えることには感謝したいぐらいだ。……アレクサンドル・ド・メルだ。公式の場では『閣下』は仕方ないが、私的なところではアレックスとでも呼んで欲しい。」
当然のことだけど、やっぱり閣下は貴族だった。無茶振りを押し通そうとする。
畏れ多いんだってば。
「それでは、アレックス様と呼ぶことをお許しください。」
「固い固い。まあ最初だ、しかたあるまい。それで行こう。」
「千早も、久しぶり。君については心配することなど何一つ無いな。また腕を上げたかな?」
「再び拝謁する光栄に浴し、恐悦に存じます、閣下。」
「固い。君もヒロと同じようにして欲しい。」
「承りました、アレックス様。実習は、得るところ多き旅にござりました。」
「それだけの腕を持ちながら、なお向上しようとするところが、君の一番の美点だと思う。フィリアを叱咤してやってほしい。」
「フィリア殿には叱咤されっぱなしにござります。」
「確かに。私もそうであったな!」
「お義兄さまったら!」
フィリアの姉君、ソフィア様に挨拶をしに行くこととなった。
再び馬車に乗り、メル家に向かう。
俺達が事情聴取を受けていた、この城。これまで「新都の政庁」と言ってきたが、それは違うのだそうだ。
この城は「極東道の政庁」である。「道」は、北海道の「道」と同じ意味で、王国の行政区分。
新都、その南西に位置する王国直轄領・カンヌ州、新都の南東に浮かぶファンゾ島、新都の北にあるサクティ・メル、ミーディエ、ウッドメル、ギュンメル。その総称が、「極東道」である。
「新都の政庁」は、極東道の政庁から西方向。ネイトという街にある。
そしてこのネイトの街、極東地域におけるメル家の本拠ともなっているのだ。
馬車の中で、どうしても気になっていたことを、聞いてみた。
「アレックス様の称号って、どういうことなの?」
「『極東道内閣学士 並 新都尹丞新都執金吾 並 征北大将軍府同中書門下平章事教書令征北将軍 並 サクティ・メル総督閣下』、ですか?」
フィリアの説明、以下の如し。
「極東道内閣学士」について。
「内閣学士」は、極東道政府の内閣の、閣僚であるということ。王国中央政府も内閣制度を採用していて、そこの閣僚(大臣)は、「内閣大学士」と呼ばれる。
地方政府なので、少々はばかって、「大」の字を抜いているのだ。
「新都尹丞新都執金吾」について。
「新都尹」は、新都の知事。「新都尹丞」は、新都の副知事という意味だ。
「執金吾」は、都の警察の長官。「新都執金吾」ゆえ、新都警察の長官だ、ということになる。
「征北大将軍府同中書門下平章事教書令」について。
極東道では、通常の行政のほかに、軍政が敷かれている。
「征北大将軍」による、幕府である。それが、「征北大将軍府」。
幕府・軍政ゆえ、権力の集中と効率化が重視される。そのため、内閣制度ではなく宰相制度が採用されている。
幕府の宰相、それが「同中書門下平章事」。これは政治職。
幕府の行政官僚のトップ、それが「教書令」。中央政府ならば「尚書令」なのだが、「尚書」は王の出すものなので、それをはばかって「教書」。
軍政ということは軍権を有しているわけで、軍人としての地位が「征北将軍」。
「征北大将軍」は王族の、いわばお飾りゆえ、「征北将軍」が事実上のトップである。
「サクティ・メル総督」について。
サクティは、メル家の領邦である。領主はフィリア姉妹の父親である、メル公爵。
メル公爵は王都に滞在しているので、領邦を管理する責任と全ての権限を持つ、いわば州知事代行が、「総督」なのだそうだ。
極東地方政府の閣僚であり。
その下にある新都の副知事として、警察業務を担当し。
同じく極東をカバーする軍政の宰相であり。
極東方面軍の事実上のトップであり。
新都の隣にある領邦の知事でもある、と。
それがアレクサンドル・ド・メル閣下の職務であり、地位であった。
二十代の職務じゃねえ!
複雑な二重行政・三重行政。そのトップに近い位置を全て兼任している。
優秀でもあり、家柄としてもそうならざるを得ないのかもしれないが……人材の使い回しにもほどがある。
「王国は常に人材を求めている」という、アレックス様のお言葉。ただの励ましではなかったのだ。