第二百三十五話 祭礼 その4
儀式が終わって後、案の定。
教皇・インノケンチア7世台下からのお呼び出しがあった。
先ほどの大広間の絢爛たる装飾……どこか重々しくも刺々しい雰囲気とは異なり、応接間は物柔らかな空気に包まれていた。
「私は目が見えませんので。左右が配慮してくれているのです」
実際、左右に……これは、高位聖職者ではないな。
貴族で言うところの「取巻き」あるいは「侍女」にあたる女性を控えさせ。
「重く硬い調度では、何かの拍子にぶつかって怪我をしかねませんから」と。
教皇とは思えぬほどに物柔らかな口調で話しかけてくる。
しかし。
己の弱みを平気で曝すか、この人は。
今まで会ってきた「権力者」も、自嘲を口にすることはあった。
とは言えそれは、お互いの人柄がよく分かってきた後のことで。
「なめられることはない」という確信を持った上での自嘲だったのだが……。
等身大と言えば、聞こえは良いかもしれないけれど。
この人からは、人格的な圧力をまるで感じない。
システムではなく、個人の能力と人格によって組織を牽引する。
それが王国社会の「常識」なのだけれど。
これでは、少々。失礼ながら、あまりにも「威」に欠ける。
……やはり、傀儡なのか?
こちらの疑問を見抜いてか否か。
柔らかな口調のまま、爆弾を放り込んできた。
「好奇心の女神の眷属であると伺いましたが……」
「台下!」
侍女のひとりが、小声ながらも鋭い語調で一喝していた。
どこかで見た顔だけど……。いや、気のせいか。
「どこにでもいる顔」と称するのが正しいのかも知れない。
それにしても、侍女からもこの扱い。
「あら、ごめんなさい」などと、詫びまで入れて。
いったい、この人は……?
これでほんとうに教皇なのか?
「好奇心の『精霊』の眷属であると伺っております。異世界から転生されたのでしたね?」
今度は俺が叫ぶ番であった。
「精霊」扱いに腹を立て、侍女に飛びかかろうとするミケの首根っこを押さえつつ。
「異世界からの転生」という「概念」を知ることが許されているのは、王室、メル家、それに各宗教のトップに限られる。
他に、キュビ家や一部高位貴族の当主が知っているかどうか。そこまでは把握していないけれど……。
ともかく、「最高機密」である。
宗教枠で言えば、枢機卿や李老師ですら、知らされてはいないのだ。
当然ながら、「取巻き」に聞かせて良い話ではない。
「ご安心ください。私の介助をする侍女は、耳が聞こえません」
台下は視覚障害者……目が見えない。
それゆえに、常に左右に介助者を控えさせているけれども。
なるほど、このクラスの要人となれば、会話内容の多くは「他人に聞かせてはならぬもの」。当然の配慮ではある。
けれど。
それならば。
「『女神』というお言葉を聞きとがめた、そこの女!何者か!」
年齢不詳、どこかで見たような顔、どこにでもいるような顔。
間者ならば、合点がゆく。
容赦できる相手では無い。
「口封じ」の必要もある。
しかし、敵が台下のお側にあっては。どう対処すれば良い?
だいたい、聖神教の幹部であれば、こちらより先に「殺せ!」という結論を出すところだけれど。
こんな「呑気」な教皇台下の前でそういう話を口にするのは、少々その……憚られる。
すべて計算済みであったか。当の女、冷笑を浮かべている。
「一度会った人の顔を覚えるのは、貴族の素養のはずですが?」
誰だ?
いや、焦ってはいけない。
「随分と化けているようだが?」
時間を稼ごうとしたその質問は、空振りだったけれど。
「化粧などしませんよ、修道女として作られたのですから」
返って来たその言葉のおかげで、理解できた。
ゴーレム!
それじゃあ、ミケが「精霊」扱いに暴れたのは……。
「神様仲間にディスられたんだよ!怒るに決まってるじゃん!」
するりと俺の腕を抜け、再びねこパンチをかましに行く。
動きにくい修道服でひらりと身をかわすその様子には、覚えがあった。
「希望の悪魔の……」
「はい、正解」
聖神教の教敵じゃねえか!
台下!
それにもう一人の侍女さん!聞こえていなくても、状況は分かるでしょう!?
「こちらが誘惑に乗らぬ限り実害はありませんし。そもそも私達にどうこうできる存在でもありませんから、ほうってあります」
教皇に推戴されるだけあって、さすがの大物っぷり……で、良いのか?
侍女も教皇付きに選ばれるだけあって、「ご本尊」の精神状態を正確に把握しているようだけれど。
落ち着きすぎてはいらっしゃいませんかねえ?
「ヒロ君、武術の腕は欲しくないかい?神殺しに挑もうかという男を越える実力。師匠をはるかにしのぐ技量。『世界一』の名誉。本気で望めば、君なら手が届く」
神様連中、お前らは自重しろ。
もう少し落ち着け、なっ?
……いや、正直に言えば、少し心がざわついたけれど。
だが。
ペニシリンを開発した、リリーのことを思えば。
俺が為すべき「仕事」など。あれほどの意義も無ければ困難も無い。
女神の加護を受けて、塚原先生から、東方三剣士から切紙をもらって。
それで悪魔に頼るんじゃあ、合わせる顔が無い。
お前だってそうだろうが。希望の悪魔よ。
俺なんかに声を掛けて、リリーに恥ずかしくは無いのか?
あの時、お前を少し見直したもんだけど。
どうやら間違いだったみたいだ。
こういう時のためにある言葉なんだろうな。
「地獄に落ちろ。……何なら、『手ごろな神様』としてエルキュールに推薦しといてやるぞ?」
カッコ良く決めたつもり、だったんだけど。
落ち着き無き我が創造主は、それどころではなく。
喧嘩相手の修道服の中にもぐりこんでいた。
「うわ、リアルに作り込んでるじゃん!やらしーなー。生殖機能は?」
お前ら!
ここをどこと心得るか!
「あんなあざとい系美少女作った君が言う?だいたい、それをする権能、私達には与えられていないでしょ?……ああヒロ君、安心なさい。あなた方のような転移者・転生者は、元が生物であれば大丈夫。私たちの権能とは関わり無く、生殖機能を保持しますので」
「高位聖職者の前で『地獄に落ちろ』なんて言っちゃうのも大概だよ、ヒロ?」
ほっとするやら、非礼に慌てるやらで、もう散々。
「不適切な発言をお詫び申し上げます。……して、台下。光栄にも私をお招きいただいた理由とは」
そんなふうにごまかす他、なかった。
「ひとつには、ほんとうに転生者かどうか確認したかったのですけれど。どうやらそれは済んだようです」
じゃれあっている二体のゴーレムをよそに、淡々と語っていたけれど。
同じ口調のまま紡がれた次の言葉が、重かった。
「もうひとつは、教皇の後継者たりうるか、確認したかったのです」
いや、その。
私、聖神教の徒ではないのですけれど。
「関係ありません。教皇は選挙で選ばれますが、それは形だけのもの。前任者に指名された者が次の教皇になります。……候補者資格を有する人物については、それが判明した時点で、無宗教者だろうが天真会会員だろうが、必死で囲い込みにかかるのです」
囲い込んだ上で洗脳……もとい、「宗教教育」を施すと。
やっぱり聖神教は恐ろしい。
「怖がらないでください。悪い話ではありません。生活は保証されますし、勉強もできます。村にいた頃にはとても会えなかったであろう、すばらしい人格者や宗教家とも知り合うことができました」
台下は11歳まで、ひとりの「村娘」だったそうな。
保護されて教育を受けること8年。19歳で前任者の跡を継いで、さらに10年になるとのこと。
そう言われてみると……ダライ・ラマのシステムと同じようなもの……なのか?
でもねえ。
俺は既に、それなりに「おとな」だし。
「すばらしい人々」には、世俗でもさんざん会ってきているし。
だいたい、「村娘」だった台下が、どうして適格者だと判明したんだ?
それと、もうひとつ。俺はそこそこ「目立つ」動きをしてきた。「囲い込み」の使者は、もっと早く来ても良いはずなんだけど。
「『おそらく、適格者ではない』と思われたので、積極的には声をかけませんでした。今日お呼び立てしたのも、後継者『たり得ない』ことを確認するためというのが、正確なところです。もうひとつは、その。『声をかけてください』とお願いしたところ、『メル家の保護下にある少年ですので、手出しできません』と」
台下がのどかに「勧誘」を指示すれば。
部下が鋭く「手出し」の可否を応える。
これぞ聖神教。
つくづくメル家には感謝しなくてはいけない。
拉致からの餃子という「ロウルート」に乗るところであった。
それはともかく。
「適格条件とは、何です?」
「神の声を聞けること。いわゆる『預言者』であることです」
これはまた、大変な話になってきちゃったけれど。
「私は、好奇心の女神の声は聞こえますし、希望の悪魔とも会話していますけれど……誰でもできることだけに、そういう話ではないのですよね?」
無言で頷く台下。
説明を聞いてみたところ。
どうやら、「ラジオの周波数が合ってしまうように、突然聞こえてくる」ような感覚らしい。
「大陸」で起こる神々の干渉について、そのさまを受信してしまうのだそうな。
「ヒロさんのお知り合いですと、天気の神と関係のあるシオネさんが適格者です。……天真会の理解を得られていないので、こちらにはおいでいただけませんけれど」
だからシオネは、天真会の秘蔵っ子扱いだったのか。
拉致されては困ると。
「適格者がかならず教皇になるわけではありません。候補者は数人いますし、安心してください」
その言葉に、かえって嫌な予感を覚えた。
「選ばれなかった人は、今どうされているのです?」
まさか闇に葬られたりは……。
「この聖域で、心穏やかな日々を送っています。一緒に勉強してきたお友達とは、いまも一緒なんですよ?」
ソフィア様の「ご学友」と同じ扱いか。
それならひと安心……でもないな。
「天真会には帰れない、そういうことですね?」
その言葉に、初めて彼女が……村娘にしか見えなかった女性が。
聖神教の頂点、教皇台下の姿を見せた。
見えぬまなざしが、決然と上を向く。
「一般社会は、異能者にとってはつらい世界です。それを『主の試練』と捉えることもできますけれど。それでも、御教えに触れる機会は、あってしかるべきかと」
……子供だった彼女は、偶然神の声を受信した。
それは災害予知となり、村は救われた。
しかしその後訪れた啓示は、人間の生活とは関係の無いものばかり。
村人は、両親は、落胆した。
そこに神とは関係ない、自然災害が起きた。
彼女には、予知できなかった。
……「一触即発」のところを、聖神教に救われた。
「両親にも見放されたところを、救われたのです」
ひとつの考えが、頭に浮かんだ。
口にしてはならぬことだと、そう思った。
しかし目の前の女性は、教皇台下であって。
「村娘」から20年の研鑽を経た女性は、こちらの内心など見透かしていた。
「分かっています。教団は介入のタイミングを見計らっていた」
ならば、なぜ!?
裏切られたとは思わなかったのか?
「私は、自らの意思で応じました。そして、数年後。両親を、村の人々を、御教えの名において赦しました。……その心を、救いを教えてくれたのが、聖神教なのです」
見えぬ目で俺を見据える、その気迫の鋭さ。
彼女もまた、王国社会のリーダーであった。
「教皇に選ばれるかどうかなど、小さなことです。こちらでの暮らしがシオネさんの心に救いをもたらすこと、間違いありません。ヒロさんからも声をかけ、勧誘してくださいますよう」
言葉は丁寧だが、これは命令に等しい。
以前の俺ならば、押し切られていたと思う。
だが、今は。
「シオネ本人と天真会関係者に、台下のお言葉を伝えます。……そのこと、確かにお約束いたします」
言葉を伝える。
あなたの誠実を、伝える。
約束するのは、そこまでだ。勧誘はしない。
耳が聞こえぬはずの侍女が、凄まじい目をこちらに向けてくる。
俺の気合に反応したな?
それなりの「腕」は持っていなければ嘘だとは、思っていたけれど。案の定。
手を挙げて侍女を制し、先に笑顔を見せたのは教皇台下。
「後継を思うなど、おこがましい限りでしたか。私自身が修養を重ねなくては」




