第二百三十五話 祭礼 その2
電気のない世界。
人間の活動は全て、夜明けと共に始まる。
お役所仕事も、祭礼も。
後宮の中庭に貴族達が列を作る中、勅使の出立が告げられ。
廷臣の筆頭・中務宮さまが、一歩を踏み出す。
「祭礼の間、王宮の警固は近衛府オーウェル中隊長に一任する」
昇り初めた朝日に輝く身から、大音声が返って来た。
「謹んで承ります!小隊長某は宮門を固めよ!同じく某は王宮内部を巡回!エドワード・B・O・キュビは王長子殿下の警護!私は後宮と陛下をお守りいたします!」
すべて、式次第。
1000年使われ続けた台本どおりの流れ。
……を、破った者がいた。
まっすぐに立つ大男の傍らに歩み寄り、その手を取り。
「くれぐれもお頼み申し上げます、オーウェル中隊長どの」
そして再び、定位置に戻る。
祭礼の主役、カテドラルへの勅使を務める兵部卿宮さまであった。
式次第を混乱させる行いかもしれないけれど。
ひのき舞台を譲ることになった目下のマックスに対する、これは激励だ。
非難される行動、なのかもしれない。
宮廷において式次第を乱す振舞いなのだから。
その「疵」が後々及ぼす影響の大小も、その場では測り難い。
王位継承レースに臨む身であれば、万全を期すことこそ「正しい」のかもしれない。
それでも、「なすべきと思うことは、迷わずそれをなすべし」。
「何憚ることなく振舞う」とは、「貴族である」とは、そういうこと。
アリエルなら、この行いをどう評するであろうか。
……それを尋ねることは、できない。
彼はコンスタンティア様と共にあるのだから。
陛下のお出ましがあり。
勅使一行を親しくご覧になり、ねぎらいのひと言があり。
そして我らは後宮を後にして、王宮内を北へと歩む。
立ち並ぶ蔵のひとつ、「王室財産」を納める蔵の前に、有司がすでに並んでいた。
聖神教への幣物を受け取る。
南に転じ、正門にあたる朱雀門へと向かう。
ここまでの挙措は、いちいちその全てが、礼にかなっていなければいけない。
王朝において「礼儀正しい」とは、態度や心がけを示す言葉ではない。
「作法どおりの行動を取っている」という意味を持つ。
どれほど謙譲な態度を示しても、挙措が規範から外れていては、「無礼者」扱いをされてしまう。
礼儀とはルール、いやむしろ法律に近いのだ。
これまでは、間違いそうになるたびにアリエルが耳打ちしてくれた。
これからは、頼れない。
近衛兵の小さな間違いは、見逃してもらえる。
そのようなことにいちいち目くじら立てていては、行列などとても進まないから。
しかし小隊長は、公達は、そうは行かない。
現に周囲の小隊長たち……イーサンやイセンあたりは、まるで緊張した様子を見せることもなく。それでいて、決して作法を外さない。
勅使の兵部卿宮さまに至っては、全て理解した上で、あえて作法を踏み破って見せた。
「……何か?」
そうだ、優れた武人でもあった。
気配を察したのであろう。
「君は初任であったな。緊張しているのか?……固くなることは無い。祭りなのだ。みやこびとの期待に応えること……派手やかに振舞うことのみ、心掛けておれば良い」
我が身を包むは、従五位下を示す薄緋の袍。
体格は「それなり」の俺は、制服効果も相俟って「それなり以上」には見えている……らしい。
祭礼では冠に葵と桂を下げるのが「決まり事」。顔は見えにくい……と思う。
あとは堂々と振舞っていさえすれば良い……はずなのだ。
朱雀門が開いた。
歓声の津波が押し寄せる。
これで「舞い上がるな」と言うほうが無理というもの。
ほら、近衛兵の乗る馬が暴れ出した。
躾の良い馬でも、こんな目に遭わされてはたまるまい。
他に失態を演じてくれる者がいる。
こんなに嬉しいことは無い……というのは冗談にしても。正直、助かった。
素早く馬を寄せる。
俺の仕事ではないけれど。
ヴァガンを連れているのだから、適任であることは間違いない。
鞍上から手を伸ばし首を叩いてやれば、隊列に戻る。
本来、おとなしい性質なのだから。
見せ場を取られた右馬助は、渋い顔を見せているけれど。
これは兵部卿宮さまのお言葉もあったところ。
祭なのだ。おいしいところは早い者勝ちってことで!
二緯大道を東へ向かう間にも、左右の道は人だかりでいっぱい。
その中央を、「なみあし」よりはやや早い、パレード向きの派手な歩法で進み行く。
勅使一行は、ほぼ全員が近衛府所属。
文官もみな、馬術の嗜みはある。
リズムに乗ってしまえば、あとは順調。
王宮の東南角を左折すれば、なじみの大通り。
北に向かう我らの足取りは軽かった。
雅院(東宮)に最寄りの宮門は、待賢門と名づけられている。
「王の後継者たる太子は、在野の賢人を招いて教えを受け、研鑽を積むものだ」という古典の一節から取られている。
その待賢門近辺は、混雑で大変なことになっていた。
待賢門上の望楼に、王長子アスラーン殿下ご夫妻がお見えになっているから。
新婚のお二人は、みやこびとの注目の的。
……じかに姿を現されることなど、あるはずもなく。見えているのは巨大ハンマーを掲げた若武者の姿のみだけれど。
それでも、同じ「場」に居合わせたいのだ。お祭なのだから。
歩調を緩め、そして。
その場で馬に足踏みをさせる。
これがね、もう。難しいんですよ。リズム感勝負といいますか。
アカイウスにどやされ、ピーターに慰められ。
ヴァガンを通じて必死に馬とコミュニケーションを取りつつ、どうにか間に合わせたのです。
大歓声が湧く。
勅使が足踏みを見せるのは、間違いなく太子殿下がそこにおわす証だから。
その歓声に、また数頭、リズムを崩された馬がパニックを起こし。
右馬助とふたり、それを収拾する。
相手が王長子殿下ならば、本来下馬の礼を取るべきところなのだけれど。
こちらは現在、「勅使」一行であるからして。むしろ本来、「太子殿下に遭おうが王后陛下に遭おうが、無視して先を急がなくてはいけない」立場にある。
そこを、馬を足踏みさせることで「止まってませんよ~進んでますよ~」という体裁と、王長子殿下への挨拶とを両立させると。
ついでにこれはお祭、馬術の妙の見せ場であると。
パニックを起こした馬を落ち着かせ、ややしばし。
全騎で揃いの足踏みを披露し、歓声を浴びたところで。
そのまま騎乗で軍礼を取りつつ、再びゆったりと歩を進める。
その先にあるのは、陽明門。
我ら近衛の勝手口。
手すきの者がめかしこんで列を作り、敬礼を見せていた。
こちらも応えつつ、先に向かう。
王宮北東角に到着。
ここで右折し、一緯大道を東へ向かうのだが……。
この交差点は、祭礼の式次第において「列見の辻」と称されている。
王宮北東角のこの地点で、勅使一行と、カテドラルからお出迎えに来てくださった斎王シアラ様の行列が合流するのである。
もう一度行列のメンバーを点検するから「列見の辻」。
全員が足を止め、しばし休憩を入れる中継点。
「列見の辻」は、公達を眺め放題のベストスポット。
この交差点を中心に、東へ向かって貴顕たちの「桟敷」が組まれている。
お馴染みのお歴々と、そのご家族がおいでになっている。
やはり御簾をかけまわしてあるから、直接に姿を見せることはないのだけれど。
見慣れた家紋。
エスカッシャンにはライオンに鷲、ドラゴンに百合。
メル家の桟敷だ。
その一角から、男が姿を現した。
俺にだけ見えている、半裸の男。
いつでも、すぐ隣に立っていた。
どやされてばかりだったけれど、その言葉にはひとつとして無駄が無かった。
こうして遠くから眺めるのは、出会った時以来だったか。
均整の取れた体格、たくましい胸板、二の腕。
彫りの深い顔、品のある口元。
遠目で見るアリエルは、まるで彫刻のようで。
まさに美丈夫。
そのくせ、少し心配そうな顔を見せていたから。
軽く手を振ってやった。
……いいからほら、行けよ。
「お姫様」をほったらかしにするもんじゃないだろ?
困ったような、無邪気な笑顔を返してきた。
兄貴面、父親面ではなくて。「仲間」に見せる顔を。
そして、そのまま。
御簾の向こうへと消えて行った。
ありがとう、アリエル。
「……高公爵夫人、コンスタンティア様の桟敷か?」
敬礼を見せていた俺に、兵部卿宮様が気付き。
返事を待つまでも無く、号令をかけていた。
「総員敬礼!あちらにおわすは元王女殿下・メル家の高公爵夫人である!」
斎王シアラ様も、輦輿をそちらに向けさせた。
大先輩に対する、最高の礼遇。
桟敷の貴顕も、みな気づいた。
拍手が起きる。
それは、コンスタンティア様に贈られたものだけれど。
俺だけは、併せてあなたにも贈る。
どうか受けてくれ、アリエル。
賀茂祭の「列見の辻」は、一条大路にあったらしいのですけれど、具体的にどこかまでは詰めきれませんでした。
また、斎院は平安京大内裏の真北あたりにあったそうです。
そこから南下して、列見辻で合流し、下賀茂神社を目指した……らしいです。
この物語では、「カテドラルから迎えに出てきた」という作りにしております。




