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第二百三十一話 本懐


 その連絡を受けたのは、日の出直後のことであった。

 陽明門(王宮の東門)が開くや、男が衛兵に封書を差し出してきたのだと言う。


 「近衛府のカレワラ小隊長殿あてです」と伝言して。



 衛門(宮門警備担当)小隊長・イーサンの立会いの元、その封書を検める。

 差出人は、レイ・ソシュールであった。



 「こんな時間に?」


 かけられた言葉に不安を覚え、大急ぎで書面に目を走らせる。

 手が震えた。


 肩越しに覗き込んでいたイーサンは動じていなかった。

 素早く人員を選別し始める。


 「検非違使マターだね。折り良くティムル・ベンサムが泊り込んでいる。上司の僕、宛先のヒロ君……」


 その声に、どうにか俺も落ち着きを取り戻すことができた。


 「グリフォンで出よう、イーサン。もうひとり、先発で連れて行ける」


 

 言い終える前に、すでに目の前に立っていた。

 ただならぬ雰囲気を真っ先に察知した、エドワードが。


 そうと決まれば、後は早い。

 仮にも近衛府は軍隊なのだから。


 「アロン、非番のイセン君を呼んでおいてくれるか?」


 「アカイウス!カレワラ党を集めて、後から追って来てくれ」


 「ヤスペル、検非違使庁に走れ!」


 イーサンに俺、ティムル・ベンサム。

 三者三様に召集をかけ、王宮の外で使いの男を後続に託し。

 


 上空から降り立ったソシュール道場、その奥まった一角。

 道場が隆盛を迎え、規模を拡張する以前からの敷地。

 その中央には、百姓屋敷を改装して使ったと伝わる、素朴な道場が建っている。

 その板敷きの上に。



 思っていたより綺麗な姿で、壮年の男性が横たわっていた。



 「真剣勝負による結末。違法性はありません」


 ティムルがおもむろにつぶやく。



 明かりを取り入れてより詳しく検めるべく、道場の雨戸を開け放つ。

 イーサンが眉をひそめた。


 「……本当に、なんの違法行為も無いのかい?」



 レイの眉宇は苦悶に満ち、充血した目は大きく剥かれ、口は噛み付かんばかりに開かれていたから。

  


 「ありません。試合ではない、真剣勝負なのですから。日頃は人徳者であっても、生き死にの狭間に立つ以上は……」

 

 「そうだイーサン、ティムルの言うとおりだぜ。むしろこの表情かおで死を迎えてこその、武人だろ?」



 これがレイ・ソシュールの生き様だ。


 社会の中で生きることを選んだ時、レイは地金を……いま見せている姿を、一度は封印した。

 その生涯において、何度か訪れたであろう真剣勝負のときにだけ、この姿を解放し。

 勝負を終えれば野性を収め、人として人の世に戻って来た。

 

 その切り替えを身につけたのが、レイ・ソシュールなのだ。



 「尊敬すべき人だった。親しく接した時間は、あまりに短かったけれど」



 立ち尽くす俺に、歩き回っているティムルから声がかかった。

  

 「そのうち分かりますよ。『付き合い』というもの、接した時間の長さでは無い」


 励ましか、喝か。

 どうにか動き出す俺。



 イーサンの動きは早かった。

 レイ・ソシュールとの縁がやや浅かったからか、ティムルの上司として情け無い姿を見せられぬからか。


 「弟子が来るのだろう?さすがに……」


 片膝ついたイーサンが、目を閉じてやろうと手を伸ばし。

 

 

 「待て。師範代連中には、この顔を見せるべきだ」

 

 言いざまエドワードが、イーサンの手を遮っていた。



 「それが武人かい、エドワード君?……ならば一つ、質問して良いか?対戦相手はどうした?正々堂々の勝負であれば、この場にあって然るべきじゃないのか?」


 イーサンも、陛下の侍衛としてのレイ・ソシュールに接していた。

 互いに不快な感情を抱くことなど、ありうるとは思えない。

 遺体を放置した対戦相手に見せた怒りが、レイに対する彼の感情を教えてくれた。



 「ええ。それがおかしいのですよ。デクスター小隊長殿」 


 なぜか外へと飛び出していたティムルが、庭から説明を始めた。

 

 「ご覧ください」と、指を差す。

 道場から、点々と……と言うにはかなり多い量の血痕が続いていた。



 「相手も怪我をしていて、治療中。だからこの場を離れた……むしろ自然に思えるけれど?」



 「武術の道場に怪我は付き物。治療の備えはあるものなのです。にもかかわらず、相手は道場を去っている。血痕が昨夜の雨に流されていなければ、もう少し追えたものを」



 検非違使が、「追う」ような事態だと?


 その疑問を、エドワードが早速口にのぼせていた。


 「なあ、ティムル。真剣勝負の『心得マナー』って意味では『なっちゃいない』だろうけど。それでも『犯罪』じゃあないんだろう?何もそこまで気にしなくとも」



 ティムルはどこまでも渋っ面。


 「エドワードさん。犯罪ではないゆえにこそ、面倒なことに……」



 あ!


 「それかー」

 「そっちかよ」


 エドワードとふたり、声をあげてしまった。

 


 「不心得者にも分かるように教えてくれないか、お三方」


 武術道場とあって、イーサンはどうも疎外感を覚えているようだ。



 「『遺恨試合』のタネになるってことさ」


 「師範が殺されれば、弟子の一部が『敵討ちだ』と騒ぎ出すんだ。きちんとした人格者同士が、覚悟の上、終始礼に則って勝負をしたとしても」



 と、説明しさえすれば。

 そこはイーサンなのであるからして。


 「なるほど。まして、『我がお師匠のご遺体を曝しものにしたまま、逃亡するとは!』ってわけかい?……で、対戦相手は?……って、ああそうか。手紙に書いてあったね」



 書かれていなかったとしても、現在の王都でレイ・ソシュールに勝てる者など一人しかいない。


 一番弟子、筆頭師範代。 

 エルキュール・ソシュールその人である。


 

 「だとすれば、ヒロ君。それはあんまりではないか?先ごろの御前試合でも不心得なところを見せていたけれど……自分の養父・お師匠だろう?遺体を放置するなんて、どういうつもりなんだ!」 

 


 縁の薄かったイーサンですら、義憤を覚える状況である。


 レイ・ソシュール師範のご遺体を囲んだ4人の師範代は、案の定。

 悲憤慷慨を禁じ得ぬといった趣であった。


 それでも、ややあって。


 「いや、これこそが武人の最期」

 「先生のこのお顔を忘れまいぞ」

 「エルキュールのことはまた後で」

 「そうだ。若い弟子たちにはこのお顔を見せるべきではあるまい」


 見開かれていた目と口が閉じられれば。

 見慣れた穏やかな顔が帰って来た。

 

 拭き清めるべく身体を検めて、はっきりした。

 死因は、頚動脈への一撃。

 血飛沫こそ多かったが、遺体に崩れや欠けが無いのは幸いであった。



 「近衛府の皆さまには、いかいお手数を……して、なぜ私たちより先に?」



 「庭男の某が、今朝一番で近衛府に書状を届けてくれたのです」



 ……前日の昼過ぎ、庭男はレイ師範に呼び止められた。


 「この書状を、明日の朝一番ちょうどに、王宮に届けてくれるか?」


 いつも通りのレイ師範で、何の疑問も覚えなかったそうだ。

 


 ……そしてその夜半、レイ・ソシュールは養子のエルキュールと真剣勝負に臨んだ。



 「手紙には全てが書かれてあります」


 レイの側から申し込んだこと。

 試合は深夜2時に開始されること。

 いかなる結末を迎えようとも、互いに恨みは抱かぬ旨約してあること。



 「皆さんへの伝言も、書かれてあります」


 もし自分が命を失った場合には、ヒロ・ド・カレワラ閣下の立会いのもと、私室の机に収めた遺言状を取り出すべし。

 


 ……指示にしたがい、遺言状を開けば。

 


 当座はわが養子エルキュールを中心に、道場を運営せよ。

 重傷を負うなどの理由により、エルキュールもその任に堪えがたい場合には、次席師範代がこれに代わり、ほか3人の師範代と集団指導体制を採ること。

 むろん落ち着いた後は、おのおの武人の本懐に従って行動すべし。

 (分派しても良し、勝負で道場主を決めても良し、思うように生きろということらしい)



 我が畏友、兵部卿宮さまに改めて道場の後見をお願いするように。 

 生前よりこの時に備えてお願いし、快いお返事をいただいてある。

 (実質は弟子だけれど。王室の、それも三巨頭のひとりということで、「友」という表現を用いているようだ。お互い「遠慮の妥協」をしているのであろう)



 遺恨試合・敵討ち等、無用である。厳に禁止する。

 諸君が十分な研鑽を積んだ上、一個の武人として勝負に挑む場合にはこの限りではない。  

 


 

 別の封筒に、細々とした指示が書かれていた。


 道場等、不動産の管理について。

 「レイの私有地を兵部卿宮さまに買い取っていただき、宮さまがごくごく安い家賃でレイに貸し出す」という体を取っていることが記されてあった。

 これならば、継承もスムーズに行く。次の道場主が賃借人になれば良いのだから。


 小間使いや庭男への、「退職金」について。

 「今後も道場で働きたいと申し出た場合には、兵部卿宮さまに預けておく」とのこと。


 そして形見分けの目録など。




 武術バカどものために、至れり尽くせりの指示書を出して……。

 これが「人の師表に立つ者」の姿か。

 

 

 改めて遺言状の文末に目を通す。

 

 「こと武術に関しては、私は諸君それぞれに全てを教えたつもりであるし、諸君もそれぞれ私の教えを咀嚼していることであろう。もはや言うべきことは無い。これからも励んでくれることを願う」



 きちんと全てに始末をつけて、身辺を整理して、そして。


 エルキュールと命懸けの勝負に臨むという武人の本懐を果たして、散って行った。


 


 なあエルキュール、どこに行ったんだよ。

 これほどの人を父親に持って、思うところはないのか?

 レイ師範の最期の姿を見たんだろう?言うべきこと、為すべきことがあるんじゃないか?

 帰って来て、道場を継ぐべきだと思わないのか? 



 板敷きの道場を後にした時には、昼も過ぎ。

 三月の陽射しはうららかを通り越して、やや蒸し暑く感じられた。


 陽炎の向こうを、ぼんやりと眺める。

 そんなことをしてもエルキュールが見つかるわけなどないことは、わかっていたけれど。

 


 背後から、声が聞こえた。


 「できぬから、武術バカなのよ。純粋な武人とはそうしたもの。レイ・ソシュールとて、結局はその道を選んだのであろ?」



 それが、李老師との再会であった。


 

 いきなり土下座され、千早の命を救ったことに感謝され、慌てて扶け起こして。



 「王畿総本部に足を止め、磐森郷でサイサリスにファギュスを預けてきたところでの」


 ああ、連れてきてくださったんですね?

 良かったな、ヴァガン。

 でも……。



 「昨晩、夢枕にレイが別れを告げに来たわ。そのまま輪廻の輪に帰ったよ」

 


 年代的に、交流があってもおかしくは無い。

 でも、だったら、なおさら!


 「他に道は無かったのですか?老師がもう一週間でも早く来てくれていたら、こうはならなかったんじゃないですか?」


 


 「ヒロ君、お主とて分かっていたはずよ。レイ・ソシュールの顔、知らぬはずがない」


 ああ、そうだ。

 道場で稽古をつけてくれた後の、あの顔。


 大山長治と同じだった。

 結末が分かっているのに、喜んでその道に踏み出そうとしている男の顔だった。



 「少し違うの、ヒロ君。死は覚悟の上、それは当然。だがレイ・ソシュールは、負ける気で挑んだわけではない。まさに『勝負』を賭けたのよ。しかし、レイめ。私の夢に勝手に入り込んで、満足げな顔を見せつけおった。敗れはしたが、いい一撃を入れたに違いない。……分かるかの?エルキュールとて、神では無いのよ」



 そうだ、エルキュールは怪我をしているのであった。 

 

 いかんいかん!

 ついつい、レイ師範への感傷に浸ってしまった。

 エルキュールにまで微妙な感傷を抱いて……何をやってるんだ、俺は!



 傷を癒すまでは、遠出はできまい。

 その間に、千早に、メル家に、連絡を入れておかないと!



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