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第二百二十五話 嘘 その2


 

 「レイ・ソシュールには復職の意思が無いと? ならば仕方あるまい。しばらくは近衛師範に陛下と王長子殿下の警護を任せるとしよう」


 

 ロシウに嘘を復命したわけではないが。

 全てを伝えたわけでもない。

 隠しごとも、程度によっては嘘をつくのと等しいけれど……。

 


 「帰ったか、ヒロ。実はこれまで伏せていた話があるのだが」

 

 メル公爵も、俺に隠しごとをしていたと?

 ……気になるところではある、が。 



 「申し訳ありません。ヴィスコンティ枢機卿猊下と会う約束が、午後から入っておりまして」



 「そうか。では後日。急ぎの話では無いが、時間を空けておいてくれ」



 武人徴ぶじんだめし以来、公爵閣下の機嫌が良い。

 人物の見極めがついたから、「伏せていた話」を告げる気になったのだろう。



 


 枢機卿猊下と治部少輔じぶのしょうが会うならば。

 身分と言い年齢と言い、こちらから赴くのが筋だけれど。

 

 先日治部省に見えたお使者からは、「猊下から治部省へ伺うとのお話でした。『王宮に用事がある』との仰せです」との言葉があった。


 

 しかし、これまた嘘……いや、隠し事。あるいは「方便」というヤツで。




 「ヒロさん。五月に祭礼があることはご存知でいらっしゃいますね?」


 聖神教と王室との結びつきを示す年中行事は、数あれど。

 五月の祭礼は最大のイベントと言うことができる。


 「御勅使には兵部卿宮さまが立たれると決まり、その随身ずいじんのお一人に、ヒロさんも選ばれたとか」


 勅使は王宮を発ち、女子修道会へ赴き、さらに聖神教総本山へと向かう。

 その行列の華やかさはこの祭礼の目玉であり、貴族がこぞって見物に訪れる。

 その賑わいを、王都の民がさらに盛り上げる。


 現場は交通整理で大わらわ。

 勅使とあれば、警護役にして儀礼的な意味での「お付き」たる、「随身」も必要となる。

 当日は近衛府に京職ほか関係省庁、フル稼働である。


 聖神教と王室の共催イベントゆえ、式次第や参加者名簿は当然教団側にも知らされているわけだが。



 「女子修道会の一部から、反発が出ているのです」

 

 言葉はそこで断ち切られた。

 反発の具体的な内容を口にすることは、言ってみれば俺の悪評を口にするのと同じことだから。

 聖職者的には……と言うより、この場合は貴族の会話的に「それは、ちょっと」と。


 こちらを見ている。

 察しろと。


 最初は意味が分からなかったけれど。

 我が背後に、小さくなっている者の気配。

 ああ、なるほど。

 

 「祖父、アリエルの件ですか」



 この場合、無言は肯定。


 王室からは未婚の女性がひとり、結婚するまでの間、女子修道会に預けられる。

 人質というわけではないけれど、両者の連携あるいは紐帯の象徴であることは確かで。


 確かいま修行に出ているのは、陛下の次女であらせられたか。

 大蔵卿宮おおくらきょうのみやアイシャ殿下よりは年上。

 身分低き夫人のお子さまであったはず。


 それはまあ良い。

 いま大切なのは、「例の件」でいざこざが生じかけているということ。

  


 「アリエルと当時の王女殿下との間には、何も無かったと聞いております」


 家名を、遺産レガシーを背負ったからには。

 悪名と負債の処理もまた、俺の仕事。



 「カレワラ家の名誉のために主張している、というばかりではなさそうですね。……私も、おかしなことは無かったと信じております。が、男女のことが無かったとしても、『王女殿下が時おり修行を抜け出してはおしゃべりなどをしていらした』ことは事実。それだけでも問題なのです。専一に祈りを捧げていただくために、お預かりしているのですから」


 ただの「修行」、あるいは「学校教育」とはわけが違う。

 政治的な仕事、公務なのだ。



 「噂が立つだけでも、教団の顔に泥を塗る……いえ、失礼いたしました。ご迷惑をかけることになったと。そういうことですね?」



 「ええ。……その、私たちもみな、忘れかけていたのですが」



 困ったことに五月の祭礼、その主役こそ。

 勅使と並び、聖神教預かりの王女なのだ。


 「祭礼の参加者名簿に、カレワラの名があったのがいけなかったと」


 風化した記憶を呼び覚ましてしまったのだ。


 「『王女様にカレワラが近づくことを許すな!』と、そういうことですか」


 

 (聖神教のシスターなら、「視界に入るだけでも汚らわしい」、「同じ空気を吸うなんて耐えられない」ぐらいのことは言ってるね。賭けても良い)


 やめてください、ピンクさん。

 何かがガリガリと音を立てて削られるのです。

 

 ともかく!

 そこまで嫌われているなら、とりあえず。


 「随身ずいじんを辞退して、当日は交通整理や王宮の警備に回りましょうか?」 



 猊下の眉が、ひそめられた。

 困っていらっしゃる。


 「私どもも先日、それとなく申し上げたのですが」


 式部卿宮は、出仕停止中だから……式部卿宮の仕事を分担して肩代わりしているアスラーン殿下や中務宮に当たったか。


 「聖上におかれては、『すでに決まったことである。変更要求は教皇台下のご意向か?あるいは女子修道会の総意であるか?』と仰せであったとか。ご不快を覚えられていると伺いました」


 危ないところであった。

 宮仕えとは重荷を背負うて地雷原を行くがごとし。


 「『この件で詩人アリエルの非を鳴らすことは、返す刀で当時の王女殿下を難ずることに当たりますゆえ』と、その筋から。私もうっかりしておりました」



 こちらに戻ってきて日も浅く、忙しい中。

 組織の掌握も、これからというところのはずだもの。

 うっかりは仕方無い。


 「そういうことでしたら……私の側から『和解』を持ちかけることを、許していただければ。それが可能な雰囲気でしょうか?」


 「謝罪」に近いけれど、そう表現するわけには行かぬ。

 カレワラ家のメンツに関わるし、アリエルは何も悪いことをしていないのだから。


 ……急に不安になった。

 していなかったんだよな!?頼むぞ?


 (バカ!あるはず無いじゃない!)


 

 猊下の憂い顔が、ようやくほどけた。


 「お願いできますか?段取りはこちらでつけておきますので」



 いや、段取りをつけておくとおっしゃいましても。

 具体的にどうせよと。


 (古来、そうした手合いを説得する方法はひとつ……いや、ふたつと決まってござるのよ、ヒロ殿) 


 OK、モリー老。理解した。

 今回は「色」のトラブルだから、「金」でカタをつけろと。


 

 2月にお給料(昨年下半期、右馬頭の職分に応じてのもの)が出た直後だから良いようなものの。

 この出費は痛い。

 でもケチるわけには行かないんだよなあ、こればかりは。

 



 しかしどうやら、ガツンと張り込んだだけの見返りは得られたようだ。


 女子修道会に現れた出迎えのシスターたちは、みなにこにこ顔を浮かべている。

 どうやら悪感情は消え去ったか?


 (恐らくは、内輪の政治問題。カレワラではなく、ヴィスコンティ猊下に対する牽制であったのでござろう。ヒロ殿が横っ面から援護射撃したというわけでござる)


 札束で張ったと。

 お札が存在しない社会だけど。


 猊下にお会いする前に、わざわざ各施設を(来賓が立ち寄れる範囲で)案内してくれた。

 いや、違うか。

 それぞれの「お局」が、「自分のところにも挨拶に来たのだぞ」と、仲間内に主張しているのか。



 礼拝堂では、一心に祈りを捧げるシスターの姿を「拝見」した。

 「偶然に」、王女殿下のお祈りの時間と重なったのである。

 

 おつとめを終えられた殿下が、静かに立ち上がり。

 客人である俺に、小さく会釈を施した……と見るや、体格の良いお付きのシスター達が、素早く壁を作る。



 「会わせてなるものか」と息巻いていた連中であろう。

 せめてもの抵抗というわけか。


 切ない話だけれど、金の力は大きい。



 長い廊下、高い天井。

 壁に架けられているのは、代々の要人の肖像画。


 案内を受けている間、ヴィスコンティ猊下は一切姿を見せず。

 奥の院で、高位聖職者たちを後ろに従えて待っていた。


 「椅子から立ち上がって迎える」。

 たったそれだけのことが、最高の「おもてなし」。


 気安く接する機会が多かった極東とは違う。

 直接お会いする機会は、猊下の側から動かぬ限り、まず得られない。

 


 

 「小切手の仕組みには、あまり詳しくありませんもので」

 

 治部省でお会いした時には、そんなことを言っていた。

 嘘……と非難しては、いけないんだろうな。

 だけど。


 紙ぺら一枚を持ち込むのではなくて。

 金貨やインゴットの輝きを「見せ付ける」。

 その効果を知らぬお方ではない。


 「金を引っ張れる」ことこそ、政治力を測る分かりやすい指標なのだから。

 即物的なその輝きを見せつけることで、対立派閥を黙らせたのだ。

 

 ……共犯関係だよなあ。



 しかし猊下の目には、何の曇りも浮かんではいなかった。

 共犯関係ではなくて、「一点として愧ずるところのない、世俗とのあるべき協力関係」か。


 ここがナンチュウ閣下や、あるいはピウツスキ猊下とは違うところ。

 カルヴィン・ディートリヒは……どちら側なんだろう。



 ともかく、ヴィスコンティ枢機卿猊下から直接にお言葉を賜る栄誉を得て。

 五月の祭礼に参加するための障害を取り除き。

 女子修道会との和解も成ったわけだけれど。


 

 気づいてしまった。

 


 「さて、アリエル。言うべきことは?」



 猊下の前で動揺を見せぬよう、必死だったんだぞ!

 ずっと隠してたな?



 (嘘はついてないわよ?……いえ、その……ごめんなさい)


 俺は良いよ。俺たちに謝る必要は無い。

 謝る相手が違うだろう?

 王都に帰って来て、半年経ってるっていうのに!


 俺はさ、アリエルを尊敬してたんだ。

 武術も芸術もできる。お役所仕事から有職故実まで、何でも知ってる。


 いや、そこじゃない。

 地位を捨ててでも、正しいと思ったことを貫いたんだろう?

 ビシッと決める男だと思ってたんだ。

 

 がっかりさせないでくれよ!



 (ヒロ殿の魂は、25歳になられたのでござったなあ)

 (遠くにあった背中が、だいぶ近づいてきたな。もう肩を並べてるかもしれねえぞ?)

 (身長はほとんど並んでるしね)

 (でもヒロも、あんまり人のこと言えないと思うぞ)


 ヴァガン、悪いけど今は少し黙っててくれ。



 (そうね。式部卿宮の件、ヒロは意地を通した。武人徴で、踏み込んだ。私も男を見せなくちゃいけないわよね)


 もう自分の気持ちに嘘は付かないって、決めてたのに。

 ダメね、あたし。

 でも大丈夫。今度こそ。






 モデルは「葵祭」であります。

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