第十六話 悪霊 その4
深夜。
決戦の時だ。
今夜は目を覚ましているマチルダが、ひきずられてゆく。
「抵抗しようと思えば抵抗できますが……それなりに強い力ですね。」とのこと。
暢気なひとだとは思っていたけど、肝が据わってるなあ。
「甲板に出たら、船員に押さえさせましょう。…レディに失礼の無いようにな。」
船長が部下に命令した。
全員で甲板に飛び出した。
いつものように先頭は千早。
その後ろにアリエルとジロウ。
最後尾はフィリアで、その前に俺。
ハンスは……適当にどうにかしててくれ。
昨晩と同じように、太い触手が襲い掛かってきた。
「知恵が足りぬようで!」
そう叫んだ千早が、触手のやや根元近くに、拳を叩き込む。
跳ね上がった触手にフィリアが光球を撃ち込む。
バランスを崩した触手が甲板に打ち付けられる。
ここも、昨晩と同じ展開だ。
違っていたのは……。
「いざ!」
そう叫んで、千早が振り返ったこと。フィリアの光球の弾着を確認もせず。
千早の視線の先にあったのは、巨大な銛を運ぶ3人の船員の姿。
貨客船とは言え、前線への輸送を担当しているのだ。
最低限の武装は積んでいる。
矢、石弾、焼玉、……そして弩弓。
弩弓といっても、ボウガンではない。むしろ備え付けの大砲とも言うべきサイズである。
日本で言うならば、捕鯨船の先についている発射器。そのイメージが一番近いように思う。
当然、その「弾」となる銛は…。槍なんてもんじゃないサイズであった。
力自慢の船員が、3人がかかりで運ぶのだから。
その銛を大急ぎで受け取った千早。
悶えている触手に向かい、至近距離から、槍投げの要領で片手の投擲。
「亡魂よ、翼に攀りて天に昇れ!鳳凰穿果!」
触手が甲板に縫い止められる。
魚のように(?)びちびち動いて抵抗してはいるが……もう先は読めてしまった。
次々と銛を受け取っては投擲する千早。
先端から根っこまで、四箇所にわたって触手を固定する。
こうなってしまっては、もう何もできない。
「千早!細い触手に回ってくれ!ハンス!太い触手を見張ってろ!万一の動きがあったら叫べ!」
「承知!」
太い触手をボコらんとしていた千早が、納得の表情で駆け去って行った。
千早が一本目の銛を打ち込むか打ち込まないかという、その頃。
背後から、「カラン」という音が聞こえた。
振り返ると、フィリアが杖を手放していた。
両手を胸の前に合わせ、詠唱を始めている。
杖が無くても浄霊術が使えるのか!
初めて知った事実であった。杖を捨てたことにも意味があるのかもしれない。
後のことを考えて、一応拾って預かっておく。
一番心配だったのは、細い触手のほうであった。
何せ相手の手数が多い。
それでも今度は、こちらも最初から手数を用意していたので、問題はなかった。
アリエルが双剣で切り伏せる。
違う部署では浄霊師が光弾を浴びせ、その間を埋めるようにウォルターが片手剣を振るっていた。
どうにも危ないときにはジロウが飛びつく。
そこへ銛を持った千早が参戦。
根元近くに一本打ち込み、触手の動きを制限するや……。
後はひたすらラッシュである。
こちらはすでに、「作業」になっていた。俺の出番は無いな。
マチルダを確認する。船員がしっかりガードを固めてくれている。
時おり足元に聖水を流し、悪霊の勢いを弱める。
こちらも問題ない。
あとはとどめか。
振り返ってフィリアを見る。
とんでもない勢いで、霊力が集まっていた。
いつものように、「この世にあまねく存在する霊力を集めている」だけではなかったのだ。
切り伏せられていく細い触手……。そこから次々と霊が天に帰ってゆく(あるいは輪廻の輪に還ってゆく)わけだが、その際に多少、「余分な霊力」が放散される。
それもフィリアの上空へと次々に集まっているのだ。
フィリアは集中している。霊力を集め、光球を大きく育てている。
光球が時として、不安定に揺らめく。直径にして10mはあるように見える。いくら精密なコントロールを身上とするフィリアでも、厳しいものがあるのかもしれない。
細い触手をあらかた片付けたアリエルから、声がかかった。
「ヒロ、杖を使うの!」
どう使うかはよく分からないが、とりあえず杖を上空の球に向けてかざしてみた。
揺らめきが安定する。
フィリアもこちらを見た。
これで良いのだろう。
球の成長スピードが大きくなる。
コントロールの補助をこちらに任せた分だけ、余裕が出たのか。
やがて、フィリアの詠唱が止まった。
「ハンス、ジロウ、アリエル!船内に退避しろ!」
そうしなければマズイ、という予感があった。
彼らも即時に理解したようだ。急いで逃げ込む。
気のせいか、本体の海坊主(?)も逃げ出したがっているように見える。必死に左右に動いている。
しかし、太い触手が甲板に縫いとめられている。これでは逃げ出せない。
タコよろしく、触手を切れば良いのだろうが……。
霊を「取り込む」ために霊力を内向きに働かせることしかしてこなかった悪霊。
「外に向かって切り離す」方法を知らないのだ。
胸の前で組まれていた、フィリアの両手がほどかれる。
巨大な光球が、ゆっくりと動き出した。前進しながら、少しずつ下降し、加速していく。
フィリアは、悪霊を見つめている。
「哀れな亡魂よ、天にお帰りなさい。」
どこまでも優しい表情であった。
悪霊は、なおも必死で左右に動いていた。
誰にも着弾予想地点が分かる距離になると、必死で遠ざかろうとしていた。波が激しくなる。
光球が、水面に落下した。
……音は、しなかった。
ただただ、まばゆい光が広がってゆく。
それは、逃げようとしていた悪霊をも包み込み……。
悪霊を周辺から削り、溶かし、その存在を滅していった。
まばゆい光なのだが、何故か目には刺さらない。
正視することができる。
溶けていく悪霊の中から、次々と、安らかな顔をした人間の幽霊が浮かび上がっては、消えていく。
良かった。本当に良かった。
甲板に伸びている触手も、灼かれ、溶けていった。
次々と人間の姿が浮かび上がり、消えていく。
こちらは完全に浄化できた。
悪霊本体に再び目を転ずる。
最後に浮かび上がったのは、船長のようにも見えた。
責任を感じて最後まで残ったのか、悪霊の核が彼だったのか……。
そんな詮索には、たぶん意味が無い。
これでみんな、もう苦しい思いをしなくて良いのだ。
「ヒロさん、調整するものを。」
へ?
「杖です。」
フィリアに言われて、杖を渡す。
全ての悪霊が浄化され、この一帯は光に満ちていた。
感動してしまって忘れていたが、その処理も必要であったか。
杖の元に、光が集まってくる。
気のせいか、ややフィリアが苦しそうに見えた。浄化の光には、質量があるのか?光の収束に立ち向かうフィリアの姿は、嵐に立ち向かっているかのようであった。
後ろに回り、背中を支える。
あんな大技を出せるなんて、とても思えない、華奢な背中。子供の背中だ。
「大仕事を、よくぞ為し遂げてくれた。ありがとう。」
千早もいた。
フィリアをしっかりと、がっしりと支える。
「『縫い付けて動きを封じる』のはお手柄だった。おかげで取り逃がさずにすんだんだよな。」
「ヒロ殿のお手柄でもござるよ。あそこで退治して切り離してしまっては、逃げられてしまったでござる。封じた後に放置したのが要でござった。」
嵐のように思えた光の収束だが、時間にすればきっと数十秒のことだったろう。
あたりは再び静寂さを取り戻していた。聞こえるのは船に打ち寄せる波ばかり。
「悪霊は、天に帰りました。」
マチルダの足は、もう、濡れていなかった。




