表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

669/1237

第二百二十四話 武人徴(ぶじんだめし) その3


 (よう)


 ここは……女神の小部屋?

 どうやら、また死なずに済んだか。


 (今度ばかりは、やばかった。だがな、ヒロ。得物を手にした男は、一度は必ずこの境地に至るんだ。「死線をくぐる」ってヤツさ)


 くぐり損ねたら?


 背中を見せたまま、鼻で笑いやがった。

 ……死ぬだけのこと、か。

 

 (理非善悪じゃない。その意味も分かっただろう?お前は飛び込んじまうんだよ。お師匠さんってのはよく見てるもんだ。……そこのちんまい女神の影響かもしれねえけどな?)


 よせよ朝倉。

 それだけは認めたくない。


 (嬉しかったぜ、俺は。何せお前は、武人にしちゃあ沸点が高いと言うか、しんねりむっつりねちこすぎると言うか。……覚えてるか、塚原先生の言葉、ほれ)


 ああ。

 「踏み込む勇気と共に、引く勇気も必要だ。共に知ったその上でなお、踏み込めるか、否か」


 (「共に知ったら、踏み込まなくなる。踏み込めなくなる」。俺はお前を、そういうヤツだと思ってた。こっちの世界に来る時は、何も背負ってない若僧だった。だから飛び込めた。来てからしばらくは、ガキと一緒さ。何も知らないから、飛び込めた。だけどよ?偉くなって、背負うもんも出来て。それでも飛び込むヤツは……)



 続きを遮ったのは、腹の底にずしりと響く叱咤の声。


 (バカって言うのよ!)


 アリエル……済まん。


 (謝るな!分かってるわよ。あたしだってバカだったんだから。武術じゃないけど、選んじゃいけないほうの道に踏み込んで行っちゃった。迷わず踏み込んで、……その後は迷った上で逃げ出して。どっちも間違ってた!)



 聞こえてきたのは、野太い笑い声。


 (女々しいぞ、アリエル。ヒロはもう踏み込んじまった。で、くぐって見せた。自分の力じゃない、俺たちの力を合わせても足りなかった。ただの幸運かもしれんが、とにかく生き残った。生きてりゃ勝ちだ。それが全てなんだよ。試練に勝ったんだ、ヒロは。俺たちは!)



 武人という生き物も、大概だと思う。

 命を賭けて、失敗したら「死ぬだけのこと」。成功すれば高笑い。

 達人の域にある朝倉にして、これだもの。



 (力足らずとも踏み込まざるを得ぬことはある。幸運に期待せざるを得ないこともあろう。が、何の策もなく二度目に期待するうつけ者になど、某は協力できぬ!)


 分かってる、モリー老。

 やっぱり俺は、純粋な武人にはなり得ない。



 (それはひどいぞ、モリー。ヒロが飛び込んだおかげで、千早ちゃんは助かったんだぞ)


 (そうよモリー。あんた、千早のお祖父ちゃんなんだから。恩返しのためにも最低あと一度は、ヒロ君を助けなくちゃ)



 大丈夫だよ、ヴァガン、ピンク。

 モリー老はそういうことを言いたいんじゃない。

   

 つくづく理解したさ。

 俺は、武人としては半端者だ。

 だがな?



 (本気で分かってるみたいだな、ヒロよ?なら、俺からはこれ以上言うことは無え!)


 (ちょっと、ヒロ君?どうしたの?やだ何、その怖い顔)



 そういうことだ、好奇心の女神!

 早く「小部屋」の床を開けろ!

 

 どうした?どうせ試合はもう終わってるんだろ?

 ジロウはビビリションどころかビビリ糞してるぞ?


 って……。

 この床の濡れ……。

  

 おま、女神のくせにエルキュールに、人間にビビッてどうすんだよ!



 (うるさい!あっち行け!)


 おい、おかしなタイミングで床を開けるな!

 


 ほら、体を叩きつけちゃったじゃないか……

  

 何だ?息ができない?

 腹が、胃が痛い!胸が、肺が痛い!鼻も詰まってる……。



 「御免!」


 今度は背中!?


 ぐほっ!

 ぐは、ぐえっ。おえええええ。

 かはっ。

 

 やっと息ができる……。

 


 目の前は、ひどいことになっていた。

 吐瀉物に涙、よく分からない体液に血反吐まで。


 ああ、鼻血のせいで息が詰まってたのか……。

 って、これ。

 出ちゃマズイ鼻血だろ。

 何か上の方から出てる。どろりとしてる。

 目とか脳とか、そっちから来てるんじゃ……。


 軍服もあちこち破れていた。

 だけど。


 「生きてる!そうだな!?」

 

 跳ね上がりざま、叫んでいた。

 口と喉に貼り付いていた鉄臭いものや酸っぱいものを、目の前の壁に向かって飛ばしながら。



 「無事なようで、何よりだ」

 

 壁と思ったのは、メル公爵閣下であった。

 年相応の広さを見せる額に、青筋を立てている。



 「これは、失礼を……」とでも言うべきところだったけれど。

 そんなことを口にする気は、まるで起きなかった。


 公爵の目が、猛禽の鋭さを帯びていたから。



 「言え!貴様なぜ、何を為すべく、死線から帰って来た!」

 

 メチャクチャに響き渡る声。

 この気配……貴顕は退出したんだな?

 ならば遠慮も不要。



 「倒す、いや、殺す!エルキュールを!」 



 斜め前から、寂びた……しかし低く力の入った声が聞こえた。


 「何ゆえか。エルキュールに何の罪やある?」

 


 やはり叫び返す。


 「罪は無い……いや、存在が罪だ!あいつがいては、千早が死ぬ!アレックス様を殺しに行く!」



 「本気で剣を交えれば、相手の本質が分かる」……朝倉は以前、そんなことを言っていた。

 俺も初めて理解できた。



 あれは、純粋の武術バカだ。

 子供のまま、大人になってしまったんだ。


 それだけなら、罪は無い。

 「東方三剣士と死合いする」と宣言したとしても、それは剣士の宿命。俺も受け容れる。


 だがあいつは、エルキュールは。

 「素質において三剣士にも勝る天才だから」というそれだけの理由で、千早とアレックス様をも、武人としてしか見ていない。

 政治家を、領主を殺してしまえば。システムではなく人に依存するこの社会が、どうなるか。

 それがまるで見えていない。

 


 セレモニーにして王国の儀式と言える、指導試合で。殿下と陛下の御前で。

 本物の殺気を放出するなんて。


 エルキュールの殺気を食らえば、「心得」無き者は、近くにあるだけで死んでしまう。

 俺が生き残ったのは、塚原先生から幾度も殺気を飛ばされた経験があったから。

 本気ではなかったにせよ、あいつの気当たりを受けた覚えがあったから。

 

 エルキュールは、陛下と殿下の命を危険に晒したのだ。

 王太子殿下の侍衛の地位にありながら。

 そこまで周囲が見えないか?


 王国一の武人と讃えられ、宮廷にも出て、人の世で生きていながら。

 社会ってものをまるで理解しようとしていない、いや理解できていない。 

 


 死んでもらうしかない。

 いや、俺が殺す。

 千早とアレックス様を守るために。

 


 俺の他に、いないんだ。



 今後数十年、極東での大戦は無い。跡継ぎのベリサリウスも得た。

 アレックス様は、メル家にとって「不可欠の存在」とは言えなくなった。

 千早はメル家から見て「他人」。守ってくれるミューラー家も、いまだ力不足。


 そして人間離れした「天才」を斃すためには、大きなコストが掛かる。

 例えば李老師を殺そうと思ったらいくら掛かる?優秀な人材を何人犠牲にする必要がある?

 エルキュールは、李老師の遥か上を行くのだ。


 損益分岐を大きく超えるようであれば、「エルキュールの狙いは、アレックスと千早だけだろう?ならばふたりに死んでもらおう」と考えるのが「家の論理」。武家はその点、ことにシビアだ。

 ソフィア様の感情がどうあっても、そうせざるを得なくなる。

 


 いや。そんなもの、後付けの理屈かもしれない。

 飛び出した時点で、あるいは殺気を受けて生き延びた時点で。

 決めてしまったんだ。


 俺しかいないと。

 エルキュールは、俺が斃すと。

 



 「勝てんのかよヒロ。お前に」


 寂びた声を発した男の隣から、聞き慣れた声。

 キュビ侯爵の側に立つ、エドワードだった。



 「勝てるわけがない」


 分かってるだろう?

 勝つ負ける、武術の試合じゃないんだよ、エドワード。

 もう一度言うぞ。

 今ここにいる人々の前でならば、何度でも。



 「殺すと言っている」



 武人としては半端者でも、武家の男として。

 俺が殺す。 



 「けっ。俺の前で、キュビを目の前にして、よくも言いやがる……が、安心したぜ。お前は武家だ、ヒロ。ようやく確信が持てた」


 なんだエドワード?

 その嬉しそうなツラは!

 笑ってられるのは今のうちだぞ?

 


 「両大隊長殿におかれても、確認したくて問われたのでありましょう?」


 そちらも殺る気になったはずだ。

 協力してもらうぞ?

 何をどうしたら良いかなんて、まだ全然分からないけれど。

 目途が立ったら、全面的に協力してもらうからな?


  

 「いやらしい言い様ですね?またいつものヒロさんに戻ってしまいましたか?」


 ああいや、その。


 「ありがとう、フィリア、千早。後ろから霊気の助けがあったから、生きていられた」

 

 

 その千早が、ようやく兜を取った。

 怪我はなかったようだが、彼女の顔も青褪めていて。憔悴の色は明らかだ。


 「感謝を申し上げるべきは、某にござるよ。命拾いいたした。しかしヒロ殿は鎧もつけず……まことにかたじけない」


 「ええ、ヒロさんが前に出てくれたおかげで、霊気の展開が間に合いました」



 フィリアと千早と、お互いを守った。

 


 

 「これはお邪魔したかな。……今後必要な話は、エドワードを通じて頼む」


 口にしつつエドワードの肩を叩き、キュビ侯爵が背を見せた。

 緩やかな歩みぶりであるのに、みるみるうちに遠くなる。


 その体捌きに目を奪われ、しばし茫然としていると。



 「近衛大隊長としてヒロ・ド・カレワラ小隊長に命ずる!わしと共に、陛下への報告をせよ!」


 襟首を捕まえられた。

 半死半生の目に遭った直後では、抵抗する力も残ってはおらず。


 そのまま大股で、いや、ほぼ走るようにして鍛錬場を後にする公爵閣下。

 ……降り注ぐフィリアの霊弾から、身をかわしながら。



 「あの空気、許せぬ。それだけのことよ」


 そんな雰囲気でしたか?


 「ようやく武家の男になっても、武家の女は分からぬものか」



 え!?

 ほんとうにそんな雰囲気だったのか、それも気になるところだけれど。

 

 「武家の女、ですか?」


 アエミリア様は王室の末端ご出身。

 第二夫人は、宗教家(天真会の出家)であったと聞いている。

 亡くなった第三夫人は、「家名無し」であったはず。


 ……そのほかに「武家の女」?

 


 「どこに食いついておるか!……アレックスめ、面倒な男を送り込みおって!貴様はもう少し武家らしく、阿呆になれこの馬鹿者!」

 

 ようやく解放され、向かい合ったメル公爵。

 苦笑いと称するには豪快な……しかしやっぱり苦い笑いを浮かべていた。


 「『試練ためし』をくぐった、大の男なのだから!」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ