第十六話 悪霊 その2
扉が閉まるのを待っていたウォルターが、おもむろに口を開く。
「ヒロ、君は死霊術師なんだって?霊の姿が見える、その声が聞こえるというのは本当なんだね?」
「ええ。本当です。」
「あの悪霊は、人間の霊の集合体。最後に君が切り捨てた触手も、人間の姿をしていた、と。」
うなずく。なぜか体の震えが激しくなるのを感じる。気分が悪い。
アリエルが俺の肩をしっかりと掴みとめる。
「……そうよね、そうだった。長く生きていると鈍感になっちゃうのが、悪いところよね。」
アリエルにはこの震えの原因が分かっているのか。
尋ねる前に、ウォルターが再び口を開いた。
「ヒロ、人を殺したことは?」
「えっ?」
思わず体を起こした。ウォルターの顔を見る。真剣そのものの表情だった。
「いえ、ありません。」
「初めて人を殺した新兵は、みなヒロと同じような反応を示すものなんだ。泣き叫んだり、震えたり、戻したり。ひどいのになると、逃げ出したり。迷惑にも、その場で気絶するのまでいる。」
ニッと、ウォルターが笑顔を見せた。
「私もそうだった。武人の家に育ち、幼い頃から修練を積んでいても、だ。震えが止まらなくて、戻しそうになって。それでも、周囲の部下の目があったから踏みとどまれた。修練のおかげもあったかもしれないな。」
明るい声で話し続ける。
「乳兄弟のニヤついた顔!醜態を期待していたんだ。腹が立って、剣の柄で殴りつけてしまった。それにとどまらず、剣を振り上げた私も悪かったが……。あいつめ、前に向かって逃げ出した。じいやがうまくフォローしてくれたよ。『ウォルター様が敵を討ち取った!剣を掲げられたぞ!突撃!』って。事実私は剣を掲げていて、乳兄弟が走り出していた。」
士気が上がった我が軍は勝利し、初陣のお手柄というわけさ。あれは恥ずかしかったなあ。
そんなことを言って、頭をかいている。
「自慢になってしまったかな。」
言葉を切るウォルター。
改めて、俺をまっすぐに見据える。
「ヒロ、君の一刀は見事なものだった。踏み込みと言い、斬撃の勢いと言い、申し分なかった。修練を始めたばかりで、人どころか化け物を相手にして、臆せずに一刀。誇っていい。何よりも、君の行為は、マチルダを、私の妻を救ってくれたんだ。感謝している。」
もう一度、声に力をこめた。
俺の手を、握る。
「人を殺したとて、罪と恐怖に震えることはないんだ。胸を張ってほしい。」
震えが止まった。
言い訳が得られたからだろうか。
確かな理由として納得できたからだろうか。
人の命が、日本よりはやや軽いように感じられる、この世界に馴染んできているからか。
それとも、もともと俺はこうだったのだろうか。必要があれば人を殺すこともできる人間だったのだろうか。
分からない事は多い。でも、言うべきことはある。
「……ありがとうございます。もう大丈夫です。」
本当に感謝している。
あのままの精神状態で悪霊と再戦するのは、あまりに危険だ。
「落ち着いたか。さて。……ヒロ、いま何がしたい?」
「はい?」
特にこれと言っては……。
「少し時間があきすぎたかな。若いうち、早めにつかんでおく方が良いのだが。」
なんのこっちゃ。
そう思っていたら、アリエルが口を開いた。
「腹が減ったーとか、無性に眠いとか、そういうことはない?戦闘直後、やけにトイレに行きたかった、ってことは?そうねえ……あと、ムラムラっときてたりはしてない?」
「はいぃ??ムラムラって、あの悪霊を相手に戦った直後に?」
思わず声に出してしまった。
「どうやら、話の分かる幽霊を使役しているようだな。」
ウォルターも口を出す。
「死線をくぐり、人を殺すとな、ヒロ。終わった後に体が欲望を解放したくなるんだよ。大概は、食事、睡眠、排便、……それと女。このどれかだ。」
「排便と性欲は、違うみたいです。食事か睡眠だとは思うのですが……。腹はいつも減っているし、今は夜中なので、眠くて当然かも……。」
「確かに!いくらでも食べられるし、眠くてしかたない年頃だ!」
爆笑された。
「とりあえず、あれだけ動けば、何か食べる必要はあるな。」
それからは、リラックスして話をすることができた。
「乳兄弟に見られるならともかく、同い年の女性二人に見られるってのは、男としてつらいものがあるな。」
「それで、二人を部屋に帰してくれたんですか?」
「もう一つ理由がある。『欲望の解放』の件だ。もし『女』の方向だったら、大変なことになりかねないからなあ。」
まあ、二人の方が圧倒的に強いから、我を忘れて襲い掛かったとしても、返り討ちにあうことは間違いないところだけど……。
申し訳ないは、気まずいはで、針のむしろになることも間違いない。
ウォルターの計らいには感謝である。
「それにしても、二人は見事なものだったな。まったく臆していなかった。」
「霊に関しては、経験豊富です。姿が明確には見えない、何を言っているか聞こえない、という理由もあるかもしれません。」
「人と霊とを、明確に違うものと捉えているのか。それならば、割り切りも完全にできるだろう。」
フィリアと千早は、霊を浄化することには慣れている。
……人を殺した事はあるのだろうか?
この世界は、日本とは事情が異なる。
その経験があるからどう、ないからこう、そういうものではない。
どっちであれ、俺から二人を見る目は変わらない、とは思う。
とは言え、考えて愉快になれるテーマでもなさそうだ。
明日に備え、眠りに着くことにする。




