第二百六話 右京 その5
王都には、左京と右京にそれぞれ市場がある。
立地は王都の南部、七緯大道と運河に沿ったところ。
広さは2km四方と言ったところか。
この市場を司る役所が、東西の市司。京職の下部組織だ。
つまり、右京の市場は、これやはりヘクマチアル家の縄張りであって。
「『収益』は大きいだろうな」
「ええ。『ひのき舞台』ですよ。『こじき芝居』の検非違使では、とても太刀打ちできません」
東市……左京の市場には、足を踏み入れたことがある。
それはまあ、市場らしい活気はもちろんあったけれど。
ここ西市の圧倒的な賑わいに比べると、静かなものであった。
と、いうのも。
貴族は、買物に出かけるということをあまりしない。
商人のほうから、お邸の勝手口に顔を出すから。
現代で言う、「高級百貨店の外商部門」のような、あるいは「サ○エさんの三河屋」のような。
いわゆる「御用聞き」に任せるというわけ。
左京の東市は、「急に入り用の物があった時」に利用される。
店の側も、郎党などのやや身分が軽い人を、主たる顧客層としている(軽いと言っても、社会全体から見れば上流層ではあるが)。
またあるいは、やや身分が軽い(?)商品を扱っている。気鋭の若手作家の手になる工芸品、アイディア商品、ブランドとしては確立していないが、品質優良なるもの……などなど。
高級品ならば「外商部門」が取り扱うので、その選定から外れた品だが。
決してバカにはできない。「甲」から漏れた品の中にこそ「乙なもの」は存在するのだから。
つまり、東市に並ぶ店舗とは。
百貨店と、成城石○と、東○ハンズと……といった趣であって。
どこか上品で物静かなのも、頷けるというもの。
対して右京は、庶民の住まいである。
市場たる西市も当然、庶民の味方。
ア○横……と言うよりも、その原点「戦後の闇市」に近いような。
東市とは違い、そもそも「店舗」なる建物が存在していない。
並んでいるのは、天秤棒に蓆の、即席掘っ立て小屋。大八車がそのまま陳列棚。
そしてまあ、人がいるわいるわ。押しては返す波のごとし。
値段を告げるだみ声が、潮風のごとく通り抜け。
貨幣と商品が、かもめのごとく飛び交っている。
人波に呑まれ迷子を出しやしないか、銭や商品を落としやしないか。
冷や冷やもので、とても気を抜けたものではないけれど。
でも。
「これこそが、市場だよなあ」
「『水清ければ、魚棲まず』にござるな」
「公的・私的を問わず、規制が厳しいところでは、商業は興隆しません」
振り返る我ら3人。
そのシンクロした動きに、ティムルは微笑を浮かべていた。
「ええ。おっしゃるとおり。ヘクマチアル家、うまくやっていると思います。口綺麗な法規で縛り付けてしまっては、庶民の生活など成り立ちません。汚濁の存在も許容し、清雅と併せ呑む。右京職には絶対に必要な資質です」
前方に、市場の活況に、目を据えたままで。
イーサンが緩やかに問いを発した。
「右京を取り締まる検非違使も、右京職と同じく清濁併せ呑む必要があると言いたいのかな、ベンサム大尉。手荒なやり口を見逃せと?」
検非違使の担当は右京にとどまらず、みやこ全域に及ぶ。
加えて、強盗団が狙うのは、むしろ左京南部~東部。「金を持っていながら身分は軽く、警備も甘い。手を出しても官憲(主に左京職)が本気にならないような階層」である。
が、イーサンが言いたかったのは、もちろんそうした縄張りの問題ではない。
答えるティムルも理解していた。ここが正念場だと。
「まさに然り、デクスター閣下。我ら、庶民の小さな汚濁に対して過酷な措置を取ったことはありません。検非違使の敵は大掛かりな強盗団、あるいは権力と結びついた悪党です。大物は、滅多なことでは尻尾を出さぬもの。隠微な兆候・小さな隙でも逃さず捕らえ、そこからこじ開けていかなくては」
イセン・チェンが苛立ったような声を上げた。
「その手法が庶民泣かせだと言っているのだ、ベンサム大尉!」
この市場に入ってから、やけにキョロキョロと落ち着きを失っていた。
何を探していたものか。
「悪党を痛めつけはしましたが、庶民を泣かせた覚えはありません、チェン小隊長殿。我ら検非違使が手を緩めれば、盗賊が横行します。力なき庶民こそ、泣きを見る」
腰の据わらぬ反論に、いったん激したティムルの声量は収束を見せていた。
武家ではないイセンには、その意味が分かるまい。
ティムルは覚悟を固めつつある。勝手に動くつもりだ。
しかし右京職に比べ、経済的な基盤が弱い検非違使庁。
上司と対立し、予算を絞られては、ますます行動が不自由になってしまう。
我ら貴族にとっても、それは損失なんだけれど……。
「結論を出すのは早い。今日は視察に来たのですから。まずは庶民の生活を知ることこそ肝要かと」
ティムルを目でたしなめたフィリップ・ヴァロワ。
一度や二度、説得を失敗したとて、諦めるべきではない。
仕事は粘り強く、継続的に。それが行政のあるべき姿だ。
「見たところ、みな元気そうですね……?」
同意を求めたところで、フィリアのあいまいな笑顔にぶつかったクリスチアン。
言葉を切っていた。
そこはさすがと言うべきか。
「そういうことさ、クリスチアン。俺たちの口論を見て、ほくそえんでやがる」
エドワードの言葉、その意味ぐらいは理解できる子供だ。顔を強張らせている。
周囲を見回すも……背が小さいので思うに任せぬ。
そう。
この活況は、演出されたものだ。
いや、活況自体は自然か。演技にしては巧みに過ぎる。
ただし。
「貧しさ」「苦しさ」、そして「ひとの汚いところ」。
そういうところを見せぬよう、ヘクマチアル家は演出してみせた。
いつもなら出入りしているであろう、「怪しく」「汚い」者たちや、「性質の悪い」連中を、引っ込ませることで。
「そういう連中にも、それぞれ元締めがござる。ヘクマチアル家の威令は、そちらにまで及んでいるのでござるな?」
「これはよくご存知で……千早・ミューラー卿は東国の方では?」
ゆったりと、間延びしたような質問。
強い関心を抱いた時、気取られまいとして発せられる声色だ。
「千早は天真会の幹部だ。そう言えば分かるだろう、ティムル?」
一瞬、目に宿った光。
細められたまぶたのうちに押し込まれていた。
そうした反応をまともに受けても、まるで動じるそぶりを見せぬあたり。
やはり千早は、千早であって。
「我ら天真会、検非違使庁の『仕事』について、請願すべき筋はござらぬよ」
「お願いを申し上げるべき筋は無い」……つまり、「不満は無い」と。
相手が仮にも「お上」ゆえ、表現には多少の遠慮を乗せているけれども。特別警察・検非違使庁の長官と向かい合って、そこまでの口を叩くことができる。
それが、いにしえより王国に根付いている、天真会の「重み」。
フィリア、クリスチアンとエドワードのやり取りを目の当たりにし。
千早……「天真会」の態度を聞いてしまっては。
ただ頑固に形式論を貫くほどの教条主義者ではない。
現実を踏まえて考え、行動することができる。
イーサン・デクスターはそういう少年だ。
「分かった。これは視察だ。まだ結論を出すのは早い。……ヴァロワ小隊長、明日は僕に『配慮』をする必要は無い。恐らく……」
フィリアと千早に目を向ける。
頷きを受けて、言葉をつなぐ。
「令嬢おふたりにも、配慮の必要は皆無だ。クリスチアン君には」
案の定、俺に目を向けてきた。
ああ、分かっているとも。
そういう「優しさ」は、俺の担当だって。
「場合によっては、『上から』目線で見てもらうさ。公達らしく、ね?」
上空からの眺めを楽しんでもらおう。
子供らしく振舞える場が、クリスチアンには少ないのだから。




