第二百六話 右京 その1
「『話し合いの機会を持て』と?検非違使庁は、『衛門』の担当だ。『兵衛』の君が口を出して良い話では無い。ベンサム大尉も、姑息に過ぎよう」
にべもない、イセン。
「ヒロ君らしいと言えば、らしいけどね。いつの間にやら知り合って、そういう仕事を押し付けられる。今度はどんな義理や借りを負ったんだい?」
呆れ顔の、イーサン。
相変わらず、「よく分かっている」。
「義理も借りも、無いよ」
言い返して、気づいた。
俺の後ろに控えているティムル・ベンサム。
悪い人間ではないけれど、清濁併せ呑む「ひとかど」であって。
この男からの借りは、高くつく。
裏返せば、貸しを作れば、大きな得になるわけで。
……俺が気づくようなことは、当然イーサンにはお見通し。
「では、貸しを作りに行くのかい?貸付けの資本は自前で積むことだ。尻をこちらに持ち込まれても困る」
態度が硬い。
あまり見たことのない表情だった。
「頑張りすぎじゃないかな、ヒロ君。聞いているよ、あちこちでのご活躍。僕らの仕事まで取り上げなくとも良かろう?」
嫌味交じりのイセン。
同期は何かと助け合いもするけれど。出世争いのライバルであることも間違いない。
「仕事をすることが悪いとは言わないよ」
早口で割って入ったイーサンは、少しうつむき加減で。
「が、やはり各人、与えられた権限や『枠組み』の中で行動すべきだ。イセン君も指摘したように、検非違使庁は『衛門』の担当。管理・監督は僕らの仕事だ。」
そして、やけに多弁でもあった。
「検非違使も、あまり非合法……いや、『不適切』な捜査をすべきではない。『許された枠組みの範囲内で』仕事をすべきだ。ヒロ君も馬寮では、そうしただろう?」
口にするのは終始、手続論と形式論。
感情の問題を徹底的に排除するかのように。
世慣れた三十男のティムル。
イーサンの人柄を見抜いたようだ。
口調を軽くする。
初任で16歳の公達の心に、翳を落とさぬように。
「いや、これは私が不勉強でした。カレワラ小隊長殿とは飲み友達で、『どうも近衛府には近寄りづらい』と愚痴っただけなのです。小隊長殿から、『ならば、みなで一席』とのお言葉をいただき、それに甘えようかと」
無理でもなんでも、ごまかす。
「世代も違うのに?どこで知り合ったんだい?またヒロ君は妙な縁を……」
誘いに乗るイーサン。
あえて気の抜けた顔を作っていた。
10代半ばと30代。
話題転換のきっかけにできる、その年齢差がありがたい。
この世界では、「親子ほどの年の差」というヤツだから。
「いや、ははは」
ティムルと目を合わせ、頷きあう。
ここは仕切り直しだ。また後日……。
「ああヒロ、こないだの話か?東川の近くで、ユースフ・ヘクマチアルに暗殺されかけたって」
エドワードぉ!
……若手の近衛小隊長は、「毛並みの良い貴族」ばかり。
イーサンのように、「きちんとした型にのっとって武器を扱うことができる」、「得物を手にした時、腰が据わっている」、「見苦しからず、人品おのずから現れる」程度に武術ができれば十分なのだ。
実働は腕利きの近衛兵たちに任せ、後ろで威厳を保ちつつ落ち着いて指揮を取ることこそが仕事。
百騎長以上に相当する、部隊司令官なのだから。
だから武術談義を交わすことのできる「武闘派」は、少なくて。
ユースフ、その弟ムーサ、そしてティムルあたりの話は、同期組ではエドワードだけに打ち明けていたのだけれど。
「「「暗殺だって!?」」」
一気に騒がしくなった。
でもまあ、現に俺はこうして元気なわけで。
みなの反応も、すぐと落ち着きを見せた。
「東川ということは、左京の繁華街。ひと目も多いだろう!?」
「思った以上に、治安の問題は深刻か」
おや?
これは良い方向に転がり始めましたかねえ?
「手続や枠組みも大事だが、現場はそうも言ってられないんじゃないのか?あんまり手足を縛るのもどうかと思うぜ?」
だからエドワード!
援護射撃はありがたいが、もう少しタイミングを考えてだな!
イーサンの声に力が籠もる。
「だからこそだ、エドワード君。好き放題に武器を振り回すのでは、ヘクマチアル家と何が違う?政府の役人こそ、定められた法に則り、正々堂々と振舞わなくては。その姿に民は安心を覚える。陛下のご恩を、政府の権威をそこに見る。『力が全て』では、秩序が、政治が成り立たないじゃないか」
しかつめらしい顔で頷くティムル。
分かっている。
「相容れないところもあるけれど、これはこれで正しい」と。
官界の理屈や、妙な功名心で動く少年ではない。
鍛えられた体に伸びた背筋、しっかりと据わった重心。
心腹から発せられる、信念に満ちた言動。
名家の若君なのだ。こうでなくてはいけない。
しかし……こうなっては元の雰囲気に戻ってしまうことも確かで。
訪れたのは、小さな沈黙の時間。
「『力が全て』か。ひょっとしたら、キュビ家のエドワード君にはその方が良いんじゃないか?」
ひょいとひと言、シメイが爆弾を放り込む。
皆が思い出す。
キュビ家の居城は、王宮のド真ん前。『力こそ全て』の世になろうものなら……。
「冗談キツイぜ、シメイ。王都には安定しといてもらわないと困るんだよ。俺達キュビは西で忙しいんだから。お前が一番よく分かってる話じゃないか」
ふたりは率府学園の同期。長い付き合いだ。
シメイにはエドワードの扱い方がよく分かっている。
「ああ言えば、こう返してくる」その流れが、見える。
「キュビは王都の政治に『力』を投入しない」との宣言。
何度確認を取っても、足りないということはないけれど。
毎度、「キュビ家にとって、王都は他人事である」という宣言でもあって。
やはり王国の秩序維持は、インディーズ武家とトワ系が中心となって担う必要がある。
兵部省(国軍)、京職(警視庁)、近衛府・検非違使庁で。
とは言え。
兵部省は「都の外」が担当。
京職のうち、右京を担当する右京職は、現状それ自体が治安悪化要因。
頼れるのは近衛府と検非違使庁のみ。
その状況で、実効力が足りるのか。
手続手続であまり検非違使をいじめて、へそを曲げられても困る。
……当のティムルは、顔から表情を消していたけれど。
ここで凄むような安い真似をする男ではない。
「良いお話を聞くことができました」
議論の輪の外から、穏やかな笑い声が近づいて来る。
五十代の、「補佐役」小隊長たち。
こちらを見る目には、「若いなあ」と書いてあって。
「よく来てくれた、ティムル。今期の小隊長殿は、みな頼りがいがあるだろう?」
フィリップ・ヴァロワが間を取り持ってくれた。
考えてみれば、この人は本来ティムル・ベンサムとほぼ似た家柄。
年頃を考えても、まず間違いなく交流があるはず。
「報告書から、検非違使庁の働きぶりも理解していただけたかと思います。どうでしょう皆さん、話を聞くだけでも」
「『みなで一席』と言っていたね。ではそうしようか……ヒロ君のおごりで」
ティムルの嘘……いや「方便」をきっちり覚えていたシメイ。
まあ、それぐらいで済めば上等か。俺が持ち込んだ話なんだし。
「聞くだけか?『百聞は一見にしかず』ってのは、武官の絶対的真理だ。実際に見て回るほうが良い」
何が起こるはずも無い、起こってもらっては困る。
そんな王宮づとめに退屈していたエドワードが、声を弾ませる。
「悪くない。君たちも民の生活ぶりを見ておくべきだと思うね」
本当に分かってるのか、怪しいものだけれど。
「下」から上がってきた自負を持つイセン・チェンも乗り気になった。
こうして我ら公達による、右京視察が決まったわけだけれど。
計画が決まって話が広まれば、面倒も微妙に増えてくる。
毎度のお決まりであった。