第二百二話 駒牽(こまひき) その2
「……です。これなら簡単でしょう?」
「いや、待て」
普通の日本人が、殺伐とした国に転生して3年半。
さすがに慣れた。
「時間を稼ぐ」ことに。
「君の意見は、ありがたく受けよう。ひとつの選択肢とすることを約束する。だが、まだ時間はある。もう少し検討すべきだ。選択肢は多いほうが良い。馬寮の諸君はそれぞれ研究し、さらに意見を持ってきてくれ」
表情を変えぬ大允。
それでも、感情の動きは読み取れた。
「腹を括ってはいただけないのですか?」
侮蔑。
その感情を許しては、いけない。
「ここは戦場ではない。即断即決は、むしろ避けるべきだ。官界に長い君の方が、よく理解しているはずのところだろう?」
侮蔑などさせぬ。
逃げを打ったわけではないのだから。
大允の提案には、賛成できない。
はっきりと、それが俺の意思だ。
「そのやり方では、解決にならない。来年は良かろう。しかし再来年、その先と続けられる方法ではない。駒牽の度に馬が去り、結局王国の官営牧場に残るのは、見てくれだけで役に立たぬ馬ばかり」
頭で考えるだけでは、煮詰まってしまう。
まずは体を動かすんだ。
たとえ口先だけであっても。
「諸君は武官であろう!メルやキュビ、あるいはウマイヤ家などと比べ、王室の馬がみすぼらしいままという現実を是認するのか!?いざ戦が起きた時、痩せ馬に命を託すことができるのか!?」
大允の表情は、やはり動かなかった。
が、感情は再び動いていた。
侮蔑の色が、消えた。
「右馬頭さまのお志、しかと承りました。しかし今の私達には、4ヶ月しか時間がありません。そして先々代陛下の綸旨がある限り、現状を動かすことも難しい。その点は、ご理解ください」
上も下も、これで仕切り直しだ。
ふたりの実務家が、大允と少允が、部屋を出て行った。
椅子に深く、いや、崩れるように腰をおろす。天井を仰ぐ。
アリエルが、語りかけてくる。
……馬寮は、「よろずお馬さん担当課」だって説明したわよね?
そして右馬頭は、左馬頭と並ぶ馬寮の責任者。
その意味、分かってる?
王国の馬、その全ては。
馬寮が、いいえ、ヒロあなたが、管理管轄しているの。
もしヒロが、「王国の馬は全部白馬にしろ」って言ったら、王国から黒い馬はいなくなる。官営牧場も民営牧場も、黒い馬を一頭残らず売り払うか屠殺するわ。
ウマイヤ家を干し殺しにすることもできるわよ?王国内で馬の売買を差し止めれば良い。
それが右馬頭の、各省の「かみ」が持っている権力なの。
……実際、大允が俺に示した提案とは。
アリエル言うところの「権力」を背景にしたものだった。
「右馬頭さま。民間の牧場からほど良き馬を見繕い、徴発すればよろしいのです」
「徴発……買い上げでは無く、取り上げろと?見返りは?不平不満をどう抑える?」
「何を仰せです?その場で無礼討ちにするだけのことでしょう?……我々のレベルではあまり強引なこともできませんが、右馬頭さまのご命令ならば簡単なこと。そもそも不平を鳴らす者など、いるはずもない」
それができるのが、右馬頭だ。
それができるのが、五位の殿上人だ。
回想を遮るようにして、アリエルがなおも俺に、「現実」を叩き込みにかかる。
あえて最低の言い方をするわよ?
民なんて「ゴミ扱い」できる。
彼らがヒロと直接言葉を交わそうとしたら、ううん、何なら視界に入っただけでも、不敬を理由に斬り殺すことができるの。
男爵のあなたは、滅多なことでは裁かれないんだから。
ユースフ・ヘクマチアルの話は聞いたでしょう?
好き放題やってるけど、誰も咎めない。
止めようと思ったら、家同士で抗争するしかない。いわゆる「出入り」ね。
だからムーサはヘクマチアル家を出たの。
いくら民を自由にできると言っても、評判が悪くなっては、貴族仲間がいなくなる。
このままだと、大きな家と「出入り」になりかねないって踏んだのよ。
イーサンやロシウ・チェンがユースフにならなかった理由はね、ヒロ。
「刃向かう敵がいないから」よ。
未然に威嚇・圧殺しているから手を下す必要がない、それだけのことよ。
「好きにやれる」の、ヒロ。
五位デビューするような上流貴族ってのは、そういう存在。
どう生きるか、どう振舞うか。
あなたは自由に決めることができるの。
そして右馬頭である以上はね、ヒロ。
馬に関する限り、あなたが行政の最高責任者なの。
自由に決定することができる。好きに決めて良い。
逆にあなたが決めなきゃ、下が動けない。
行政全てがストップする。
大允も言ってたじゃない。
「馬を徴発するぐらい、何でもないでしょう?民草が牧場を経営できること自体、全て馬寮の、右馬頭さまのご威光とお許しあってのおかげなのですから」って。
あなたの権力なの。
あなたの権威なのよ。
それで、全てが決まっていくの。
自由に決めて良い。
決めなくちゃいけない。
それが「好きにやる」ってことよ、ヒロ。
……「好きにやれば良い」。
その言葉を口にした立花伯爵は、こんなことも言っていた。
「私の仕事は、『それでいいんじゃないかな?』と言うだけだがね、ヒロ君」
……官吏の人事は、まず各省庁で練られ、閣僚レベルに上げられて、大綱が定まる。
人事は権力の源泉だ。だからもちろん、最終的には国王陛下の御許へと上げられる。
立花伯爵の役割は、陛下の隣で書類を覗き込み、「それでいいんじゃないかな?(ため口)」と宣言すること。
直観的にマズイと思った人物については、「彼はどうだろう?」である。
その言葉を受けて、陛下が最終決定を下し、書類を読み上げる。
閣僚の代表が、「大間書」という板にお言葉を書き記し、掲示する。
各省庁でそれを書き写し、官吏が呼び出され、辞令が渡されるという次第。
「君の名が右馬頭の下にあるのを見たときには、これは適任だと思ったものさ。大きな役所の『すけ』よりも、小さな役所の『かみ』。君は公達だが、ふつうの人生を送ってきていないからね」
……公達は、生まれながらにして「人の上」に立つ。
わずか10歳のクリスチアン坊やにして、すでにウコンとサコンの2人を従え、役所では課長補佐級として行動する。
「だからこそ、ふつうの公達には『すけ』を経験しておいてもらわなくてはいけない。人の『下』、あるいは中間管理職の気苦労を知っておいてもらうためにね」
他に例えば、公達はその若き日にいちど、他家に修行に出る。
そうして見聞を広めることで、「バカ殿様」になることを避ける。
「だが君の場合は逆だ。これまで、常に中間管理職。フィリアさんやソフィアさん、アレックス君の下につき、命令を受けたうえで実行する役割だった。……しかしそろそろ、全て自分で判断する経験を積んでおかなくては」
大戦前、俺は己ひとりの覚悟で事を成した。
だがそれは、「ヴァガンの敵討ち」であって。
言ってみれば、全くの個人的なできごと。
己ひとりの判断で「権力」を振るう経験に乏しかった。
「好きにやれば良い」
その言葉の重みが、肩にのしかかる。
脚を震わせる。
俺の判断ひとつで、王国に生きる全ての馬の運命が決まる。
馬に命を託す、軍人達の運命が決まる。
「そこが分からない(その経験が無い)んだよなあ、君は。……悩みたまえ」
ひどく悩んだ。
書類と格闘し、知恵を絞った。
遠慮なく、部下の尻を叩いた。
そうしたら、打開できた。
決め手は結局、ひとりの力ではなくて。
みんなを引っ張っていくこと、「上に立つ」ことだった。




