第二百二話 駒牽(こまひき) その1
「好きにやれば良い」
王都に到着した直後、立花伯爵に言い渡された言葉である。
秋雨の夜には、「最近、理解できたようだ」と言われたけれど。
その背景にあったのは、右馬頭としての職務経験である。
自分で言うのも何だが、ここで俺はけっこう良い仕事をした。
その自信が外に現れていたのを、さすがオサムさんは見逃さなかったのである。
……話は8月、部下と顔合わせをして「お菓子」を受け取った日に遡る。
実務の要、大允と少允が語ったところによると。
「閣下が右馬守に就任される直前に行われた『駒牽』において、我ら馬寮、失態を演じたのです」
駒牽とは、年中行事にして、馬寮の大仕事のひとつである。8月に行われる。
「直轄領にある牧場から馬を連れてきて、陛下のお目にかける。その後、陛下の名をもって政権幹部たちに馬を下賜する」と、そういうイベントなのだが。
下賜された馬のうち数頭が、貴族達の館にたどり着く前に、あるいは到着後時を置かずに、脚の骨を折ってしまったのだとか。
「下賜された側のミスじゃないのか?馬の扱いを心得ぬ者がいたとか。あるいは当時の左馬頭・右馬頭に含むところがあったとか?」
俺の言葉に、ふたりの「允」が、ほっとしたような顔を見せた。
なぜ?……って、ああそうか。
俺は公達、将来の政権幹部。「允」からすれば、「あちら側」の人。
「貴族達の肩を持ち、官僚達の失態をとがめだてする」ほうがむしろ自然なのだ。
「私は軍人貴族。そして右馬頭、馬寮の役人だ。」
と、「君達の側に立つ」旨、だめ押しをしたつもりだが。
「允」の口は重かった。
「『頭』は、すぐ転任するお客様。その上、初任の若僧だ。力んだところで、何をできるわけでも無し。どうせそのうちヘタレるさ。期待するだけ無駄というもの。俺達のレベルで実務を回すしかないんだよ」といった感情、拭い去れるわけもない。
それでも、説明だけはしてくれる。
「駒牽に出す馬は、官営牧場の選りすぐりです」
それはそうだ。
陛下の御覧に入れるわけだし。その後下賜されるとあらば、お粗末な馬で良いはずがない。
「ならばやはり、下賜された後の問題では?」
「いえ、馬寮の責任なのです。ついに来るべきものが来たかと。……我らとしては、納得行かない気持ちもありますけれど」
そして語られたのは、複雑な事情。
「駒牽は数百年前に始まった制度です。その当時の宣旨に、『良き馬をもて参じよ』との文言があります」
だから馬寮と、その下部にある官営牧場は、「良き馬」を選りすぐってきた。
骨折のような事故など、まず起こりようも無い。
「しかし、今から……確か68年前でしたか。ともかく、先々代陛下が、『見目良き馬を』との綸旨を下されたのです」
ここでも先々代陛下かよ!
「それ以来、馬寮の指導のもと、官営牧場では『見た目』にこだわって馬を生産するようになりまして。スラリとした、細身の馬を集め。代々かけ合わせた結果、ますます背が高く脚の細い馬ばかり」
そしてついに、骨折と。
(ひどい話だぞ)
ヴァガンは憤慨しきり。確かに、馬がかわいそうだ。
(役人衆もでござる)
モリー老の言う通り。官僚は、宣旨・綸旨(陛下のお言葉)には逆らえない。悲しきは宮仕え。
(ヒロ、あなたね、他人事じゃないのよ!失態直後の責任者のポストなんて、貧乏くじじゃない!来年事故が起きたら、あなたの責任になるのよ!)
(しょうがないじゃん。アリエルのせいでヒロ君は立場が弱いんだから)
言ってはならぬひと言をきっかけに、ピンクとアリエルが脳内で口論をおっぱじめたけれど。
今は、それどころではないわけで。
「君達の多くも軍人貴族。こんな馬ではいけない、いまの傾向は良くないと、分かってはいたわけか」
「ええ。ですから、『ついに来るべきものが来た』と。先任の『頭』は不運としか言いようがありません。いえ、陛下の御覧に供する時点で事故が起きなかったのは、まだ幸いであったのかも」
引き継いだあなたも不運ですが……とは、さすがに口にしない。
「対策は?」
「官営牧場の馬は、みな似たり寄ったりです」
「外から買い付ける、その予算は?」
「駒牽に出す馬は、全て合わせて200頭近くになります。裏帳簿から引っ張ってきても、とても足りません」
良質の馬が安く手に入る東国とは異なり、王国直轄領では馬の値は高い。
「時間の問題もあります。例年ですと、9月から選定と調教に入ります。どれほど遅くとも、年内には選定を終えなくては」
どうすれば良い?
いや、決まっている。まずは同僚の左馬頭と話し合うところからだ。
「左馬頭さまですか?」
ふたりの「允」が、顔を見合わせる。
左馬頭は、トワ系のベテランだそうな。
ならば、実務処理の点では頼りがいがありそうなものだが。
(バカねヒロ。ベテランなのに「左馬頭」って時点で、お察しよ)
アリエルの評はともかく、「允」の説明によると。
家柄としては、「最終的には部長級」相当らしい。
「頑張れば、有能ならば、局長級」の人物であるけれど。それが「課長級」いや「室長級」にくすぶっているとあれば……。
「決して無能な方ではありません。しかし、派閥抗争の問題もありますし。それに、前の職場で、やはり前任者の失態が後から明るみに出た不運がありまして」
派閥抗争なんて、「允」のレベルには及ばないのだけれど。
それでも「允」は、官界の裏情報にアンテナを張っている。
自分のところに来る上司、「かみ」・「すけ」の当たり外れは、彼らの業務に影響を及ぼさずにはいられないから。
そんな彼らによる、「左馬頭」の評価とは。
「ツキの無い男」。
「軍人貴族は、馬寮への配属を喜ぶのですが。トワ系からしますと『馬糞臭い仕事』でもありますし。失態直後の責任者に回されたとあって、少々ふてくされ気味であると、左馬寮の『允』からは聞いております」
後日会ってみたところ、案の定。
「これは右馬頭どの。わざわざのご挨拶、ありがとうございます。お互いに不運ですなあ。あんな失態があった後で。……おや、顔色がよろしくない。何の、気になさらぬことです。あなたは初任、失態を非難されることはありません。それが王国の慣例です。公達でいらっしゃるからには、1月には転任でしょう。来年の駒牽で何があったとて、やはりあなたの責任は問われませんとも。……私ですか?もうそろそろ『上がり』でしょうね。来年を無事に過ごせれば、まだもう少ししがみついていられる。来年も同じ事故があれば、退官でしょう」
これは、頼れない。
が、おそらく口出しもしてこないはず。
なにはともあれ、できるところから。
「官営牧場に、とりあえず指示を。『骨折はしない』馬を探しておくようにと。……それと、式次第その他、資料を持ってきてくれ!」
山と積まれた資料。
必死になって読み解いていると、お茶が運ばれてきた。
ふたりの「允」の表情は、だいぶ柔らかくなっていた。
どうやら信頼を得られたと判断し、一服しつつ話しかける。
「何か方法は……。先々代陛下の綸旨を無視することは?」
「できません。綸旨は、形式としては宣旨よりも軽くはありますが、馬寮レベルで無視することは許されません」
「大允」の言葉は、にべもなかった。
そこは「動かせない前提」ということらしい。
「ならば、聖上から改めてお言葉を賜れば?右馬頭さまは、近衛小隊長にして殿上人。陛下にお目通りする機会も多いのでしょう?」
「少允」のその言葉に、アリエルが激昂した。
(バカ!駒牽程度の小さな話に、右馬頭ふぜいが陛下にお言葉をねだるなんて!それこそロシウあたりにぼてくり回されちゃう!馬寮の仕事は馬寮の内側で完結させなさいよ!何年役人やってんの!)
(アリエル殿。おそらく彼らには、「上」の世界の想像がつかぬだけのこと。そう非難するものではござるまい)
モリー老の言葉に従ってみる。
「それはできない。そういう立場じゃないんだ、私は」
ひとこと口にすれば、理解してくれた。
「地位」「立場」の問題は、誰しもよく分かっているところ。
じっと俺に視線を据えていた「大允」が、口を開いた。
「右馬頭さまが腹を括ってくださるのであれば、ですが。『先々代陛下のお言葉に添い、かつ骨折などしそうに無い馬』。条件は厳しいが、集めることは可能でしょう」
思わず身を乗り出したけれど。
続く言葉に、再び身を椅子に沈めた。脚の震えを禁じ得なかった。
「好きにやれば良い」と、立花伯爵は口にするけれど。
上流貴族からは「ふぜい」と呼ばれる「右馬頭」。その右馬頭が持つ裁量、「好きにやれる」範囲。
公達が「好きにやる」という時の、その言葉の意味。
その大きさ、「権力」の重さを、思い知らされたから。
平安朝で「駒牽」が行われたのは、旧暦の8月。いわゆる「中秋の名月」の前後だそうです。
ここでは、太陽暦の8月としました。
また「駒牽」では、馬は貴族だけでは無く、近衛府や馬寮にも配られたそうです。
ここでは、「馬寮は事務職であり、厩を持っていない。馬は近衛府の厩に配られ、つながれる」という設定にしております。
第二百二話 駒牽 その2 の投稿は、3月8日の夜になります。




