第二百一話 秋雨の夜の品定め? その1
メル家の上屋敷に呼び出された時には、判断の機会は奪われていた。
「私を通じてヒロさんあてに、ドミナ姉からサロンへの招待状が届いています」
「早めに顔を出すべきであろうと、相談がまとまったところにござる」
ドミナ・(略)・メル男爵。
メル公爵の次女、フィリアの異母姉。インテグラから見れば同母姉に当たる女性。
なお、王国では男女で爵位名に区別が無い。
たとえばレイナは「立花子爵」であって、「立花女子爵」や「立花子爵夫(婦)人」ではない。
「子爵夫人」とは、「子爵位を有する男性の、妻」に対する呼称である。
ともかく、そのドミナ・メル男爵からのお誘いとあれば。
「クレメンティア様の入内がらみか?裏情報とか、いろいろ集める目的で?」
尋ねる俺から目を逸らす、フィリアと千早。
代わりにマルコが、口を開いた。
「近衛小隊長と言えば、宮中のホープ。女官、令嬢、貴婦人方から町娘にまで大人気です」
「みやこびと」の間では、周知の事実。
しかし他人の口から言われると、なんとも面映い。
「特に閣下の場合、完全武装した姿がこの上なく凛々しい。行幸の際に聖上や太子殿下のお側に付けば、女性の評判を呼ぶこと間違いありません」
いやあ、それほどでも。
「そこで兜を脱いだら落胆されるであろうことも、まず間違いありません」
……。
「ですから、そうなる前に。素顔をできるだけ多くの女性に知っていただこうと」
さすがは大戦勝利の立役者、名軍師マルコ・グリム。
人の心理をよく分かっていらっしゃる。
「『上げておいて落とす』よりは、『下げておいて上げる』ほうが良いって?わざわざ実践しての教授、感謝する!」
「丈夫は外見ではござらぬ、ヒロ殿」
「鎧のデザインが良すぎるだけです」
……王国女性に「言わぬ優しさ」を期待してはいけない。
当日の宵は、あいにくの空模様。
音を立てて馬車の屋根を打つ秋雨が、そのまま窓を伝い落ちる。
しかしそんな薄暗闇は、すぐと街の灯りにかき消されて行った。
ドミナ・(略)・メル男爵のサロン(自宅)の所在は、朱雀大道と三緯大道の交差点に当たる。
みやこの超・一等地だ。デクスター家や立花家の屋敷に比べても……そう、「派手」な場所と言える。
いわば銀座の鳩○堂的な趣。
なお、目の前にはキュビ館。
右斜向かいには、マフィア政治家ヘクマチアル家が仕切る右京職の役所。
と、まあ。ドスの利いた立地でもある。
しかし聞こえてきたのは、なんとも緊張感の無い言葉。
「いかんなヒロ君。若いうちから、そういう横着を覚えては」
酒と女のあるところ、この人あり。
サロンの常連・立花伯爵、訪いを告げるや庭まで迎えに出てくださっていた。
その閣下が言われる「横着」とは、服装のこと。
サロンに出るのに、ガチガチのフォーマルはおかしい。
と言って、私服……全くもって自信が無い。
こんなとき便利なのが、軍服である。
日頃着ているただの詰襟よりは高級な、礼装の軍服。
これを着ていれば、どこのドレスコードにもまず引っ掛からない。
現代日本男性にとっての、スーツみたいなもの。
立花伯爵・オサム氏からすると、そういう「無難さ」が気に食わぬらしい。
服飾文化についてのご高説を拝聴しつつ、瀟洒なお邸のアプローチを進めば。
ホールにはサロンの女主人、ドミナ男爵。
早速に口を開く。
「驚いたかしら?このように『はしたない』真似をしていますが、母の名誉だけは守れているものと誇りに思っておりますの」
言葉通り、母君の貞節の証。
誰がどう見ても、メル公爵の娘であった。
背は180cmを越えているか?女性はヒールを履くからよく分からないが。
豊かな胸元をあらわにしているけれど、猥褻さは皆無だ。「大胸筋」という言葉ばかりが思い浮かぶ。
深いスリットの入ったドレスから覗く脚も、健全そのもの。備えてあるべき「太さ」を有し、しっかりと大地を踏みしめている。
そしてばっちりメークでも隠しきれない……いや、隠す気もなさそうな、炯々たる眼光。
サロン主催を「はしたない」だの、「名誉」という貞節の問題を意識させる言葉だの。初っ端から爆弾を放り込んでくる辺り、踏み込みも鋭い。
フィリアに視線を送る前に、次の言葉を飛ばして来るほど。
「フィリアさんの紹介をお待ちになるなど、そのような他人行儀はよしてくださいね?」
いきなり自己アピールを求めてくる。
やはり踏み込みが大切、そういうことか?
「お招きに預かった喜びと迫力あるお美しさに、言葉を失っておりました。詩人アリエルの孫、ヒロ・ド・カレワラと申します。即興の絵画は、あるいはお楽しみいただけるかと」
礼儀は大切だけど、もって回った物言いはしない方が良かろうと思った。
新都メル館の、談話室のように。
加えて。身分・地位など、ここに出入りする人間には当然の前提。口にする必要が無い。だから「詩人アリエル」と「絵画(のピンク)」だけを強調する。
メル家ご一党に共通の、悪戯な笑みを満面に浮かべている。
どうやら正解だったか。
「まあ、それは楽しみ。では早速、皆様に紹介いたしますわね?」
くるりと踵を返し、襟ぐりの大きく開いたドレスから美しい背中……いや、広背筋をのぞかせたドミナ嬢を、立花伯爵が遮った。
「その前にドミナさん、罰杯を。ヒロ君にも一杯」
グラスを渡してくる。
「閣下、いえ、オサムさん。何の賭けをされていたのです?」
「オサムさん」と言い換えた途端に、笑顔がこぼれていた。
「まさにそれだよ。ここがどういうところか、『初っ端から理解できるかどうか』で、賭けをしていたのさ。私は君との付き合いが長いからね。『理解して、合わせに来る』ほうに賭けた。ドミナ嬢と来たら……」
「オサムさん!」
「いや、言うね。『ソフィア様に可愛がられた、フィリアさんのお客人でしょう?お堅い軍人さんに決まっています』と仰せであった!」
ドミナ嬢、さすがに気まずそうだった。
メル家にあっては、当主公爵閣下と総領ソフィア様の権威は絶対。
面と向かっての諫言ならばともかく、陰に回っての軽口は叩きにくい雰囲気がある。
が、「気まずそうな顔」をさせたままではいけないのが社交であって。
それはフィリアもよく知るところ。
「お久しぶりです、ドミナ姉さま。ええ、お堅いフィリアが遊びに参りました」
「まあ、フィリアさん……レディになられたのね?」
見開かれた目が、細められた。
驚いて後、隠そうとする動き。
百戦錬磨の女主人が見せたその顔に、我ら3人ほくそ笑む。
「もう!昔は私から逃げ回っていたのに!」
すぐに反撃してくる。
子供の頃の醜態は、年長の親戚にとって絶対的なアドバンテージ。
「某とは違い、フィリア殿はドミナ様を苦手にしていたでござるなあ。お久しぶりにござります」
千早の口ぶりからするに。
「レディになられたのね?」とは、「苦手を克服した」……いや、おそらくは「姉のドミナを理解できるようになった」フィリアを、おとなとして認めたと。そういうことなのだと思う。
「千早ちゃんは、昔のソフィア様が苦手だったわよね?……冗談よ。綺麗になって。ともかく、こちらへどうぞ!」
驚いた。
広々とした応接室は、すでに先客で一杯。
着飾った貴族女性に、見慣れた風流才子。
そればかりではない。
それこそ堅物に見えていたロシウ・チェンと、不調法者にしか見えないイセン・チェンの姿があった。
ドミナとの共通項など体格以外には見出しようも無い近衛中隊長、マクシミリアン・オーウェルまでもが、間接照明に頭頂を輝かせていた。
ドミナのサロンは、平安京の朱雀大路と三条通の交差点付近(現在の京都で言うならば、朱雀第一小学校付近)をイメージしております。
平安京オーバレイマップ(http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/heian/)をご参照ください。
平安京オーバレイマップと、マップを作成された方に、感謝を申し上げます。




