表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

612/1237

第百九十九話 なほあまりある その3


 王室居住区画を歩き回るようになって、すぐのこと。

 ひとりの老人をしばしば見かけるようになった。


 結構なお年のようで、「矍鑠」とは行かないけれど。

 それでも、足元はまずまずしっかりしていて。


 ただ気になるのは、身なりと言い居住地と言い間違いなく貴族であるのに、いつもひとりで歩いていること。

 従僕なり侍衛なり、連れていなければおかしいのだけれど。

 

 

 「その方でしたら、ハサン殿下ですね。家名はありません」


 イサベルから教えてもらって、驚いた。


 「家名が無い……王位継承権を放棄していないんですか!?」


 しかし次の言葉を聞いて、その驚きは倍増。


 「もちろん、王位を継ぐことなどありえません。継承権の順位はかなり低いですし、お年から言っても無理ですから。90歳を越えていらっしゃるはずです」

 

 90歳越えということなら、毎日散歩しているだけでも「矍鑠」だ。

 しかし驚異とは、そのことではなくて。


 我が脳内は、大恐慌に陥っていた。


 (ハサン殿下だったの!?まだ生きていらしたなんて!確か94歳になるんじゃない?)


 アリエルは、もし生きていたなら、102歳……だったっけ?

 追放されたのは82年前(?)だから、当時ハサン老は12歳。

 生前のアリエルを知っている。


 (ええ、磐森にもよく遊びに来られて。親しくさせていただいたわ)


 ハサン老は、アリエルの幽霊に気づいていなかった。

 高岡のサム老人とは異なり、まだ魂が体にしっかり定着している証拠だ。

 


 ともかくアリエルの知り合いであれば、挨拶をしなければ。

 話を聞きたい。




 目の前に立った少年の影に気づいた老人が、顔を起こす。

  

 「ハサン殿下でいらっしゃいますか?従五位下・近衛小隊長のヒロ・ド・カレワラと申します。アリエルの孫です」

 

 俺の儀礼はアリエル仕込み、80年前の古式ゆかしいもの。

 記憶を呼び覚まされたものであろうか、老人の体にめきめきと力が入り、身体が伸びる。

 満足してもらえたかなあ?


 「(共通の知り合いからの)紹介も無しに、何じゃ貴様!」


 叱られた。


 「まあ良い。で、何だと?男のくせに蚊の鳴くような声で!」


 声が小さいんじゃなくて耳が遠いんでしょ……なんてことを言っても仕方ないので、声を張り上げる。


 「従五位下! 近衛小隊長の! ヒロ・ド・カレワラと申します! アリエルの! 孫です!」


 老人の目が驚きに見開かれる。

 懐古の言葉でも出るかと思いきや。

 

 「アリエルの孫なら、最初から堂々とせぬか!まるで似ておらん!」


 記憶がある人からすれば、当然のひと言だ。

 俺の顔は、薄い。

 アリエルの顔は、濃い。イロモノ系だが、イケメンには違いない。

 

 (ま~、偉そうなジジイになっちゃったわねえ。昔は愛らしい王子様だったのに。あたしの後ろを付いて回って)  


 当のハサン老人は、じっとこちらを睨んでいる。

 丸顔の頬が膨らんでいる。愛嬌があると言えなくもない。


 やはり、気づかれたのであろうか。本当はアリエルの孫ではないと。

 ……などと、後ろめたさを感じたりもしたのだが。


 そんなことはなかった。

 王族にして、老人なのだ。勝手の強さは累乗されている。

 こちらの都合などに構っているはずは無いのであって。


 「いつまでワシをこんなところに立たせておく!近衛のくせに、気が利かぬ!家に帰るゆえ、随伴せよ!」

  

 言い捨てて、馬に近づいて行く。

 蹴られでもしたら一大事ゆえ、丁重に馬の背に押し上げる。


 大丈夫かなあと、こわごわ見上げてみれば。

 またも、こちらを睨んでいて。


 「陛下の近衛、それも小隊長ともあろう者が、馬子の如き振る舞いをするな!」


 「随伴せよ」とは、「世話をしろ」とかそういうことではなく、言葉通りの意味。

 ハサン殿下と馬を並べて歩めと。


 馬の手綱を改めてピーターに預け、俺は殿下の横に付く。

 乗馬は身体が揺れるし、殿下の負担にならなければ良いのだけれど。

 

 そんなこちらの心配をよそに、ハサン殿下は真っ直ぐ背を伸ばして前を見ていた。

 随伴せよと言った割には、一言も話しかけてこない。

 近隣の王族……ではないな。その使用人達がもの珍しげにこちらを見ているのにも、一切目をくれぬ。

 

 いや、さすが王族、凛々しいものだ。

 

 (バカねヒロ。フィリアちゃんだって話しかけてくるでしょ?随伴させたからには、会話があって然るべきなのよ)

 (さよう。必死なのでござるよ、ご老人)

 

 ヴァガン、頼む!


 (「ゆっくり、静かに」だな?馬に頼んでおくぞ) 

  

 いくら元気だと言っても、90過ぎの老人の散歩コースだ。

 ハサン殿下の自宅は、数百mも行かないところ、表通りから少し入ったところに建っていて。


 そっと慎重に、下馬の介添え。

 

 「ご苦労!」

 

 その大音に応えるべき、出迎えの小者の姿は見えなかった。

 庭先からハサン殿下がゆっくりと歩んでゆく。

 その先にある建物から、人の気配は感じられず。

 「ごみ屋敷」や「廃屋」とまでは言わぬけれど。「荒れている」ことは明らかで。



 しかしそちらに意識を向けること自体が、若者のせっかちさ。

 

 途中にある、少し大きな石。

 ふらつくように、老人が腰を下ろしていた。



 建物まで見送らなくては。

 そう思って数歩踏み出した俺に、しわくちゃのお顔が向き直る。   


 「近衛が何をさぼっておる!早く王宮に帰らぬか!」

 

 家の中を、見せたくないのかもしれない。

 でも。放っておけない。



 「殿下、本日私は非番です」  


 嘘をついた。午後からは、勤務シフトが入っている。

 何か事件があるわけもないので、ただの待機に過ぎぬけれども。

 

 アカイウスが頷きを見せ、去って行く。

 昼には、午前の仕事を終えた小隊長仲間が近衛府に戻ってくる。それまでに連絡を入れておけば良い。誰かにシフトを肩代わりしてもらえる。


   

 「殿下は磐森郷の野趣をお喜びであったと、祖父アリエルからは伺っております。野点のだてはいかがでしょう?」


 嘘に嘘を重ねた。

 俺は、アリエルと直に接してはいないことになっている。


 そんなことはどうでも良い。

 返事を待つつもりも無かった。


 「お邸に着いたら、従僕か執事に渡そう」と思っていた、お茶とお菓子。

 その場で広げる。

  

 「野点などと仕掛けにこだわる割には、大したことが無い茶菓だの」


 憎まれ口を叩く老人の顔には、血色が戻っていた。


 

 

 さぼった手前、すぐに戻るわけにも行かず。

 馬蹄の音がゆっくりと響く都大路に吹く風は、ちょうど良い涼しさで。 


 「年老いたあるじを残して先立った従僕の気持ちは、いかばかりでしたでしょう」


 つぶやいた少年には、半ば寝たきりになった祖父の世話をした経験がある。


 「殿下に何が必要かまとめておいてくれるか、ピーター」


 「『物』ではなく『人』かと存じます、マスター」



 難しいのだ。

 「介護サービス(ビジネス)」という概念の無い社会。


 いや、介護に限らず「身の回りの世話」を行うのは、家族か従僕郎党かであって。

 それは、一対一の信頼関係に基づくもの。

 長生きしすぎると、個人的な信頼関係を結んでいた者や、その子孫にまで先立たれてしまう。



 個人的な信頼関係に基づくものであるゆえに。

 例えば「身の回りのことは自分でできるから、しばらくハサン殿下付きになってくれるか?」などと俺がピーターに言うことは、許されないのだ。

 二人の人間に付くことを命ずるのは、従僕に対する侮辱行為だから。


 ハサン殿下とて、そういうやり方には納得すまい。

 気丈でもあり、作法に故実、典拠や礼儀にうるさい人なのだから。

 


 故実と言えば。

 俺がアリエルの孫だということ、一切疑わなかったな。

 家紋を見せたわけでもないのに。


 (疑うなんて発想を、最初から持っていないのよ。政治向きではないけれど、若くても貴族の中の貴族だったわ)


 直の知り合いである、名人アリエルの評である。

 当たっていないはずもなく。


 ハサン殿下は、孤影寂しき老耄の人では無かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ