第十四話 湖城イース その4
「げ、オカマかよ。」いきなりこれである。
ハンスは本当になんと言うか、こういうヤツである。
「犯すぞコラ。」
重低音で宣言すると、いきなりヘッドロック。
ハンスと比べて眺めていると、アリエルの体格の良さがよく分かる。
「なんてね、冗談よ。あんたみたいなブサイク、抱く気にも抱かれる気にもならないわ。」
ハンス、散々である。
「詩人アリエル!」
ハンスと違い、フィリアと千早は、敬意を含んだ反応を示した。
「あの『アリエル』ですか!」
どうやら有名人のようだ。
「50年以上前、70年ぐらい前でしょうか、その頃の伝説の詩人です。今でも彼を越える人はいないと言われています。」
「そうなの?」
「ええまあ、それほどでもあるわ。」
謙遜しないねえ。
「劣った詩に対して謙遜するのは、美に対する冒涜よ。」
ごもっとも。
しかし50年だか70年だかの長い間、この世に留まっていたのか……。
「まだまだ、見たい景色があった。詩にしたい、歌いたい人たちがいた。それだけよ。」
「詩人アリエルは、謎に包まれているのでござる。追放の上で記録抹消刑に処されたゆえ……。」
なにそれ怖い。
「身分違いにも当時の国王陛下の愛娘に恋をして、足繁く通ったとか。その王女殿下がまだ幼く、また、シスターとしての修行期間であったことも災いしたと聞いてござる。そのために陛下の逆鱗に触れた、と。それが一般に言われている噂でござる。激怒した陛下が死刑に処そうとしたものの、その詩才を愛する貴族一同、それどころか庶民に至るまでが助命の嘆願を出したために、やむなく追放にとどめた、と聞き及んでござる。その代わりに、彼の記録は一族にいたるまで抹消された由。……幸いであったのは、『アリエル』がペンネームであったこと。本名で活動していた官界における記録は全て抹消されたものの、彼の文学作品は残ったのでござる。あるいは、陛下もその才を憎みきれなかったのでは……などとも言われているでござるなあ。」
「他にもいろいろな説があるのです。『国王陛下の勘気を被り、追放された』という体にして、諜報活動をしていたのではないか、というのがその代表的なものです。追放されたアリエルは、東国へ向かいました。歌に事寄せて、各地の実情を王都に送り続けたとか。さらに、当時はまだ北賊の支配下にあった、極東地域を見聞する任務を負っていたとも。実際に、その後の軍事活動で、アリエルの送ってきた詩歌が人情・地勢等の情報源として大変に役に立ったのです。」
ロマンスとしても、ミステリーとしても、スケールの大きな話だ。
しかし、それぐらいのことをやってのけそうな雰囲気も、確かにある。妙な魅力を感じさせる男、それがアリエルだった。
ハンスも食いつく。
「幼い姫に恋をした……って、ロリコンかよ。見境無さすぎだろ!」
そこかよ。
今度はアームロックを極められている。
お前本当に懲りないなあ。
作品は残っても、本人の事跡は残らない、か。
やがて人々の記憶からも消えていくのであろうか。少し残念な気がした。
「本名は……本人しか知らないんだね。」
「曾祖母から、ファーストネームだけは聞いたことがあります。」
貴族社会の中では、まだギリギリ記憶が継承されているのか。
「言わなくていいわよ!」
アリエルが叫ぶが、フィリアには聞こえない。
「なるへい」と言うのだそうです。
フィリアは大真面目である。千早も、何の違和感もなく受け入れているようだ。この世界では、そこまでおかしな名前ではないのか。
しかし、「なるへい」か。
愛嬌はあるけれど……。優美な歌をものす詩人であるならば、俺だってペンネームを考えるかもしれん。
とにかく、笑ってはいかん。
そう思っていたのだが。
「なwるwへwいwww」
ああ、やっぱり。この世界でも、多少は珍妙な響きだったのか。
ハンス…。正直は一つの美徳ではあると思うけどさ、お前商人だべ?少しは「飾る」ってことを覚えようよ。
アリエルが双剣を抜いた。どうやら本名は禁句だったか。
「まだ天には帰すなよ~。ハンスとの契約は残っているんだから。」
いずれにせよ、相当に複雑な事情があるようだ。
「アリエル、言いたくないことは言わなくてもいいから、さ。」
「ありがとう。あなたいい男ね。」
背中を向けていたアリエルが、そう言って、双剣を収めた。