第百七十六話 睡蓮 その3
事件を処理するフィリアの表情は、硬かった。
「霊廟に勤めているのは、主に功臣に関わりある『鰥寡老独』です。」
戦争未亡人、身寄りの無い老人。
「福祉政策か。」
「待たれよ。功臣の妻・父母なれば、親族が世話をする……いや、折り合いが付かなかった人々にござるか。」
「なぜ……あ、いや。」
ダン・アーグが、理由を教えてくれていた。
自慢の夫・息子を亡くし。親族から邪魔もの扱いされ。
そして流れ着いた、コミュニティ。
感謝の念を抱く者、仲間との新しい日々に安らぐ者も、当然いるはずだけれど。
過去を忘れられぬ者、喪失感を抱えたままの者。
傷を舐め合うような関係に、耐えられぬ者。
主家への忠誠と、怨恨と。
深く重い、2つの感情に揺さぶられて。
「同じ匂いのする者は、すぐに分かる」。
横領事件の犯人、ドン・ノートンの言葉であるが。
犯行に関わらなかった者も、何かあるとは感づいていたらしい。
「前兆は、ありました。睡蓮がちぎられていたり、霊廟の掃除が疎かになっていたり。」
とは言え、同じ痛みを、その根深さを知る仲間たちだ。
強い態度に出ることが、踏み込んで話をすることが、できなかった。
そっと、代わりに掃除をしておいてやるだけ。
いつか気持ちも晴れるだろうと、そう信じて。
「壊されたりは、していなかったのか?」
こうした行動は、「爆発」までの間にエスカレートしていくと聞くけれど。
「そこは、メル家のご威光によるものかと……。」
老人の言葉を、フィリアが遮った。
「壊そう、傷つけよう、汚そう……そのような気持ちを誘うものでは、ありませんから。」
その場の勢いで、霊廟に踏み込んでしまった俺。
フィリアの言葉の意味は、理解できた。
霊廟の床は、天井は、やはり美しい大理石の輝きを見せていたけれど。
中央に座る、本尊とも言うべき石造りの建物は、ずんぐりと地味な灰色をしていて。
いや、ほぼ真っ黒であった。焼け焦げの跡と、まだらに広がる鉄錆色の染みにより。
そして無数の、刃物による欠け。剥き出しの、痕。
メル家に浴びせられた暴力と悪意、その象徴。
それを正面から引き受けてなお斃れぬ、頑強さ。
犯人たちは、目を逸らしていたであろう。
自らの敵愾心の弱さを、……卑小さを、意識させられるばかりであったはず。
関係者からの聞き取りを終えても、フィリアの表情は動かなかった。
余計なひと言かも知れないと思いつつ、口を開かずにはいられなかった。
「ジョーに言われた。『こういう問題は、上の者が関わる話ではない』と。それに、ダン・アーグの言葉。……正しいと、俺も思う。」
ダンも、気づいていたのだ。
だから万一に備えて、暗器を懐にしていた。
「花」を、どす黒い血飛沫から守るために。
しかし彼自身も揺れていて。
それを俺と千早に見咎められて。
最悪のスパイラルに嵌っていた。
脱するを得たのは……。
マルコ・グリムと目が合う。
「ダミアンが、カレワラ閣下をライバル視していた意味が分かりました。」
「グリム家の役割だと?……マルコ、君も?」
「私はダミアンほどは、紳士でも騎士でもありませんので。」
ダンの場所に、レベッカの代わりに、そして俺の立ち位置に。
血と泥をかぶる盾に。
それが、ダミアンの渇望。
マルコは違うものを見ているらしいけれど。
老人が、平伏した。
「我らの落ち度です。早めに対処しておけば。」
震えている。
今の職場は、息子の栄光を思い出させてくれる、こころの拠り所。
失いたくはないはず。
「咎めません。今後も、同様の人材による管理を続けます。メル家の者が参詣する際には、関係者全員をいったん集め、身体検査をすれば良い。」
余裕の微笑に、一同が再び平伏を見せる。
泥に、いや流れる血飛沫に足元を浸す、睡蓮。
その微笑を、花と称して良いのだろうか。
「さて!」
関係者を退出させるや、白い歯を見せたフィリア。
「こんなことがあった後です。里の者に食事を作らせるわけには行きません。……もちろん、客人に作らせるわけにも行きませんし。」
おーい。
マルコ、セルジュ。君らも、軍メシは作れるよな。
鍋で良いんだ、鍋で。
目を逸らしやがった。
そりゃあね、フィリア様の手料理だ。
食べてみたいだろうさ。光栄だし、自慢もできる。
……山里にふさわしい、素朴な味わいであったと言うに留めよう。
フィリアは終始、にこやかで。
まさに花のような笑顔を、ふりまいていたけれど。
その後ろ姿は、いつもよりひと回り小さく見えた。




