第百七十五話 清流 その1
緊張感を取り戻したメルシティを背に。
我ら一行、北のかた「メル」へ、メル家発祥の地へと赴く。
上流域に領邦を与えられているフィリアから、説明と提案があった。
「陸路を使っても良いのですけれど。商港から川を遡って行きませんか?」
メルシティを時計に見立てるならば。
5時方向から南東へと半島が、クワガタの角が、突き出している。
商港が開いているのが、6時方向。
そして、7時方向から12時方向にかけて、まさに半円を描くように大河が流れている。
……12時方向が上流ゆえ、少しおかしな表現になっているけれども。
川の左岸、東側・南側が、フィーネ。
川の右岸、狭い西側と広い北側が、メル。
地理情報としては、そうした次第。
「賛成。曾根神楽河は、清流で名が通ってるし。いい加減、馬や馬車にも少し飽きが来てたのよね~。」
メル家御用達の高級客船に乗れるからだろ?
……などという野暮を口にせぬのが、紳士なのである。
ともかく、フィリアが提案してレイナが乗った以上、どう反論しても勝てるはずも無く。
船が苦手なピーターや、馬を愛するセルジュには泣いてもらうこととして。
我ら一行、逆らわず船上の客に収まったという次第。
実際のところ、逆らわなくて良かったと思う。
レイナが褒めるだけのことはある。
曾根神楽の流れに沿う眺めは、まさに風光明媚。
ことに右岸・西側が良い。
狭い平原の向こうが、すぐに険しい山地となっているのだが。
その裾野には霧がたちこめ、山腹には緑深き森。
長く切なげな啼き声が聞こえる。鹿か、雉か。あるいは猿だろうか。
高みへと目を転ずれば、長雨の季節を前にした明るい日差しの下、行き交う鳥の群れ。
「文人墨客にして、この地を訪わざる無しというわけ。」
「そしてこの険しい山地が、王室直轄領……いわゆる『王畿』との、境界になっているのです。」
「フィリア!またそんな話ばかり。……ま、いいわ。この景色に免じて許す。聞いてあげようじゃないの。」
レイナの許しなど、端から得る気のないフィリア。
淡々と、説明を続ける。
「北方でこの山地はいったん切れ、平原となります。この平原は、交通の要衝。東へ向かえばメル、西へ向かえば王都、北へ向かえば、やはり王畿からエッツィオ辺境伯領へと続く道。それらが交わる平原です。」
言葉を切り、俺に目を転じている。
「衢地。大会戦には、ピッタリだな。東のウッドメルと並ぶ典型例だとは、聞いているけど?」
「歴史の教科書には載っていませんが、皆さんは知っているでしょう?はるか昔、王家とメル家が、その平原で会戦を行いました。」
載っていない理由など、口にする必要は無い。
王家が敗れたため、隠蔽されているのである。
当然だ。
メル家からすれば、勝手知ったる自領の庭先。国土防衛戦でもある。動員兵力は倍増し、決死の意気をもって臨む戦となる。
一方の王家からすれば、本拠たる王都からは900km離れた地点。兵站線も伸びている。
「手酷く叩いてから、王国の傘下に加わったと。政戦ともに、メル家が上手だったと言うわけね?」
「ヒロ君。王国がメル家に劣っていたわけでは無いよ。」
イーサンの声は、やや硬かった。
眉に小さな非難の色を現している。
「君も王国の直参貴族なのだから、わきまえたまえ」と。
「権臣が勝手に起こした戦なんだ。同調する貴族を語らい、当時の国王陛下に圧力をかけて、勅令を得た。……戦勝に乗じて、さらに権力を握ろうとしたのさ。」
「デクスター家は?」
「同調するわけないだろう?適当に理由をつけて、王都に留まった。」
「なるほどね。王国……いや、貴族連合としておくか。まとまりのない貴族連合では、一枚岩のメル家に勝てるわけもなく。」
「貴族連合」と言い換えた俺に、イーサンが頷きを見せる。
先を言うよう、さらに目で促してきた。
「命からがら帰ってきたところに、留守に乗じて陛下を担いだ貴族たちから『なんじに謀叛の疑いあり』、かい?……不遜な権臣は排除されました、めでたしめでたし。」
デクスター家の権益も拡大しました、めでたしめでたし、と。
俺がデビューするのは、そういう社会と言うわけね?
「もう我慢できない。どうしてあんたたちは、そう生臭い話ばかり!頭を垂れれば碧なす清流、頭を上げれば連なりめぐる峰巒。めったにない景勝でしょうが!目に焼き付けとけ!もったいない!」
思わぬところから、反応があった。
「そうね。レイナさんは、清流よね。」
少し粘つくような声。
社交的とは言い難い雰囲気。
鋭敏に感じ取った婚約者が、叱声を飛ばす。
「トモエ!……いや、済まない。この雰囲気を作り出したのは僕だ。」
「!ごめんなさい、イーサン。レイナさんも。」
「あー。ごめん。あたしも少し、はしゃいでた。……場所移すわ。」
「付き合うでござるよ、レイナ殿。不調法者の某でも、この眺めは気に入ってござる。」
「ありがと、千早。」
珍しい組み合わせだと、その時は思ったのだが。
2人には、縁が無い。その場にいては、俺達に気まずい思いをさせる。
この後で行われたのは、そういう種類の会話であった。
「曾根神楽河か。……荒れ河でも、あるんだろうね。」
曾根。
河川の氾濫と、自然堤防を示す言葉。
「ええ、イーサンさん。氾濫に備え、流域の民は、家に必ず船を置いています。」
「濁流、ね。」
「イーサンさんが、それを言いますか?私とトモエさんを前に?」
「僕やヒロ君だって、変わらない。同じだよ。……だから、トモエと一緒になったんだし。」
トモエは真っ赤になっているけれど。
ごちそうさま……と笑って済ませて良い話でも無さそうで。
当惑する俺に、アリエルからテレパシーが入った。
「トモエちゃんの実家、アサヒ家は、刑事裁判の家でしょ?濁流官って言うのよ。」
「何それ?……ってことは?」
「そ。清流官ってのもある。」
上流貴族の中にも、さらに区別というか差別というか、ガラスの仕切りの如きものがあるらしい。
清流と濁流、それはいわば。
ベビーフェイスとヒール。
主演と脇役。
MCとひな壇。
同じ「業界」に属していても、なぜかそこに存在する区別。
「清流」と「濁流」も、そうした区別の一例と言って良い。
官僚仕事にも、「キレイな仕事」と「汚れ仕事」が存在する。
血だの、死だの、土だの。
「ケガレ」に関わる仕事は、「汚れ仕事」。
それが、「濁流官」。
アサヒ家の家業・刑事裁判は、死に関わる。
メル家の家業・軍事も、死と血の仕事。
二つの家は、はっきりと「濁流」だ。
デクスター家は、財務・税務を家業としている。
これは「銅臭」のゆえに、清流か濁流か、微妙なところ。
清流の典型例は、文教担当。
その意味でも立花家は、「貴族の筆頭」で。
他に例えば、典礼担当のデュフォー家などが、「清流」にあたる。
なお、千早は、領邦貴族であって。
同じ領邦貴族でも、メル家のように王国に閣僚を出しているような「上流」とは異なる。
つまりミューラー家は、清流・濁流以前の問題。
それが、千早とレイナが席を外した理由。
今ここにいる4人は、「上流」の「濁流」という点で共通しているというわけ。
「カレワラも、濁流なわけね?」
「カレワラは、軍事も担当するけど、文教担当でもあるから。分類するなら清流ね。」
「じゃあどうしてイーサンは、俺も『濁流仲間』扱いを……?」
「死霊術師だからよ。」
霊能力者でも、浄化を旨とする浄霊師や説法師とは違う。
幽霊と交流する死霊術師は、身近に「死」を纏う存在。
「つまり、俺は、家じゃなくて個人の属性が『ヨゴレ』だから『濁流』であると?」
「うーん。むしろ、『中途半端な清流』でしょうね。この4人をさらに細かく区分するなら、イーサンに近いの。」
「濁流だからどうと言うことなど、無いさ。僕はそう思っている。」
イーサンの宣言に、我に返る。
「清流・濁流など、小さな差だよ。現に濁流官にだって、担当の大臣・閣僚が存在するじゃないか。」
学ぶべきことの多い俺。
慌てて会話に復帰した。
「と言って、細かく言い募るヤツがいるのも、貴族社会。特にトワ系には、多いんだろう?」
「よく考えられたシステムだとは、思うけどね。」
濁流官は、権力、経済力、軍事力と縁が深い。
だからこそ、そうした仕事を「濁流」と貶め、意識の面で「清流」を上位に置くように仕組む。
「権臣」の登場を未然に防ぐ、そのシステムの一つと思われる。
それが、イーサンの推測。
「つまり逆に言えば、濁流官は目に見える『力』を持っているということさ。」
それを踏まえて、デクスター家とアサヒ家は縁組を結んだ。
「何か突っかかられたら……」
フィリアと目が合う。
「拳で語るのが軍人貴族、ね。」
笑顔を返してくる。
出かかったため息が、引っ込む。
風を受けた帆の、はためきに驚かされて。
「この辺にしておかないか?」
レイナや千早の言う通りだと、思った。
清流を楽しむ方が、ずっと気分が良い。




