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第百七十三話 力 その3


 

 「デクスター閣下。水路の話は、下から持ち上がったのです。」

 


 牧草地にするほかない、広大な地域。

 鍬を入れてみれば、黒々とした土が顔を出すのに。

 水さえあれば豊かな小麦畑になる、黒土が。



 村人の愚痴を、天真会が拾い上げた。

  

 「誰が言い出したかは、分かりません。私の耳に入った時には、『水路を引こう』という話が村々で持ち上がり始めていたのです。」


 

 「トニー君。いや、あるいはフィリア君やヴィクトリアさんに聞くべき話かもしれないが……。メルの領邦では、隣村どうしの仲が、ずいぶんと良好なように思えるのだけれど。」


 イーサンの声に、力が籠もる。


 「滅多にないことだと思う。だが、大きな事業を興すためには、必要な条件なのだろうか?……事情や理由を、教えてはもらえないだろうか。」 



 「メル家としては、隣村どうしに仲良くしてほしくは無いのですけれどね?」


 フィリアが、さらりとした口調で重い言葉を叩きつける。

 

 領邦を与えた郎党衆には、自由にケンカをさせるのがメル家だ。

 日々の小さな「いくさ」が、武人と軍人を育てるから。

 

 郎党どうしが武を磨いているのに、あるじのメル家が緩むわけにはいかない。

 直接支配する村々にも、尚武の気性を植え付ける。

 領邦を持たぬ郎党を「役人」として派遣し、村同士のケンカの「助っ人」「軍事顧問」を務めさせる。

 その「いくさぶり」を、評価の対象とする。


 ……だけでは、ない。

 分割統治ディヴァイド・アンド・ルール


 村々をケンカさせ、メル家はその上に乗る。

 統治者たるもの、「下」に力を結集させてはならぬ。

 

 非情なようにも見えるけれど。

 メル家が圧倒的な力を有すればこそ、「下」も遠慮をし、徹底抗戦を避けるのだ。

 覇権無くして、平和は保たれない。

 



 「村々は仲が悪くて当たり前。そうなるように、自分たち貴族が仕組んでいる。」 


 ……そうした背景は先刻承知の、イーサン・デクスター。

 しかし村々が団結したと、聞かされた。

 時としては必要なのか!?とも思い始めているからこそ、質問しているのだ。 



 「フィリア君。メル家も他の領邦や王室と変わらないと?ならばなぜ、村々は団結できたんだい?」



 つつましく、目配せを見せた上で。

 フィリアの代わりにトニーが答えた。

 メル家の制度では無く、現場の問題だったから。


 「時間はかかりました。けれど、百姓衆には、妥協できる下地があったのです。……彼らが本当に気にしていたのは、開墾とはまた別の事情です。」

 

 

 水利争い。


 はるか昔から、過酷を極めていた。

 メル家の支配下に入っても、その状況には変化が無い。



 「お武家様は、死者が何十人と出ない限り、『なんだ、ただのケンカか』で片付けちまう。人死にが軽いんだろうねえ。」 


 それが村人の言葉でしたと、トニーが告げる。


 「『死ななくても、大怪我すれば、仕事も満足にできなくなる。それが分かってもらえない』と」。


 声を絞り出していた。


 トニー・ウッド・ラズメル。「武のメル家」の、構成員。

 「死を、怪我を、恐れる」ことを許されぬ文化のもとに、育てられた青年。

 しかし同時に村人の思いを、心底から理解できた青年。

 


 「『隣村の連中とは、嫁取りもしている。だのに、雨が少ない年には……。先生、こんな歌を知っているかい?』」



 妹の旦那を、俺が還らせた

 妹の目は、俺を見てなかった

 妹の息子が、俺を還らせた

 妹の目だ やっと俺を見た

  


 「いけないと、思いました。何百年と、メル家の下にある農村なのに。彼らの求める保護を、見誤っていた。」 



 必要なのは、まとめ役だけという段階に来ていた。

 全体を統括・指揮できる「教養」を持った人物。

 担ぎ上げやすい、お神輿。 



 「村々の代表、天真会関係者と連名で、私が計画を具申いたしました。」



 

 「つまり、トニーさん。あなたはメル家から派遣された代表者・技術者では無いと。そういうことですか?」



 フィリアの疑問に答えたのは、ヴィクトリア。


 「アナベル様のところには、別の名で計画が提出されています。その者が責任者であるとばかり。」



 ヴィクトリアの返答に、フィリアがもう一度念押しをする。


 「トニーさんは、村々に担がれた、その代表。メル家を相手に、外から折衝する立場であると。技術者も人手も、『下から出してきた』と言うわけですね?」

 

 

 フィリアの質問に頷いたトニーが、ひと言を加える。


 「資金についても、私が商人の窓口になりました。」




 タイミングが良かったということは、あると思う。

 加えて、末端でもメルの連枝だ。担がれるに足る「生まれ」の面で、恵まれていたとも言えよう。

 それでもトニーは、自分の力で這い上がってきた。

 

 「本領には問題が多い」ってフィリアもソフィア様も言っていたけど。

 捨てたものじゃない……。



 フィリアの気色が変わった。

 冷厳な声が響く。

 


 「トニーさん。自分がしたことの意味を、分かっていますか?メル家が大戦に全力を注ぎ込んでいる間隙を縫い、足元である本領で、村々を扇動。その力を結集させた。統治に不安をもたらす行為ですよ?」

  


 捨てたものじゃ……なくない?


 

 「いえ、フィリア様。何も、叛乱等、そのようなつもりは!」 



 「言い訳は無用です。ヒロさん?」

 

 

 「待てフィリア!」


 その後を、言わせてくれない。

 息継ぎの瞬間に、機先を制された。


 「これは失礼を。男爵閣下、それも他家の方にお願いする話ではありませんでした。……セルジュさん、お願いします。」



 セルジュが、トニーをテントの外へ引きずり出す。

 騎兵らしく細身に見えるけれど、さすがの膂力……。


 毎度のことだが、焦るとそんなことにばかり頭が働く。

 

 今やトニーは引き据えられ、三日月のごとき騎兵刀がその頭上にきらめいていると言うのに。



 「お待ちください、フィリア様!」


 「潔くされよ。」


 「言い訳ではありません!最後にひと言だけ!」


 トニーの懇願に、セルジュが動きを止めた。


 フィリアの指示、あるいは制止を待つような話ではない。

 それぐらいは、させてやる。

 「そういうもの」なのだ。

 


 「誰に移管されても、恨みはありません。村ではなく、メル家主導であっても。ですが、どうか。どうかこの水路だけは、完成させてください!必ずメル家のお役に立ちます。」



 「メル家の役に立つかどうかは、本宗家で判断します。他に言い残すことは?個人的な願いがあれば、言いなさい。」



 「水路だけです。どうか、お願いいたします。何もできなかった私が、唯一手がけて形にした仕事。どうか……。」



 じっと目を据えていた、フィリア。


 「納めなさい、セルジュさん。」


 笑顔に変わった。

 おい。おいコラ。


 「始めから、そう言えば良い。村人のため、お家のため等と、綺麗事を言うから疑わしく見えるのです。リベートを受けているのではないか、これを足がかりに『上』を目指しているのではないかと。」



 「出世を目指すことが悪いって言うの?」



 「メル家の『中』で出世を目指せと言っているのです、レイナさん。『外』に足がかりを置く連枝は、困りものです。」



 「寄騎」・「客将」は、もともと「外」の人。「外」と付き合っても、主家が文句を言える筋合いには無い。

 「郎党」は「内」の人だけれど、主家とは一種の契約関係にある。それを守っている限りは、基本的にはお咎め無し。

 だが、「連枝」とは「メルの名を持つ者」なのだ。

 力をつければ、本宗家に取って代わる……いや、その地位に「忍び入る」ことができる立場。外との連携は、いわば「外患誘致」にあたる。

 


 技術者のトニー、自己実現の場を掴み取ったトニー。……連枝の、トニー。

 立場への配慮が、疎かになっていた。




 「じゃあ、フィリア?」


 俺のそのひと言は、無視されて。



 「ヴィクトリア姉さま!」


 何を求められたか、ヴィクトリアは理解していた。

 「人の意を承ける」ことには、長けているのだから。


 「トニー・ウッド・ラズメル。あらためて、『メル家の』工事責任者に任命します。……フィリア様?」



 「長年の研鑽、計画、実行までの段取り。全て、実にみごと。これからもお願いします、トニーさん。」 



 そこまで済ませてから、やっとフィリアが俺を見た。


 「そうそう、ヒロさん。ありがとうございました。私を止めようとする『演技』、なかなかのものでしたよ?」



 意地と面子の、貴族道。

 男爵閣下に恥をかかせたままではいけない。

 でも、騙されたことには違いないわけで。

 ああもう!




 でもまあ、良かった。

 この水路は、完成に向かう。

 

 貴族の立場に慣れるにつれて、忘れがちになっていた。

 貴族や武家ばかりに力があるように、勘違いしていた。


 涸れた大地を潤していく、きらきらした輝き。

 その源流は、たぶんやっぱり、欲望……と言っては、ドギツイか。

 キレイに言うなら、意欲・意志の力なんだと思う。寄せ集まれば、形になっていく。

 立場も、身分も、関係無く。

 



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