第百七十二話 交差 その1
クフォルテから、再び北西へと向かう。
地元の郎党衆を、従えながら。
メル本領に残された郎党衆は、言葉は悪いが「無能」という評価を受けた人々だ。
戦地である極東にも、政局が複雑な王都にも、「連れて行けない」と判断された郎党達。
が、それは三十年前の話であって。
今、ともに歩を進めている人々―当時の領主達の息子世代である―は、今次大戦で大活躍を見せた。
「失点があっても、きちんと子女を教育して、次代には取り返してくるか。見事なものだね。」
「ご過賞です、デクスター閣下。うちの親父は、救いようのないボンクラでした。家伝の教育も断絶させて。おかげで苦労させられましたよ。」
謙遜……と言うには、言葉がキツすぎる。
社交辞令の範囲を逸脱した、不快を招きかねない言葉。
しかし郎党衆は、その言葉に頷くばかり。
苦労させられた若手達の、これが共通認識らしい。
「身につまされるわね。自分で鍛えて手柄を立てたってわけ?立派じゃない。」
レイナ。
さすがにそれは立花伯爵、いやオサムさんに悪いって。
「いえ、実は……ミッテランさんのおかげなのです。」
ダグダでも、セルジュから聞かされた話だ。
ミッテランは、勢力が振るわない本領系のために力を尽くしていたらしい。
若手を育成すべく、教育振興や雇用(小遣い稼ぎの場)の創出を行っていたとか。
「ミッテランさんは、私塾を開いていました。」
「ええ。そこで読み書き計数を学んだり、体を鍛えたり。」
「懐かしいなあ。ミッテランさんの口癖。」
私は愚かであった。
手柄を何ひとつ挙げることも無く、先祖伝来の領地は少しずつ削られて。
思うに任せぬ中、自分の無能を棚に上げ、他人の足を引っ張ることばかり考えてきた。
息子にも先立たれ、手柄を立てる甲斐も無くなった。
だが、そこで初めて目が覚めたのだよ。
本領に残された郎党は、みな私と同じ。
箸にも棒にもかからぬ無能ばかり。
次世代にまで、こんな情け無い思いをさせてはいけない。
過ちだらけであった我が生涯。
メルのお家に私ができる、これが唯一のご奉公だ。
「セルジュに対する扱いは、微妙だったよな。やっぱ、モンテスキュー家はライバルだからか?」
「いや、俺は違うと思う。セルジュはいつも、『君は良いのだ。ほうっておいても頭角を現すに違いない』って言われてた。たぶん、正直な気持ちだったんじゃないかな。」
才能がある者は、ほうっておいて良いのだ。
気にかけるべきは、「できが悪い」と言われがちな者のはずだ。
王都には「学園」というものがあるのだろう?
結構なことだとは、思うけれどね。
読み書き計数、武術に指揮の才能。それが「できる」者にしか門戸を開いていないらしいじゃないか。
私は、気に食わない。
最初からそれができる者など、ひと握りではないか。
「できの良い」者には、分からないのだ。
掛け算が解けぬ者の気持ち、馬に乗れぬ者の気持ち、泳げぬ者の気持ち。
隣人の君達は、当然知っているだろう?
私の父は「できる男」だった。
できの悪い私を、どうしても理解できなかった。ただ非難するばかり。
だから私は、若い頃からグレてしまった。
私には、「できない」者の気持ちが分かる。
不器用な者が、できるようになるための「手順」を教えることができる。
天才や秀才も、社会には必要だろう。
だがね、戦いは数だ。我らが主君、公爵閣下の采配を見ても明らか。
底辺と言われる郎党衆が、みな掛け算できるようになり、馬に乗れるようになることの方が、よほど有意義だと思わぬかね?
「ミッテランさんのおかげで、私達は腕を磨くことができました。」
「ええ。極東に呼ばれ、手柄を立て。父の不名誉を雪ぐことを得ました。」
「あ、いや、その……。」
ひとりが、郎党仲間・セルジュの顔を窺っている。
セルジュの父はその若き日、ミッテランに「足を引っ張られ」、大怪我を負わされた。
優秀な騎兵隊長だったのに、極東での大戦に参加できなくなった。
そしてミッテランは、郷土愛の過ぎる男でもあった。メル第一主義者、本領原理主義者。
それで、「他家から来た婿殿」のアレックス様を軽んじて。
外交で大きな失点を負い、それを認めようとせず。
アレックス様の方針に従わぬ意思を示したために、誅殺された。
「立派な人物なのか、そうでないのか。よく分からないなあ。」
「ええ、ヒロさん。ずっと本領で暮らしてきた私にも、分からないのです。」
周囲の視線に、柔らかな会釈を向けていたセルジュ。
感情を動かすまいとしているのか、その微笑を頬に貼り付けたまま、呟いていた。
「父はミッテランさんの謀略にかかり、大怪我をさせられました。でも物心ついた頃から私が知っているのは、改心した後のミッテランさんで。しかし最後に見せた顔は、無能で反抗的な、横着者。」
一転、馬鞭を振り上げた。
「ミッテラン家のことは、もう良いでしょう?あれに見える建物が、邦境の検問所です。我が故郷、モンテスキュー領へようこそ!」
その検問所には、セルジュの叔父が迎えに来ていた。
「兄・当主は健康を損ねておりまして……。」
フィリア様とご一行を迎え、平身低頭。
男に、甥のセルジュに、気まずい思いをさせまいとて。
イーサンが、水を向けた。
「そう言えば以前、モンテスキュー領を走る街道は、直轄地にも本領にも負けぬほど整備してあると言っていたけれど?」
「ええ、我らの自慢です。何代も手を入れた農地・牧草地も見ていってください!」
……意外と、そうでもなかった。
確かに道幅は広く、つくりもしっかりしている。
決して悪くはないのだけれど。
どこか、「うらさびれている」ような。
道の路肩が少し欠けていたり、雑草が生えていたり。
いや、これまでの街道と比べて、遜色があるわけではないけれど。
「本来なら、もっとしっかりしているはずであろう」という様子が透けて見えるのが、切ない。
農場で働く人にも、活気が無い。
牧場の馬も、なんだか少し気が抜けているような。
「こんな……こんなはずでは。」
誰よりもショックを受けていたのは、セルジュ。
「気にするなよ。立派なもんさ。うらやましいぐらいだ。俺の領邦なんて、親父のせいでボロボロだぜ?」
「そうだそうだ。嫌味かよ!俺だって、こんな立派な領地にフィリア様とヴィクトリア様をお迎えしてみたいもんだ!」
地元の仲間が、励ましの声をかける。
その声色、セルジュの傷心を理解できていない。
心底、「立派な領邦だ」と思っている。
「セルジュ君がここを出て、ちょうど2年だろう?ダグダに兵を引き連れて来て、そのまま大戦に突入。まるまる2年もの間、多くの精鋭を出向させたなら、財政は苦しくなるに決まっているさ。これほどの街道を作り、農地を整備する財力があるなら、すぐに回復するよ。」
そちらには詳しいイーサンの、太鼓判。
しかしセルジュは、食って掛かる。
「父は、日頃の心掛けを欠かしませんでした。累代の蓄積もあります。出兵は、郎党の義務ではありますが、権利にして名誉でもあります。それを理由に揺らぐことなど、あり得ません。あってはならぬのです。」
「セルジュさん。」
フィリアが、ひと声。
「これは、お見苦しいところを。事実の前では、何を口にしても言い訳にしかなりませんでした。」
潔い言葉。
しかしセルジュが叔父に向けた目は、この上なく厳しくて。
応えた叔父も、真っ直ぐに気合を叩き返していた。
「できる範囲のことは、やっている」と。
そう、告げていた。
「郎党衆にも、苦労をかけました。当主も、健康を損ねるほどに励んでくれたのですね?」
フィリアの言葉に、セルジュの叔父がみるみる意気を阻喪していく。
血の気が引いた顔を、伏せる。
「はっ。容態がはかばかしくありません。歓迎の宴にも欠席すること、お許し願いたく。」
「無理をしてはいけません。お大事にと、伝えてください。」
馬上、深々と下げられた頭。
頷いたフィリアが、俺に視線を転じた。
事情を聞いておけ、ですか。
郎党仲間や主家に対しては、言いにくい事情もあろうから。




