第百六十八話 名勝
ファシル州南東部では、レイナ・俺・イーサンの、宮廷貴族三人衆(?)がトラブルを解決したわけだけれど。
「しっかりしてください!」
フィリアの声は、尖っていた。
レイナの鮮やかな手際に、……というよりも、そのドヤ顔に、不快を感じたか。
舎弟(?)である俺が手も無くやり込められたことに、怒りを覚えているのか。
いずれにせよ、俺がレイナに「してやられた」ことは、確かな事実。
「許す」という方針は、「甘い」の一喝で路線変更されてしまい。
イーサンの「フリ」に対して俺が迷っている間に、「庇護を与えるのは立花家、実働を担当するのがカレワラ家」と、「格」を決め付けられてしまった。
……「立花の庇護を受けよ。ただでカレワラに守ってもらうつもりか?」という言葉は、両家のそうした上下関係を前提にしてしまう発言なのであります。
いやでも、もともと立花ってのは、そうやって生きてきた家のわけだし。
家格から言っても、「王の友」と「王の親衛隊員」なんだし……。
「ヒロさん?」
何でもありませんゴメンナサイ。
フィリアの不機嫌には、もうひとつ理由がある。
暴れ河を渡ると、ファシル州南西部に出る。
ここを過ぎれば、メル本領……というわけであるが。
なるほど、邦境になるわけだ。
「武のメル家」を食い止めるに足る。
ファシル州の最西端は、海へと連なる汽水湖だ。それも、50km四方近い。
つまり南の海岸側には、陸路が無いわけで。
ならば他のルートは?……と検討してみると。
南以外の三方は、これが急峻な丘陵地に直結している。
大軍を送るには困難を伴う。
湖の東側・西側の双方にとって、「攻めるに難く守るに易い」地形であった。
そして、ファシル州の政庁。
「もとは地元豪族の、居城にござるな?」
千早の問いは、返答を要しないもの。
他の立地が考えられないぐらいに、「嫌なところ」に建っている。
湖北の一本道を通り、丘陵を東へ抜ければ。
突如として現れる平原。広がる低湿地。
その南方に聳える独立した高台の上に、ファシルの政庁がある。
湖東の丘陵地と、南方の城に睨まれ、どう布陣しても半包囲を受けた状態。
足場も悪い。
「良くもまあ、こんな城を落としたもんだ。さすがはメル家。」
「落とせなかったのです。王国のバックアップを受けるまでは。」
これこそが、フィリアの声が怒りに震えている理由。
メル家にとって……ファシル南西部は、屈辱の記憶が刻まれた地。
「祖父が、よく口にしていました。『ファシルを攻め落とすまでの二百年を思えば、極東までの2000kmなど、何の苦でも無かったわ』と。」
高台を少しずつ占領・確保し、砦……いわゆる「付け城」を築き。
一尺一寸、敵地を削り取るようにして前進していたらしい。
「ノウハウを、実戦経験を、累代ここで蓄積したわけか。悪路の戦、平原の戦、そして得意の渡河作戦。」
ファシル南西部は、「武のメル家」を育てた地。
「大軍を運用できない地形です。小部隊を巧みに進退させる将が『戦上手』と称されがちで。……間違いとも言い切れませんが、弊風にもなりました。」
大軍を、ゆったりとつつがなく指揮する将軍―フィリアの父・セザール様、姉・ソフィア様―の評価は、不当に貶められがちであった。
ファシル南西部は、その原因を、お家騒動の不安を醸成した地。
怒りは収まったようだが。
フィリアの表情は、相当に複雑な翳りを帯びていて。
その気分に耐えられず、お茶を濁す。
「しかし、あれだ。二百年もやりあっていたなら、住民の反メル感情は?大丈夫なの?」
……心配する必要など、なかった。
「メル家令嬢が来訪される」と聞きつけて、住民が沿道に歓迎の列を作っている。
「そりゃそうよね。東征することを考えれば、ここは絶対に固めておかなくちゃいけなかっただろうし。……後々王国に編入されることが決まっていたとしても、ねえ?その後を考えれば、メル家としては、鎮撫しといて損は無い。」
……さらに後々。
「王家とメル家との間に、その力関係に、何かが起きた時」。
今度は労せずして占領するためにも、「鎮撫しといて損は無い」。
それをいちいち口にするところが、レイナ。
憚ることなく口にできるのが、立花。
ともかく、住民感情は、しごく平穏。治安も経済状況も、安定している。
イーサンの監査は滞りなく終わり。
安心したか、ファシルの知州がにこやかに語りかけてきた。
「良い季節です。ゆるりとご滞在ください。観光にはうってつけの土地柄です。」
この時まさに、四月の末。
「そうね、歌枕にもなってるし。周るわよ?」
ここのところ、レイナは絶好調である。
うららかな春の陽射しに、湖面は輝き。
恋人達は小舟の上で愛を語らい。
岸辺には、はしゃぐ子供。それを笑顔で眺める、老人の姿。
「ほら、あっちの入り江。橋がかかってるでしょ?あの上に立って、恋人の顔を思い浮かべると、湖面に顔が映るって言われているの。王都から遠く旅に出て、逢えない恋人を偲ぶ。名歌がいくつもあるのよ?いいところに架かってると思わない?」
「九十五年前。あの入り江で、3度目の攻防戦がありました。良いところに架かっている橋でしょう?侵攻路になることは、敵も分かっていたのです。しかし交通の利便を考えれば、あの橋を落とすわけにも行かず。結果、常に争奪の要となりました。……橋は死体に溢れ、乱戦の中では回収もままならず。泣く泣く友のなきがらを湖に突き落としたとか。湖面に浮かぶ顔を胸に刻みつつ前進し、橋を確保。喜びと悲しみの歌が、メル家には伝わっています。」
フィリアも絶好調であった。
「ほら、湖岸のあの夫婦岩。しめ縄がかかってるヤツ。縁結びのご利益があるんだって。あれにちなんだ歌も多いのよ?」
恋人達が、手を合わせていた。
「百十年前。侵攻したメル家は、この地で大敗を喫しました。家中に名高い力自慢が『しんがり』となり、ただひとり奮闘したそうです。並み居る敵も震え上がり、追撃の勢いが止まり。ついに向こうもファシル一の勇士を投入。両者は組み打ったまま湖に落ち、浮かんできませんでした。その姿の見事さに両軍心を打たれ、文を交わして停戦しました。『両家切り分かれの岩』として知られています。」
老人が、がっしりした骨格の男の子を連れて、手を合わせていた。
「フィリア!何か文句でもあるわけ!?」
「メル家の歴史が、我が一族郎党が眠る地です!わけの分からぬパワースポットにしないでください!」
どちらの言うことも、間違ってはいない。
霊力だだ漏れの、パワースポットであった。
橋の下には、顔が浮かんでいた。
しかし、何と言っても百年前のこと。「幽霊」あるいは「悪霊」としての自我を保てていない。
今やその実態は、ほぼ「霊気溜まり」に等しい。
見る側の思いが、霊気に反映する。それだけのことだろう。
夫婦岩は、あれ、朝倉と同じだ。
霊がへばりついて、一体化してしまっている。
こちらも、悪い霊ではない。
力自慢や恋人達に拝まれて、「カドが取れた」らしい。
「その辺どうなんだよ、朝倉?」
「恨みや怒りを持続するってのは、難しいんだよ。自分のことを棚に上げやがって!」
すぐに「水に流してしまう」日本人。
3年もつきあえば、朝倉みたいな武術バカにも、バレバレであった。
「こうして現世に留まってみたら、まだまだ刀術に未練があったんだろうなあ。倉庫から解放されたし、夢枕に立たなくても話ができるんだから、悪くない。」
「話し相手がいないってのは、キツイよなあ。」
目の前の、夫婦岩。
元は敵同士だったのだろうけれど。
他に誰もいなければ、コミュニケーションを取るほか無い。
百年は、ひとりで過ごすには、長すぎる。
「何だと?俺は一人でもやって行けたぞ。何様のつもりだ?何度命を助けてやったと思ってる。どっちが立場が上か、分かってないみたいだな。生意気になりやがって。」
ガタつく朝倉。
ガタガタ言い合っている、レイナとフィリア。
仲間が、友達がいるヤツは、ほっといていい。
「お前達、どうする?天に帰るか?2人きりだと、キツくないか?」
だから。
夫婦岩に、問いかけた。
「あー、まあいいさ。慣れちまった。」
「いろんな人が、話しかけてもくれるしね。」
「この岩が崩れれば、自然に俺達も解放されるだろ。それを待つさ。」
「案外時間はかからないと思う。波に洗われて、結構削られてるんだ。」
そっか。
「平和になったよなあ。」
「だね。仲間の生死にやきもきしなくてすむのは、助かる。」
「メル家の、主家の姫君か?覚えていただけるのは、この上ない名誉だけど。」
「『普段は忘れられてるぐらいの扱いが、ちょうど良い』かい?」
「分かるか?」
「百年のつきあいだよ?お、そろそろ満潮時刻だ。」
ゆっくりと、洗われて行くさ。
ゆっくりと、ね。




