第百六十七話 流浪の民
ウマイヤ新領にも、一週間ほど滞在した。
「馬を贈られる」件については、セルジュからの横槍が入っていた。
「ヒロさんの馬は、ぜひモンテスキュー家から贈らせてください」と。
「(メルの仮想敵国?の)ウマイヤ家から、馬を受けるとは言わんよなあ?」
と、まあ。
そういうこと。
仕方ないので……と言っては失礼か。
ともかく、アカイウスに贈ってもらうこととした。
「ウマイヤからカレワラへ」ではなく、「ファン・デールゼンからシスルへ」という体を取る。
脚力と、それに見合うだけの「癖」を持つ、黒鹿毛の逸速。
跨って駆け去るアカイウスの後ろ姿は、馬よりも精悍だった。
故ウッドメル伯爵が見ていたのは、この背中。
いや、あるいはもっと……。
胸のうちに湧きあがる感情。
嫉妬とは、認めたくなかった。
だから。
「ありがとうございます、ファン・デールゼンさん。あれが本来のアカイウスですか。」
鷹揚に口にできる言葉を、選んだけれど。
「錆を落としただけでしょう。まだまだこれからですよ、彼は。」
「あなたが引き出すんです」と来た。
前の主君を越えるとは、そういうこと。
全部、読み取られている。
「まだまだ」なのは、俺で。
しかし、それにしても。
……クラースの顔を見ずにはいられない。
なんだってこれほどの人物が、家庭では「てんでなっちゃいない」対応を取っていたのか。
息子のクラースにしたって、なかなかの切れ者だと言うのに。
「痛いところを突かれる。『やり返す』ことを覚えられましたか。」
余裕を見せているけれど。
これは、分かる。さっきの俺と同じ。
嫌な感情を、鷹揚な言葉でごまかしている。
「皆さんのおかげです。」
そのひと言を口に出すタイミングで、ファン・デールゼン氏の視界に入り込んでいた人影。
……最上級者は、やっぱりレイナであった。
そのウマイヤ一党、ファシル州を出るまでは、ご一緒してくれるとのこと。
海岸沿いを、西へ。
南北に長い二等辺三角形をしたファシル州は、おおまかに言って3つの地域に分かれる。
海沿いの、南東部。
同じく、街道に沿った、南西部。ファシルの政庁は、ここにある。
そして、リージョン・森へと連なっていく、北部の丘陵・森林地帯。
南東部は(南西部もだが)、東西・南北とも100kmと言ったところ。
徒歩で3日、馬なら2日の、コンパクトにまとまった地域だ。
メル家が「安定」させた街道沿いでもあり、行政はうまく回っている。
イーサンの監査もスムーズに終わった。
が、北部。
広大な森林地帯に、「まつろわぬ民」が出没するのだと言う。
「抵抗するのか?」
「いえ、カレワラ閣下。抵抗はしませんが……税を払わぬのです。」
南東部担当の官吏は、歯切れが悪い。
「なるほど。『まつろわぬ民』だ。」
イーサンの歯切れの良さよ。
ひとつの判断基準ではあるだろうけれど。
……周囲が見せた「もう少し聞かせろ」という顔に、担当が答える。
「定住していないのです。おもに狩猟・採集を営んでいるようでして。」
「『山の民』か?」
「いえ、そうではないのです。山の民との間には、『リージョン・森の中では自治を認めるが、州境以南には踏み込むことを禁ずる』という協定がありますので。彼らではありません。」
「すると……王国の民でありながら、山の民のような生活をしていると?」
フィリアが上げた、疑問の声。
「大きく移動できないんじゃ、生活が成り立たない……よな?」
俺が、フォローする。
山の民は、生産性が低い土地を、広く移動して回ることで生活を成り立たせる。
ファシル州北部だけでは、一族を養うには、やや狭い。
「いえ、その……どうも、現金収入や生活物資については、ファシル州南東部や南西部に出稼ぎに来ているもののように思われます。実態がつかめないため、なかなか租税を確保できず。」
「出稼ぎ?」
「行商に葬儀屋、技芸……などです。」
「犯罪行為は?」
トモエの声が尖る。
非定住民に対して、定住民が、第一に懸念するところだ。
「そういう話は聞かぬ。……天真会から、上がって来た情報にござる。」
天真会は、千早は、こういうことには強い。
その者たちは、河原に住んでいた。
ファシル南東部と南西部の境界である、暴れ河の河川敷。
極東にも、ティーヌの流れを南北に漂泊する民がいたけれど……。
ひと目見て、気づいた。
彼らは、本来的な遊牧民、漂泊民、非定住民、等々では、「ない」。
建物、家財道具が、「それごと移動する」ような作りには、なっていなかった。
一年を通じて、「一族の誰かが、ここに駐留している」ような暮らし方。
メンバーの入れ替えをしているから、顔ぶれが変わる。
結果、流浪の民のように見えるのだろう。
……極東では、開発のために、漂泊民の定住化が押し進められていたけれど。
直轄領では、「予算と時間をかけて行う大事業」が、展開されない傾向にある。
つまり、暴れ河周辺は、いつまで経っても改修工事(?)が行われない。
だから、彼らも追い立てられずに暮らすことができる。
爺様が、腹を日光浴させながら歌っていた。
「『日出でて作り、日入りて憩う。』……って、俺は畑仕事をしてないや。一日じゅう休憩だ。」
のんきだなあ。
でも確かに、儲けを出していない者からは、税の取りようが無い。
河川敷の家に踏み込んだって、大したものは出てこないだろう。
何も持っていない者は、強いのである。
爺様が、こちらに横目を向けた。
また何か、小唄を口ずさみ始める。
「起きて半畳、寝て一畳。王侯将相も、メシは日に二合半。」
そりゃあね。
王様だって、日に三度食べるという点では、庶民と変わりがないわけで。
「陛下でも、『今日のおかずはハズレだなあ』なんて言うこと、あるのかなあ。」
「言いませんよ?そんなことを口にした日には、料理人の首が飛ぶ……いえ、職を失いますから。」
「さよう。貴人は味になど、口を出すものではござらぬ。黙って食べればよろしい……何でござるか?」
「メシマズが言うな!」……とは、言えぬのである。
ともかく。
「王様って、窮屈なんだねえ。」
「だからウチの親父が大きな顔してられるんじゃない。」
ああ、「王の友」……。
立花伯爵は、間違いなく悪友の部類だろうけど。
「陛下が窮屈な思いをされていらっしゃるかは、ともかく。」
苦笑を浮かべたイーサンが、軌道修正を図る。
「忘れてもらっては困るね。問題は、彼らからは税を取れないということであり、治安悪化要因にならぬかということだ。そうだろう?」
「と、言って。彼らはお金を持っていないし、これと言って悪事を働いているわけでもない。」
「『不逞である』、『共有地を、勝手に占拠している』って理由で、追い立てることはできると思うわ?だけど……」
「行き場が無ければ、結局戻ってきちゃう。そうよね、デクスター夫人?」
何か思うところがあったか、ふざけるレイナ。
照れ隠しをしたのは、トモエではなくイーサンで。
「ファシルが大規模に開発され、人手が必要になり、可耕地が広がれば、彼らはそちらに移るんじゃないかな。」
そんな議論を聞いていたか、いなかったか。
河原の小屋から、人々が現れた。
派手な衣装を着て、笛太鼓を鳴らしながら。
騎兵達が、器用に馬を操って「壁」を作る。
向こうも、分かっている。一定の距離以内には、近寄って来ない。
ヤケクソみたいにも聞こえる、お囃子。
お面を着けての、寸劇と言えば良かろうか、あれは。
貴族をおちょくる内容であることだけは、よく分かる。
イーサンの侍衛・アロンはいきり立っていたけれど。
レイナあたりは……皮肉な顔を浮かべているかと思いきや、目を細めていた。
「フィリア。どう見る?」
「ええ。元は家名持ちでしょうね。」
右往左往する、仮面の貴族。
何もできぬまま追い立てられて、「舞台」から転がり落ち……。
そのまま下で、立ち上がった。
体軸にブレが無い。高く挙がる脚、長く伸びる腕、切れ味鋭い回転。
ヤケクソなハイテンポのお囃子に、遅れることもない。
舞台の上で見せた猥雑さを全て切り捨てた、鋭い舞踏。
さきほどの老人が、舞台袖に鎮座していた。
いつの間にやら、小奇麗な……いや、貧しくとも清潔な、水干に袖を通して。
笑顔の下にある、たぎるような思いが透けて見えた。
敗残の末、多くを失った。
エシルの男とは異なり、民には愛想が尽きた。
メルに、王国に従う気にも、到底なれない。
自分たちの愚かしさにも、腹が立つ。
世に逆らうのではなく、関わりを断つ。
自らの意地と一族の命を、そうして守ってきた。
闘志には、応えるのが礼儀。
気魄を叩き付ける。
「叛乱は起こさない。犯罪にも手を染めぬ。が、定住する気も無い。そうだな?」
溶けるような笑顔が帰ってきた。
家紋の入った扇を、投げる。
認めてやるよ。
迷惑をかけないなら、な?
そこまで意地を張るヤツを相手にするのは、骨だ。
無駄な血が流れる。誰も良い気分がしない。
「ヒロ。それはさすがに甘すぎる。」
レイナが、腕輪を投げた。
輪は、「繋ぎ止める」もの。
束縛の象徴。
「立花の名において、庇護を与える。組織の体裁を整え、住居を定めよ。然る後ファシル州に届け出でるべし。」
受けた老人、輪を見つめていた。
「受けぬとあらば、不逞の乱賊とみなす。受けよ。納税の義務を果たせ。」
イーサンが、レイナの提案に乗り……俺に、眉を上げて見せた。
家紋入りの扇を投げた……つまり、認めてやった手前、あまりキツイ態度も取れない。
何を言うべきか躊躇う暇も無く、レイナが畳み掛けていた。
「老幼婦女を思え。庇護を受けよ。……が、ただ守られるを、善しとするか?カレワラの温情に縋るか?」
老人が、再びこちらを見た。
一見して軍人と分かる、俺の姿を。
何かあった時に、具体的な「庇護」を与えてくれることになる、少年を。
怒り……いや、「意地」が頭をもたげたものらしい。
「ただ一方的に庇護される」ことは、7歳の子供すらそれを嫌がるのが、王国社会。
無言で顔を伏せ、腕輪を押し頂く老人。
震えている。
張り続けていた意地は、形を変えた戦いは。
彼の負けで終わった。
「いいいえええええーっ」
舞台下の踊り手が、高い気合声を発する。
お囃子が、鳴り始める。
老人が、伏せていた顔を持ち上げる。
笑顔を浮かべていた。
仮面の貴族の配慮に、率いてきた一党の思いに、応えるべく。




