第十三話 兄弟 その4
ヤンの霊が天に帰り、重苦しい空気が多少軽くなったように感じられたせいだろうか。
もう一つ、アイディアが頭に浮かんだ。
「伯、この人・『草』に、仕事を頼みたいのですが。」
「ほう?」
言ってみよ、の言葉を待って、考えを述べた。
「山の民・『巽の大樫』一族に対し、私達は約束をしています。『はぐれ』の毛皮が良い値段で売れた時には贈り物をする、と。届けてもらうよう、天真会に頼む予定でしたが。天真会のメンバーも、全てが説法師というわけではありませんよね?道中の安全を図る必要があると思うのです。」
その後どうするかは、「草」しだい。
しかし、彼らに会っておいて悪いということだけは、絶対に無い。
俺の意図を理解できない伯ではない。目の下をやや赤くしながら、「草」に命ずる。
「よし分かった。『巽の大樫』一族のもとに赴く天真会会員の護衛だな。それがお前の最後の仕事となる。その後は追放だ。……もう、帰って来なくて良いのだ。」
「ははっ。」
そのまま、「草」は退出していった。
追放と言われるよりも、つけ加えられた言葉の方が、この男にはつらいのかもしれない。そんなことを思う。
「道中は長うござる。護衛がつくならば、腕の立つ者や旅慣れた者ではなく、多様な経験のある者や人柄のこなれた者に使いを頼むよう、会の方には言い添えておくべきでござるな。」
千早も、つぶやいていた。
「さて!」
本来の調子を取り戻した、ギュンメル伯が塩辛声をあげた。
「そうと決まれば……毛皮の礼をせねばならぬ。滅多に手に入らぬ大きさであるし、面白い話も聞かせてもらった。世話にもなったな。もろもろ合わせて、大金貨……10枚ではさすがに過大か。大金貨8枚を、礼として一行に贈るものとする。いかがか?」
作法の応酬は、フィリアに任せるに限る。
「お気持ちに感謝いたします、ギュンメル伯。それでは……本来ならばハンスさんに受け取りをお願いすべきなのですが、幽霊ですので……。代わりにヒロさん、お願いできますか?」
言葉に従い、ギュンメル伯の部下から、俺が袋を受け取った。
感謝するのは「お気持ち」に対して。
それと、貴族同士で直接に金銭のやり取りをするものではないということなのだろう。
「俺に受け取らせる」と言ってしまうと、俺の身分が明らかになった時に問題になりかねないと考えているのか。あるいは、同じ仲間でも「格下」扱いをすることになってしまうのか。いろいろな面倒が、フィリアの言葉の中に存在しているような気がした。
その場でハンスに袋を渡す。たぶん、そういう流れなんだろう。
袋を受け取り、中を覗いたハンスが、震え出した。
「大金貨!大金貨が8枚も!初めての行商で、大金貨8枚を!ギュンメル伯爵さまから!」
ハンスの体が、浮き上がり始めた。
まずい!多幸感から昇天しかかっている!
ハンスの服の裾をつかみ、地面に引き戻す。
雰囲気に気づいた千早がすかさず活を入れる。……寸止めだけど。
「ヒエッ。」恐怖で地に足がついたようだ。
「ほぼ昇天しかけました……」
茫然としてつぶやくハンス。
「ハンスさん、商会の会長に直接お届けするのでしょう?」
フィリアの呼びかけによって、やっと、完全に現世に戻ってきたようだ。幽霊にとってそれがいいことなのかどうかは、分からないが。
「ヤンは亡く、『草』は去った。ギュンメルとウッドメルは、新たな段階に進まねばならぬ!まずは、ケイネスの成人を宣言し、ウッドメルの総督に任命することからだな。来月の…」
とにかく動きが早い。さすが軍人。
「しかし困った……。初陣の場がない……。こればかりはなあ!戦がないのは有難いことではあるが、今回ばかりは困る!」
「お忙しくなりそうですね、伯。私達はご迷惑にならぬよう、退散します。こたびはお招きにあずかり、光栄でした。」
「なんの!済まぬな、呼び出しておいて追い立てるようなかたちになって。みなには感謝しておる!またいつでも顔を見せてくれい!」
「本来ならば街の外れまでもお見送りすべきなのですが、私自身に関わる仕事になりましたので、この場のお見送りにて失礼させていただきます。本当にありがとうございました。」
ケイネスは相変わらず優雅であった。
「お二人に代わり、私がお見送りをして参りますわ。」
ブリトニー嬢が言葉を引き継ぐ。
廊下に出る。
「皆さまには、私からも感謝いたします。ギュンメルとウッドメル、両家の仲はいまや良好ですのに、何かお互いに遠慮しあって、風通しが悪いような雰囲気になっていたのです。今回の件で、一気に動き出しましたわね。年下の皆さんに負けないように、私も仕事をしなくては!……さっそく、父上のお悩みを解消して差し上げるとしますわ!」
「ケイネスさんにぴったりの、初陣の場があるのですか?」
俺が問う。
いたずらっぽい笑顔が返ってきた。
似ているところがないと思っていたのだが、彼女もフィリアの親戚だと確信する。
「ギュンメル伯の心労が増えるでござるな。まあ、『草』殿の傷心とヤン殿の犠牲とを思えば、多少のことは致し方あるまい。」
「政治的な効果は大きいですし、ケイネス兄には過分かもしれませんね!」
二人はすでに勘付いている模様。こういう腹の探り合いが苦手なのは、資質の差か、この世界での経験の差か、それとも「女性には勝てない」というヤツなのか。
「街の外れまで……という訳には行かなくなりましたわ!しばらくは館を空けられなくなりますし。ここまでで失礼させていただきます。」
「お見送り、ありがとうございます。ブリトニー姉さま。」
角を曲がるまで、令嬢は見送ってくれていた。
そんな姿も、とにかく映える。
あの華やかさも、これからのギュンメルとウッドメルを象徴するものなのだろうか。
これはしばらく後、新都に到着してからのことだが、いろいろな話が聞こえてきた。
「ウッドメル爵子・ケイネス氏が成人を宣言した。」
「ギュンメル伯が、ケイネス氏を、ウッドメル総督に任命した。」
そして。
「成人を宣言すると同時に、ケイネス氏とブリトニー嬢の婚約が発表された。ケイネス氏がついに『詰め腹を切らされた』模様。ギュンメルの若い女性たちが悲鳴を上げたとか、ギュンメル伯の白髪が増えたとか。」
「これまでギュンメル伯との仲が良好であったケイネス氏が名実ともにギュンメルの後継者となり、ウッドメル家は末弟のセイミ氏が継ぐ模様。旧ウッドメル領は、開発が進み、さらに安定した頃に、セイミ氏が継承することになると予想される。」
「ブリトニー姉さま、仕事をなさいましたね。」
「みごとに仕留めたでござるのう。」
やっぱり女性には勝てない。
月並みではあるけれど。
ハッピーエンドは悪いものじゃない。
「大団円、ですわね。ほんとうに良うございましたわ。」
もうすぐ夫人と名前が変わるであろう、ブリトニー嬢の言葉が、鮮やかに思い出されたものであった。