第百六十四話 政治都市エシルシティ その3
ひとり上空から見晴るかす景勝も、悪くは無いけれど。
船上、友人達と共に眺め語らうひと時には、及ばない。
移動手段・交通機関なるもの。
「速ければ良い」というばかりでもないらしい。
そう思うのは、俺も多少は年を取ったからであろうか。
十代半ばの皆さん、代わる代わるグリフォンに騎乗しては、感動と興奮に頬を輝かせていた。
……などと、年長風を吹かせられる立場ではなかったのである。
再び訪れたエシルシティで見せつけられたのは、彼らの「おとな」ぶり。
エシルの地図が掲げられた、会議室。
当然のように上座に陣取ったイーサン、その地図を指差しながら、知州を査問していた。
徴税の実績が記された帳簿を、左手にして。
「分かったでござろう?イーサン殿のほうが、器や格の点でも、知州より上。」
「ああでなくちゃいけないのよ!」
幽霊諸子の大喝は、ともかくとして。
エシル州は、東西に長い。
その東側……海沿いに街道が走る、細い回廊地域の治績については、高い評価が下されていた。
治安状況、徴税実績ともに、文句無し。
面目を施す知州。
西の「正方形」部分……のうち、南西部は(、先には説明を省いたけれども)、隣のファシル州ゆえ、査問の対象外。
問題は、その正方形部分の北方領域であった。
盗賊が横行し、治安は最悪。徴税もままならないのだと言う。
「なにぶん、我らは実行部隊を持ちませんもので……。」
と言って、「盗賊が出た」などと王都に報告しようものならば、査定に響くというわけで。
知州閣下、取れるところから税を取り、出費を抑えて切り回しているらしい。
結局、俺達にバレてしまったけれど。
それにしても、イーサン。
上から目線でてきぱきと仕事を捌いている。
えらいものだ。
……などと思いつつ、退出してくると。
宿舎に客人が現れた。
あらかじめ聞かされてあった話では、ある。
「会っていただきたい者がおりまして……。いえ、無理にとは申しません。」
極東を出たあたりで、そんなことが書かれた手紙を受け取っていた。
ブルグミュラー会長から。
「私は若い頃、エシルシティで丁稚をしていたのですが。その頃の奉公先で……。今は、代替わりしておりますけれど。」
会長の恩人の、息子。
俺に喩えるなら、塚原先生の養女、つぼみのような存在か。
そうした筋からの頼みでは、会長も断れまい。
俺としても、いろいろお世話になった会長からの頼みであって。
これは断れるものでは無い。
何の話やら、興味が無かったと言えば、嘘になるし。
ともかく郎党衆もろとも迎えの馬車に乗り、連れ出された先であるが。
エシルシティは、州都である。
ともなれば、「えらいさん」をもてなすための料亭(?)のようなものも、それはもちろん存在しているわけであって。
しかし上座に座らされて、平身低頭されてしまうと。
どうも、尻が落ち着かないというか、その。
「接待にも受け方ってものがあるんだからね?」
アリエルが言うことの意味、何となく分かるような気もするけれど。
実際のところ、どうすれば良いやら。
「ささ、まずは一献。」
何をどうしたら良いものか分からぬまま、目の前の男を眺める。
四十過ぎと言ったところか。
ならば、とりあえず。
「ブルグミュラー会長とは、直接の面識が?」
「ええ。子供の頃、よく遊んでもらったものです。今にして思えば、あの頃から皆に慕われ、父の覚えも良く……やはり違っていました。」
これだもの。
とは言え、嫌な顔をするわけにもいかないし。
「私も、会長とは不思議なご縁が。会長ゆかりと聞いて、興味を持ったのです。どのような商会でいらっしゃる?」
言葉遣い、どうしよう。本当に「身分」ってやつは、難しい。
「これはもったいないご下問を……。弊ツェルニー商会は、メル本領に本店を置くシューベルト商会から、祖父の代にのれんを分けていただいたものでして。」
「なんと。これはフィリア様にも、おいでいただいた方が良かったかな?」
……16歳の台詞じゃあないよなあ。
中身は24歳だけど、その年だって似合わない。
「そのような、恐れ多い。」
俺は恐れ多くないと?
身分は面倒だと思いつつ、イラッと来る。
我ながら、小さい。
「……紹介状も無しには、皆様にはとてもお会いできません。ブルグミュラー会長にお願いして、どうにか閣下とご縁をつなげましたこと、幸いの極み。」
フィリア様に限らず、会える立場ではありません、か。
上手に逃げることで。
勉強になります。
でも。
もういいからさ。本題に入ってよ。
「ブルグミュラー会長の頼みとあらば、これはなかなか粗略にはいたしかねる。」
何が目的なわけ?
「エシル州は王国の直轄領でありましょう?やはり王都資本の商会が強く、私どものようなメル領系列の商会は、どうしても肩身が狭く……。ここは一番、ブルグミュラー会長にならって勝負をかけるべき時かと、そう考えたのでございます。」
「さて。私が役に立てるとは思わぬが……。」
まるっきり、「越後屋と悪代官」の図になってきた。
「おやめください、そのようなご謙遜。これはもう、閣下のご威光に縋る他は無いのです。」
「私は王都へ赴く身。今後しばらく、エシルとは縁がないが?」
と、口にしてみて気づいた。
エシルに縁がある人にまつわる用件、ね。
視線が交わる。
「ツェルニー会長。お得意の分野は?」
「シューベルト商会からは、穀物関係の取引を学ばせていただきました。」
「さて。あちらのお得意は、牛・馬・羊では?」
「いやいや。これはこれは!」
まさに、破顔一笑。
「まだるっこしいやり取り」が行われる理由が、よく分かった。
相手を測るためなのだ。
もし俺がマヌケであったら、陳情の効果が期待できない。接待のし甲斐が無い。
この会合で結んだ縁を利用して、アカイウスあたりに狙いを絞るほうが良い。
「やはりカレワラ閣下にお縋りして正解でした!いや、お若くていらっしゃるのに……」
並べ立てられたのは、おべんちゃらであろうか。
多少はこちらを評価しているのか。
はたまた己の「慧眼」に、酔っているのか。
ともかく、話の筋は見えた。
「エシル州とファシル州の境界をまたぐ形で成立する、ウマイヤ新領に食い込みたい」と。
そういう話。
あちらさんは、俺を買ったみたいだけれど。
俺は、この話を通して良いものだろうか。
ツェルニー商会がウマイヤ家に迷惑をかけたら、紹介者としてこちらも責任を問われるけれど……。
ブルグミュラー会長と俺の関係を知っているあたり、間抜けではない。
心配すべきは、「やり手」過ぎたらどうしようとか、そちらか。
……千早に、聞いてみるか。天真会がツェルニー商会をどう評価しているか。
ウマイヤ家には、ファン・デールゼンさんがいるし。心配は不要か……。
「私からは、あなたを紹介する以上のことはできない。ウマイヤ家次第ということは、お伝えせざるを得ないところだが?」
「貴族にご紹介いただける、直接に会う機会をいただけることが、何よりも大きいのです。どう感謝を申し上げれば良いやら。」
「ブルグミュラー会長には、よくよくお礼を……。」
「それはもう、もちろんのことです。さあ、そうと決まれば。」
手を叩く、ツェルニー会長。
またぞろ色々、運ばれてきた。
酒を勧められる。
思い浮かんだのは、大戦から帰ってきた直後に見た、イーサンの顔。
不健康に青膨れしていた。
受けなくちゃいけない「接待」が続いたからと言っていたけれど。
15やそこらで、こういう話を連夜捌いてたわけね?
やれやれ。
上流貴族って一体……。
「いや、これはどなたが賑やかにやっていらっしゃるかと思えば。」
うわあ。
「説曹操、曹操就到」ではないけれど。
デクスターに思いを致せば、デクスター。
知州閣下のお出ましであった。
「カレワラ閣下に、そちらは……ツェルニー会長?いやいやいや。」
あまりのことに、ツェルニー会長を睨み据えた……のだが。
向こうは深々と頭を下げていた。
はなっから予測済み。視線を避けている。
知州閣下、「俺だけに聞かせたい話」があると。
そういうことだな?
で、ツェルニー商会。
そんな知州と俺を会わせる。
知州にも恩を売って、エシルでの勢力拡大に努めると。
おっさんどもの、政治力よ。
上流も中流も、庶民も関係ない。位階も何もありはしない。
こればっかりは、年の劫。
「何のお話をされていたので?」
「カレワラ閣下に出入りを許されている、新都のブルグミュラー商会について、語り合っていたところでございます。ブルグミュラー会長は、弊商会のご出身。思い出話をと……。」
「これは!縁とは分からぬものですなあ。」
白々しいことを!
知州このヤロー!
「私は、弱冠11歳で官途に就かれたデクスター子爵閣下の秘書から、キャリアをスタートさせたのです。閣下の驥尾に付し、宮中に出入りする栄誉に浴しました。ご縁とはまことにありがたいもの。」
何のことは無い。
イーサンから見たエシルの知州とは、フィリアから見たフーシェやミッテランと似たような立場であったと言うわけだ。
それは上から目線にもなろうというもの。
「若い頃の苦労によって今の大を成されたのですね、知州閣下。私のような家つき息子は、どうしようもありません。」
「何の何の。こうしてカレワラ閣下に食い込んでいる。やはりツェルニー会長の人脈は侮れない。」
と、そこで。
会長に目配せを見せる知州。
「少々、中座を。言いつけておくことがありました。」
退出するツェルニー会長。
本当に!お前ら!
上流貴族ってさあ、何なんだよ。
全部お膳立てされて、乗っかるだけ。
「私はデクスター家からひとかたならぬご恩を受けてきました。しかし先日閣下からご教示いただいて、思い出すありさま。恥じ入るばかりで……。」
アロンのアレを、逆手に取るか。
で?イーサンに伝えず、俺に何を?
「若君は、州境の山を越えられたとか。今日お会いして、ご成長に涙が出る思いでした。まさに栄えあるデクスターの後継者。大戦では、子爵閣下とお二人で財務を切り回されたと伺っております。文武両道。王都で官途に就かれる前から、五位の男爵に相応しい公達ぶりでいらっしゃる。」
それは、認めるよ。
で?
「しかし伺ったところ、十騎長でいらっしゃるとか。子爵閣下の教育方針であるとは伺っておりますが、デクスターの若君が、16歳で十騎長は、その、少々……。」
見えてきた。
水を向ける。
「大戦における、内政での貢献。一門からも多くの人を戦場に出したそうですし、千人隊長への昇進の話はあったと聞いています。しかし、そこはデクスター。庶民も就くことのできる千人隊長よりは、もう一つ何か手柄を挙げたところで、一気に百騎長に就けるべきであろうと。……そういうことらしいですね。」
「カレワラ閣下。山越えは、お手柄になりましょうや?」
「もうひと押しあれば、確実でしょう。……しかし前線に出して、万一のことがあれば。」
「私もそう思っているところなのです。若君にもしものことがあってはと。」
……だから。
「イーサンを外して盗賊退治をした上で、手柄を譲ってはくれないか?」、ね。
今の俺には、軍功は不要だ。
大戦で幕僚を務め上げ、野戦でも手柄を立て。
若手でこれ以上の功績を挙げた者など、そうはいない。
フィリアと千早ぐらいか。やっぱりあの2人には勝てない。
……それは、まあ良い。
「譲ることにはやぶさかではありませんが、問題が3つ。第一に、いち地方を席巻しているとなると、難しいかも知れません。第二に、イーサンがそれを良しとするか、どうか。第三に、知州閣下、あなたの失点となりますよ?」
「第二と第三を抱き合わせにすれば良いのでは?『デクスター系知州の失点を、本家の若君が取り返した』。そういう筋書きです。デクスターの失点を防げるとあれば、若君もご了承くださるでしょう。その功で百騎長昇進となれば、私も本家に御恩を返せます。」
本家に恩を売れる、だろう?
「そして私、カレワラはデクスターに恩が売れる、ですか。」
知州が頷いた。
「手柄を贈るなど、なんと卑劣な」と恨みを抱くほど、イーサンは「剛直」ではない。
お膳立てに乗った上で、状況を利用するぐらいの柔軟さはある。
フィリアはともかく、レイナやウマイヤ一党も、武功があって悪いことは無い、か。
……悪い話ではないはずだが、どうも乗り気になれない。
「しかし、やはり第一の問題が。」
「大戦を経験された皆様です。盗賊など、何ほどのことも無いでしょう?」
「こればかりは、時の運。何が起こるか分かりません。」
「ご謙遜を。ならば、ひと当てして引くだけでも。『調査がてらひと当てして、勢いを殺ぎました。旅の途次ゆえ、深追いを諦めました。』という筋では、いかが?」
それなら、まあ。
やはり気乗りはしないけれど……。
ただ、悪い話では、ない。
軍の職階は、そこまで重要ではないけれど。
11歳でデビューするならともかく、16歳デビュー。
イーサンの、デクスターの格ならば、やはり百騎長は……ここでは説明を省くが、絶対に必要。
頷いたところで、知州が外に声をかけた。
再びツェルニー会長が姿を見せる。
適度に過ごさせて、切り上げるその姿は、堂に入ったもので。
帰りの足も用意されていた。
馬車に詰め込まれた、男4人の酒臭さ。
いつもより余計に、鼻につくような。
「マスター。その……『お土産』を持たされているのですけれど。」
口を開いたピーターに向けた視線を、アカイウスに転ずる。
「受けて構わぬかと。その程度、気を煩わすまでもありません。」
「その程度」か。
俺にしてみれば、「おおごと」なんだけどな。
「一介の田舎商人が、男爵家のご当主に拝謁を許される栄誉を得たのです。『それぐらいは、当然のこと』とお考えください。……何を頼まれたかは存じませんが、神経をすり減らしてまで取り組むべきではありません。」
それが、「身分の差」か。
「あるがままを、そのままに」……受け入れると決めたからには。
厚かましさも、必要になってくる。
料亭(?)での、密談を終え。
俺もいっぱしの政治経験をしたような気になったものであった。
が、こうした「密室政治」や「政局」と呼ばれる類のもの。
それは、「政治」ではない。少なくとも、政治の本道ではない。
そのことを、すぐに痛感させられた。




